【映画レビュー『平行と垂直』】安田章大×のんが体現する、善悪では割り切れない家族の物語。分かり合えなくても、ともに生きるということ

Film Review
©2026「平行と垂直」製作委員会

新作映画『平行と垂直』 を紹介&解説するレビュー。


悪意がなくとも、人は誰かを傷つけてしまうことがある。正しくあろうと努めるほどに、かえって疲れ果ててしまうこともある——。8月28日(金)に日本公開を迎える『平行と垂直』は、そうした割り切れない現実から目を逸らすことなく、自閉スペクトラム症の兄・大貴と、幼い頃から彼を支え続けてきた妹・希の日々を見つめた一作だ。安田章大のんが、それぞれの内に抱えた痛みと願いを繊細に体現し、完全には分かり合えない距離を残したまま、それでもともに生きていこうとする人々の姿を描き出す。

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映画『平行と垂直』レビュー

「誰も悪くないのに、みんな苦しい」という現実

「お母さんは悪ない、だいきも悪ない」——本作の核心を凝縮しているのは、ある場面で語られるこの言葉だろう。大貴の振る舞いに悪意はなく、その一挙一動の責任を本人だけに帰すことはできない。だが、彼の行動が周囲を戸惑わせ、時に恐怖や負担を感じさせる場面もまた、否定しようがない。かといって、家族や支援者があらゆる事態を先回りして予測し、常に完璧な対応を取り続けることにも、おのずと限界がある。

誰かひとりを悪者に据えてしまえば、物事は簡単に整理がつくのかもしれない。しかし現実は、そう都合よく割り切れるものではない。本作は、起きる出来事を安易な善悪の図式へと押し込めることをしない。悪意がなくとも傷つく者はおり、正しくあろうと努めるほどに疲弊していくこともある。「誰も悪くない」ことと「誰も苦しくない」ことは、決して同じではない——その割り切れなさを、本作は誠実に見据えている。

異なる理解の段階にいる周囲の人々

大貴を取り巻く人物たちもまた、分かりやすい善人と悪人へと振り分けられてはいない。障害やその特性をほとんど理解しないまま、自分の常識を押しつける者がいる。理解したつもりでいながら、その言動がどこか微妙にずれている者もいる。そしてもう一方には、すべてを理解し尽くすことはできなくとも、自分にできる範囲で歩み寄ろうとする者がいる。

登場人物の全員が理想的な理解者へと変わっていく——そうした都合のよい展開に流れず、人それぞれに異なる距離や限界を残したこと。ここに、本作の優れたバランス感覚が表れている。周囲はどこまで理解し、何を受け入れ、いかなる形で支え合えるのか。安易な正解を差し出すことなく、現実のなかで実行可能な希望を、本作は描き出している。

支える家族にも、自分の幸福を選ぶ権利がある

妹の希は、兄を誰よりも大切に思いながら、その一方で「自分の人生を生きたい」とも切実に願っている。だが、結婚によって暮らしの環境が変われば、大貴の生活や支援のかたちにも影響が及びかねない。家族を置き去りにして自分だけが幸福になろうとしているかのような罪悪感と、これまで十分すぎるほど頑張ってきたのだという思い——希は、その狭間で揺れ続ける。

本作が見つめるのは、障害のある人が幸福に生きる権利だけではない。その家族もまた、自分自身の幸福を求めてよいのだという、もうひとつの権利である。それでも現実において、その双方が何ひとつ妨げられることなく幸福をつかみ取るのは、容易なことではない。前を向いて生きようとする姿ばかりでなく、耐え続けた我慢が限界に達し、感情が噴き出す瞬間までをも描く。そうすることで本作は、家族愛を自己犠牲の美談へと回収してしまうことのない物語となっている。

安田章大とのんが体現する、それぞれの生きづらさ

大貴を演じる安田章大は、企画の段階から本作に関わり、専門家によるレクチャーを重ねながら役を築き上げていったという。自閉スペクトラム症のあらわれ方には大きな個人差があり、筆者自身も専門家ではない以上、その表現を医学的に正確な再現だと断言することはできない。それでも、これまで生きてきたなかで実際に目にしてきた、こうした障害を抱える人物の特徴を、素人目にはかなりの精度でとらえているように映った。

視線の動き、姿勢、物への触れ方、予定が崩れたときの反応——その一つひとつを細部まで丹念に積み重ね、大貴というひとりの人間が確かにそこで生活しているのだという実感を立ち上げている。

のんもまた、障害のあるきょうだいを持つカウンセラーから話を聞き、役に臨んだという。希は、本心では幸せに生きたいと願いながら、兄を支える責任を一身に背負い、周囲には決して弱さを見せまいと振る舞っている。のんは、その明るさの下に潜む疲労や不安、罪悪感を繊細ににじませ、我慢に我慢を重ねてきた妹の感情に、確かな説得力を与えている。

平行にも垂直にもなり得る、人と人との関係

平行線は決して交わらないが、同じ方向へと肩を並べて進んでいくことはできる。垂直な線は、それぞれ異なる方向から伸びながら、ある一点で交わり、互いを支え合う形にもなる。タイトルに掲げられた「平行と垂直」は、たとえ完全には分かり合えなくとも、ともに生きていくことはできる——そうした本作の人間観を、幾何学の比喩へと託している。

理解するとは、相手とまったく同じ感情を抱くことでも、そのすべてを無条件に受け入れることでもない。分かり合えない部分や、どうしても埋められない距離があることを認めたうえで、それでもなお自分に何ができるのかを問い続けること。本作は、兄妹と、彼らを取り巻く人々との関係を通して、無理のない歩み寄りの先にこそ差し込む希望を、静かに描き出している。


たとえ完全には理解し合えなくとも、同じ方向へ並んで進むことはできる。異なる方向から伸びた二本の線が、ある一点で交わり、互いを支え合うこともある。『平行と垂直』が差し出すのは、不器用な、それでいて確かな希望だ。誰かひとりを悪者にすれば片づくほど、現実は単純にはできていない。その複雑さをまるごと引き受けたうえで、なお歩み寄ろうとする兄妹の姿は、観る者の胸に確かな余韻を残すはずだ。

『平行と垂直』は、8月28日(金)より日本公開。

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