新作映画『兄を持ち運べるサイズに』を紹介&レビュー。
11月28日(金)から日本公開となった『兄を持ち運べるサイズに』は、中野量太監督が村井理子のノンフィクションエッセイ「兄の終い」を原作に、疎遠だった兄の死から始まる家族の数日間を描いたドラマだ。訃報を受けた妹の理子は東北へ向かい、兄の元妻や子どもたちと共にゴミ屋敷と化した部屋を片付けながら、兄への複雑な感情や家族の記憶に向き合っていく。主演は柴咲コウ、共演にオダギリジョー、満島ひかりなど。
『兄を持ち運べるサイズに』あらすじ
何年も会っていない兄と疎遠に暮らしていた理子のもとに、突然警察から兄の訃報を告げる連絡が入る。東北へ向かった理子は、兄の元妻とその子どもたちと再会し、ゴミ屋敷となった兄の部屋を片付ける中で、知らなかった兄の姿や家族の記憶と向き合っていくことになる。
愛憎が交錯する家族の情景
“愛憎混じり合う”という表現がよく使われるように、愛情と憎悪は併存し得る。それが“家族”であればなおさらだ。家族愛とはなんだろうか。正直に言って筆者は自分の父親をそこまでよく思っていない節があり、理解し合えない部分も頻繁に感じてきたが、同時に父に対して憎みきれない部分があり、共に楽しく話す時間があるというのもまた事実。そこにはきっと“家族愛”という言葉以外で表現できない何かがあるのだろう。そこに“血”は関係なく、共に過ごした時間や、記憶(思い出)といったものからくる“情”が大きな役割を果たしているように思う。これは“一つ屋根の下で暮らした家族”以外には容易には抱けない感情だ。本作はそんな「家族とは何か」という命題に真正面から向き合っている。

©2025 「兄を持ち運べるサイズに」製作委員会
主人公の理子は真面目でなんでもしっかり考えて動くからこそ甘え下手で不器用な妹だ。それに対して軽薄でルーズな兄は甘え上手で人たらしで、特に母親から注がれた兄妹間の愛情の差は顕著である。どうしようもないのに母親に愛され、大人になれば金のある自分に金の無心をしてくる兄に対して、理子がいい思いを抱いていないのは当然だろう。しかし、その兄の死を経て、遺体の処理や葬儀という強制的な理由で兄の存在・不在に向き合わざるを得なくなった理子は、今まで見えていなかった兄の姿や、遠い子ども時代の兄妹の思い出に触れながら、自分の中の感情を整理していく。

©2025 「兄を持ち運べるサイズに」製作委員会
エッセイストという職業が象徴するもの
主人公の理子がエッセイストであるという設定も興味深い。エッセイストという職業は、自分自身の物語を不特定多数に発信し、共感や憧憬を得ることで成り立っている。そう考えると、口下手で家族に対して思うように自分の物語をシェアできなかった理子にとって、エッセイストという仕事は彼女なりの自己実現・自己表現の形なのかもしれない。家族に本心を叫ぶ代わりにスカートの裾を握りしめたり、兄の死を聞いた後の複雑な感情と向き合う際も、そこにいる夫や息子たちではなく鏡に映った自分と見つめ合ったり。理子は“家族”を自分の率直な思いをシェアする相手として認識できていないのだ。

©2025 「兄を持ち運べるサイズに」製作委員会
決して独りよがりというわけではない。これも“甘え下手”につながるのだが、真面目な人間ほど、甘えることを嫌い、悪と考える節があるように思う。弱い自分、ダメな自分を見せて怒られたり失望されることを恐れて、本当ではない自分を演じる。その結果、甘えられない。甘えなかった結果、他の甘えている人間が許せなくなる。こうして凝り固まった理子が、本作を通して“家族”を再定義していく過程は非常に興味深く、個人的にも深く共感できた。
冒頭で「支えであって呪縛ではない」という言葉が登場するが、まさにその通りなのだ。もちろん人によっては家族を支えられず呪ってしまうタイプもいるかもしれないが、理想として、家族は“支え”にしていい、甘えていい存在なのである。“甘えすぎも考えもの”であると本作は突きつけるが、甘え上手は往々にして世渡り上手でもある。甘えることを悪としてきたことが裏目に出ることもあるのだと、本作は同時に感じさせてくれる。
細部に宿る巧みなストーリーテリング
癖はあれど“悪い人”が出てこないほっこりとした優しい空気と、ちょっとしたコメディによって温かく描く作風でありながら、映像や脚本による物語の演出は非常に巧みだ。食べ物や飲み物、布団の汚れ、甥・良一の髪型や図書館で見せるちょっとした仕草。そして窓枠や部屋の柱を使って登場人物の間に隔たりを作ったり解放したりする撮影構図を通して、本作は繊細なストーリーテリングを展開している。画面を横断する柱や窓枠と、理子の位置に注目すれば、彼女の心の整理がどの段階にあるのかがよく見えてくるはずだ。
俳優陣の繊細な演技が紡ぐ家族の肖像

©2025 「兄を持ち運べるサイズに」製作委員会
真面目でありながら複雑な心境と戦い続け、さらに妹としての顔も使い分け、コメディタッチにも対応する演技を見せた柴咲コウ(理子役)。どうしようもないが愛情深さを秘めていて人たらしな兄を、見事なハマり役で表現したオダギリジョー。芯の強さとそれでも揺らぐ弱さのバランスを体現した満島ひかりの加奈子役。それぞれがすばらしい演技で印象的なキャラクターを残したが、忘れてはならないのが加奈子の娘、満里奈を演じた青山姫乃だ。

©2025 「兄を持ち運べるサイズに」製作委員会
満里奈の境遇が理子の幼少期に重なるように見えるシーンがある。兄弟姉妹がいると当然起きてしまう、親の視線や注意を奪われる瞬間。独り占めができなくなることへの、漠然とした悲しみ。それは母親・加奈子から離れた画面外の席で受けた、何気ない「デザートなし」という一言で胸に突き刺さった。
『兄を持ち運べるサイズに』は、家族という存在の複雑さと、そこに宿る言葉にできない“情”を丁寧に描き出した作品だ。愛憎が入り混じる感情、甘えることの難しさ、そして家族を再定義していく過程。中野量太監督は、細やかな演出と俳優陣の繊細な演技を通して、誰もが心のどこかに抱えている家族への思いを浮き彫りにしている。11月28日(金)から日本公開中。
ライター/エディター/映画インスタグラマー。2019年に早稲田大学法学部を卒業。東京都職員として国際業務等を経験後、ライター業に転身。各種SNS(Instagram・X)やYouTubeチャンネル「cula 見て聞く映画マガジン(旧:アルテミシネマ)」においても映画や海外ドラマ、音楽といったカルチャーに関する情報レビューを発信している。
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