【映画レビュー『顔 -かお-』】顔を見せずにルッキズムと“幸福の尺度”を暴く異色の衝撃ミステリー

【映画レビュー『顔 -かお-』】顔を見せずにルッキズムと“幸福の尺度”を暴く異色の衝撃ミステリー Film Review
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新作映画『顔 -かお-』 を紹介&解説するレビュー。


“顔”さえ見えれば、相手の人柄を分かった気になるような感覚もある。だが、その肝心の「顔」が最後まで映されなかったとしたら——。大規模なジャンル映画で知られるヨン・サンホ監督の『顔 -かお-』は、遺体で発見された一人の女性チョン・ヨンヒの顔を頑なに伏せたまま、彼女を知る者たちの証言だけで人物像を組み上げていく異色のミステリーである。

8月28日(金)、日本公開。見えないものを追ううちに、観客はいつしか、自分自身のまなざしそのものを問い返されることになる。

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映画『顔 -かお-』レビュー

顔を見せずに、一人の人間を組み上げるミステリー

本作の中心に据えられたチョン・ヨンヒは、回想の中に幾度も姿を見せながら、その顔だけは観客に明かさない。手がかりとして差し出されるのは、後ろ姿、声、身体の所作、そして彼女を知る者たちの証言の断片である。人物像は映像が直接描くのではなく、他者の記憶と言葉を積み重ねる形で、少しずつ輪郭を結んでいく。

だが証言者たちが決まって繰り返すのは、「醜い顔だった」という主観的な美醜の評価にすぎない。真相へ導くはずの言葉に、語り手の偏見や自己正当化が当然のように貼りついていく——その構成そのものによって、本作は殺人事件の謎解きにとどまらず、ルッキズムへの批判、そして“誰の言葉を信じるのか”という記憶をめぐるミステリーへと重層的に立ち上がっていく。

「不細工だけど」という不要な枕詞が暴くルッキズム

「不細工だけど優しい」「あんな顔なのに幸せ」。一見すると好意的に話しているようにすら見えるこれらの物言いには、容姿に恵まれない者が善良であることや、幸福を手にすることを、あたかも例外や逸脱であるかのように扱う無意識の差別が潜んでいる。本作が俎上に載せるのは、悪意を自覚した一握りの人間だけではない。そうした言葉を疑いもせず口にし、他者の価値を顔によって値踏みしてしまう、社会全体に染み渡った感覚のほうである。

ヨンヒがどのような人間だったのかを探ろうとする場においてすら、人々は彼女の行動や内面よりも先に、まず“醜い顔”について語り出す。証言が積み重なるほどに彼女自身の“人格”は後ろへ退き、社会から一方的に貼りつけられた一つのイメージだけが、本人を離れて独り歩きしていく。醜いのは、はたして本当にヨンヒの顔なのか。それとも、ひとりの人間を容姿だけで推し量り、嘲笑し、搾取してきた周囲の心のほうなのか。

美しさを決めるのは、自分の心か、他人の評価か

美しさとは本来、「見たり聞いたりする者の心が動かされるかどうか」によって立ち上がる個人的な感覚-つまり“好み”であり、そこに絶対的な正解など存在しない。身長、体格や目鼻の形、顔立ちの違いもすべて、優劣を測る物差しではなく、あくまで好みの差異にすぎないものだ。

ところが本作の登場人物たちは、自らの感覚よりも周囲の評価を信じ込むよう、いつしか仕向けられていく。視覚障害者であるヨンギュを嘲笑し、弱い立場の者を推し量る社会にあっては、自分自身の心を信じ抜く力さえ剥ぎ取られてしまう。「人が美しいと言うから美しい」「人が醜いと言うから醜い」——この転倒した価値観が、ひとりの人間の愛情や人生をどこまで蝕むのか。映画は美醜の問題を、単なる外見をめぐる差別の次元にとどめず、“他者の視線に囚われて生きる人間の弱さ”として捉え、描き出していく。

幸福まで“他人にどう見えるか”で測る社会

他者の評価に支配されるのは、美しさばかりではない。「自分が幸福を感じているか」ではなく、「周囲から幸福そうに見えているか」によって、自らの“人生の価値”を測ってしまう——本作からは、そんな危うさもまた読み取れる。

映画そのものはSNSを正面から主題に据えているわけではない。それでも、人に見せるための幸福が何よりも重んじられる現代社会と、この作品は否応なく響き合う。誰かと比べて勝っているか、羨望を集めているか、世間から成功者として認められているか——。本作が突きつけるのは、そうした“他者基準”をすべて取り払ったあとになお、自分の幸福を自分自身の言葉で語れるのか、という問いでもある。

真実より“面白い物語”を求める取材者の視線

ヨンギュの職人としての歩みを追っていたスジンは、ヨンヒの遺体が発見されるや、より刺激的な題材を求めて取材の矛先を切り替えていく。そこには埋もれた真実を白日の下にさらす報道の役割が確かにある一方で、他人の不幸や秘密をコンテンツとして消費してしまう危うさもまた、影のように付きまとう。

何が起きたのかよりも、視聴者を驚かせる物語になり得るかどうか。ヨンヒがどのような人間だったのかよりも、“醜い女性の怪死”という見出しが成立するかどうか——。カメラは隠された事実を白日の下に引き出すと同時に、撮られる者をふたたび食い物にしかねない。その両義性まで、本作は鋭く見据えている。

約20人、13回の撮影で完成させた低予算映画

ヨン・サンホ監督は、本作を約20人の少数精鋭スタッフと13回の撮影によって完成させた。純制作費は約2億ウォンとされ、大規模なジャンル映画を手がけてきた監督としては異例の低予算作品である。

派手な視覚効果ではなく、限られた場所、証言による回想、一人二役の演技、見せないことで生まれる想像力を利用した構成に重点が置かれている。パク・ジョンミンが演じ分ける父と息子、顔を映さずに人物の存在を刻むシン・ヒョンビン、老いたヨンギュの内面を表現するクォン・ヘヒョら、俳優の演技が映画を支える比重も大きい。

複雑な社会問題をひとつの衝撃的な結末へ収束させる手法には好みが分かれるかもしれないが、それでも鑑賞後に「顔」「美しさ」「幸福」「真実」という言葉を、それまでと同じ意味では受け取れなくなるほど強い問いを残す作品であることは確かだ。


『顔 -かお-』が突きつけるのは、単純な犯人探しではない。誰の言葉を信じるのか、美しさや幸福を測る物差しはそもそも誰の手にあるのか——観客一人ひとりの内側に、容易には答えの出ない問いが残される。派手な仕掛けに頼らず、あえて見せないことの強度で勝負したヨン・サンホ監督の挑戦作は、観る者のまなざしを静かに揺さぶり、揺り戻す。8月28日(金)、日本公開。スクリーンの前で、あなたは果たして誰のまなざしを信じるだろうか。

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