東京国際映画祭2025-コンペティション部門全作品紹介<後半>

『マザー』より © Entre Chien et Loup Sisters and Brother Mitevski Awards & Festivals Coverage
『マザー』より ©Entre Chien et Loup Sisters and Brother Mitevski

世界各国の個性豊かな15作品が競う-東京国際映画祭コンペティション部門全作品紹介の後半7作品。


第38回東京国際映画祭のコンペティション部門には、世界各地から多彩な才能が集結した。社会や個人の境界を見つめる静かなドラマから、ユーモアと風刺を交えた寓話的作品まで、その表現は実に幅広い。

本稿では、上映作の中から後半として7作品を取り上げ、それぞれのストーリーと監督の背景を整理する。アジアを代表する巨匠から、新鋭監督による初長編まで、国境もジャンルも超えて展開される物語群が、今年の映画祭にどのような問いと熱量をもたらすのか。その多様な世界を概観していく。

『マザー』-聖人ではなく“ひとりの女性”として描くマザー・テレサの葛藤

『マザー』より © Entre Chien et Loup Sisters and Brother Mitevski

『マザー』より ©Entre Chien et Loup Sisters and Brother Mitevski

1948年、インド・カルカッタ。マザー・テレサがロレト修道女会を離れ、自らの修道会「神の愛の宣教者会」を立ち上げようとしていた時代の一週間を描く。

信仰と現実のはざまで揺れるテレサは、自らの後継者にと考えていた修道女が妊娠し、中絶を望んでいることを知り、深い葛藤に陥る。信仰に生きる者としての理想と、女性としての現実。その間で精神的に追い詰められていくテレサを、『ミレニアム ドラゴン・タトゥーの女』(2009)のノオミ・ラパスが繊細かつ情熱的に演じる。

監督は、北マケドニア出身のテオナ・ストゥルガル・ミテフスカ。フェミニズムと芸術性を融合させる作風で知られる彼女が、初めて英語で撮った本作では、聖人としての神話ではなく「ひとりの女性としてのテレサ」を見つめ直す。現代的な視点から再構築された宗教ドラマとして、フェミニスト映画の新たな地平を切り開く意欲作だ。

『母なる大地』-現実と神話が交わるマレーシア北部の大地に生きる女性の祈り

『母なる大地』より © SunStrong Entertainment Sure Honest Holdings Limited AMTD Pictures Production Limited

『母なる大地』より © SunStrong Entertainment Sure Honest Holdings Limited AMTD Pictures Production Limited

1990年代末、タイ国境に近いマレーシア北部の農村地帯。複数の民族が共生するこの土地で、ホン・イムは夫に先立たれながらも、昼は農作業に、夜は呪術を用いて病に苦しむ村人たちを救う日々を送っている。だが、不可解な出来事の連鎖を経て、彼女は夫の死にまつわる驚くべき真実に直面する。

監督は、金馬奨新人監督賞を受賞したマレーシアの俊英チョン・キット・アン(張吉安)。自身が幼少期を過ごした農村を舞台に、現実と幻想、民族信仰と記憶が入り混じる世界を描き出した。

主演は『ブッダ・マウンテン』(2010)で東京国際映画祭最優秀女優賞を受賞したファン・ビンビン。華やかなイメージを脱ぎ捨て、沈黙と祈りの中に生きる女性を力強い存在感で体現する。土地の記憶とともに生きる人々の強さを映し出すヒューマンドラマだ。

『春の木』-失われた“言葉”をめぐる、ひとりの女優の再生の物語

『春の木』より

『春の木』より

かつて夢見た成功をつかめなかった女優が、四川省の故郷へと帰る。チャン・リュル監督の最新作『春の木』は、故郷を離れたことで地元の方言を話せなくなった女性が、自らのアイデンティティを取り戻していく姿を描く。

中国と韓国を拠点に活動するチャン監督は、『キムチを売る女』(2005)や『柳川』(2021)など、人間の内面を静かに掘り下げる作品で知られる。本作では、長年にわたり中国映画を支えた四川・峨眉撮影所の旧スタジオを舞台に、消えゆく土地の記憶と、そこに生きる人々の声を映し出す。

主演は『モンスター・ハント』シリーズで知られるバイ・バイホー。現実と郷愁のあわいを漂うような彼女の演技が、失われた「母語(マザータング)」を象徴的に響かせる。中国映画の精神的ルーツを見つめ直す一本だ。

『パレスチナ36』-1936年の蜂起に見る“民族の記憶”と現在への問い

『パレスチナ36』より

『パレスチナ36』より

1936年、英国委任統治下のパレスチナ。アラブ人とユダヤ人入植者の対立、そして英国による植民地支配への反発が高まる中、若者ユスフは愛する故郷の伝統的な暮らしを守りながらも、エルサレムの政治的緊張に巻き込まれていく。

監督は、パレスチナを代表する女性映画作家アンマリー・ジャシル。彼女が手がけた本作『パレスチナ36』は、民族主義的反乱を題材に、植民地期の出来事が現在のパレスチナ問題にどのように連なっているかを問いかける。壮大なスケールの映像の中で、人々がアイデンティティを模索する姿を通じ、歴史と現代が重なり合う構造を描く。

撮影は名匠エレーヌ・ルヴァール、音楽はベン・フロスト。時代劇の枠を超え、民族の記憶と尊厳を見つめ直す歴史ドラマだ。

『虚空への説教』-“終末”の砂漠で命の水を探す、映像詩の最終章

『虚空への説教』より© Ucqar Film (Hilal Baydarov)

『虚空への説教』より© Ucqar Film (Hilal Baydarov)

世界の終焉を前に、「命の水」を求めて広大な砂漠をさまよう男――。ヒラル・バイダロフ監督による『虚空への説教』は、ストーリーよりも映像そのものが語るような作品だ。『クレーン・ランタン』(2021)で東京国際映画祭・最優秀芸術貢献賞を受賞した彼が、『魚たちへの説教』『鳥たちへの説教』に続いて完成させた「説教三部作」の最終章にあたる。

本作では、論理ではなく感覚で世界を体験する映画の可能性を追求。終末を象徴する荒涼とした風景の中に、光、砂、声、そして沈黙が詩的に響き合う。

メキシコの鬼才カルロス・レイガダスが前作に続きプロデューサーとして参加し、国境を越えた精神的な連帯を感じさせる。バイダロフ監督が築いてきた作品群の集大成に注目だ。

『飛行家』-“空を飛ぶ”夢が照らす、ひとりの男と中国の半世紀

『飛行家』より © Shanghai Maoyan Pictures Co. Ltd. © Beijing Pineapple Street Film Culture Communication Co. Ltd. © China Film Creative Co.Ltd.

『飛行家』より © Shanghai Maoyan Pictures Co. Ltd. © Beijing Pineapple Street Film Culture Communication Co. Ltd. © China Film Creative Co.Ltd.

空を飛ぶ――それは、叶わぬ夢か、それとも生きる証か。ポンフェイ監督の最新作『飛行家』は、1970年代から現代にかけての中国社会の変貌を背景に、空への憧れを捨てられない男の人生をユーモラスかつ繊細に描く。

中国東北地方に暮らす労働者リー・ミンチーは、自作の飛行装置で空を飛ぶ夢を追い続けるが、実験はことごとく失敗する。やがて改革開放の波が押し寄せ、妻とともに廃工場をダンスホールへと改装するが、それでも彼は夢を手放さない――。

原作は『平原のモーセ』のシュアン・シュエタオによる同名小説。撮影は『わが友アンドレ』で東京国際映画祭・芸術貢献賞を受賞したリュー・ソンイエ。中国の激動する時代を、光と風の移ろいの中に刻む映像が印象的だ。個人の小さな夢を通して、国家の大きな変化を照らす寓話のような作品である。

『私たちは森の果実』-失われゆく“森の声”を記録する、リティ・パンの祈り

『私たちは森の果実』より © CDP/Anupheap/Arte

『私たちは森の果実』より © CDP/Anupheap/Arte

カンボジア北東部の山岳地帯で、先祖代々の伝統を守り続ける先住民ブノン族。リティ・パン監督の『私たちは森の果実』は、数年間にわたり彼らの生活を見つめたドキュメンタリーだ。

ブノンとはクメール語で「山」や「丘」を意味する言葉。その名の通り、自然と共生する彼らの暮らしは、気候変動や国際企業による土地開発の影響で、いま消滅の危機に瀕している。

パン監督は、豊富なアーカイブ映像と現在の記録を交錯させながら、民族文化がいかに変貌していったかを静かに提示する。これは単なる民族誌ではなく、人類が自然とどう向き合うべきかを問う“現代への黙示録”だ。『消えた画 クメール・ルージュの真実』や『照射されたものたち』に続き、リティ・パンが辿る映画的探求の最新到達点。

作品情報

『マザー』
監督・脚本:テオナ・ストゥルガル・ミテフスカ
脚本:ゴツェ・スミレフスキ、エルマ・タタラギッチ
撮影:ヴィルジニー・サン=マルタン
編集:ペア・K・キルケゴール
美術:ヴーク・ミテフスキー
衣装:クロディーヌ・ティション
音楽:マガリ・グリュセル、フレミング・ノアクロウ
出演:ノオミ・ラパス、シルヴィア・フークス、ニコラ・リスタノフスキ
2025年/ベルギー・北マケドニア/104分/英語
© Entre Chien et Loup Sisters and Brother Mitevski

『母なる大地』
監督・脚本・作曲:チョン・キット・アン
プロデューサー:ウォン・キュースン、ステファノ・チェンティーニ、ゾーイ・テン
撮影:リョン・ミンカイ
音響:ドゥー・ドゥージー、フィオナ・チャン
美術:スン・ヨンチャオ
衣装:エレイン・ウー
編集:エリック・モー
音楽:イー・カーホー
出演:ファン・ビンビン、ナタリー・スー、バイ・ルンイン、パーリー・チュア
2025年/マレーシア/129分/中国語・福建語・タイ語・マレー語
© SunStrong Entertainment Sure Honest Holdings Limited AMTD Pictures Production Limited

『春の木』
監督・脚本:チャン・リュル
脚本:リウ・シューイー プロデューサー:ポン・ジン
撮影:ピャオ・ソンリー
照明:ワン・ウェンユー
編集:リウ・シンジュー
音響:ワン・ラン
美術:ジェン・イーツァン
衣装:リャン・ジェンアル
出演:バイ・バイホー、ワン・チュアンジュン、リウ・ダン、ポン・ジン
2025年/中国/121分/中国語

『パレスチナ36』
監督・脚本:アンマリー・ジャシル
撮影:エレーヌ・ルヴァール
編集:タニア・レディン
音楽:ベン・フロスト
出演:ヒアーム・アッバース、カメル・アル・バシャ、ヤスミン・アル・マスリー、ロバート・アラマヨ、サーレフ・バクリ、ジェレミー・アイアンズ
2025年/パレスチナ・イギリス・フランス・デンマーク/119分/アラビア語・英語

『虚空への説教』
監督・脚本・撮影・編集・プロデューサー:ヒラル・バイダロフ
音楽:カナン・ルスタムリ
音響:ディエゴ・ロザーノ
エグゼクティブ・プロデューサー:オグズ・トゥムクル
出演:フセイン・ナシロフ、マリヤム・ナギエヴァ、ラナ・アスガロワ、エルシャン・アッバソフ、オルカン・イスカンダルリ
2025年/アゼルバイジャン・メキシコ・トルコ/113分/アゼルバイジャン語

『飛行家』
監督・脚本:ポンフェイ
原作・脚本:シュアン・シュエタオ
脚本:シュー・イージョウ
撮影監督:リュー・ソンイエ
美術監督:リウ・チン
プロデューサー:ツァイ・ミンヤン、ソン・ズージェン
チーフ・プロデューサー:レン・シャオイー、マー・シャン
エグゼクティブ・プロデューサー:ワン・ホンウェイ
出演:ジャン・チーミン、リー・シュエチン、ドン・バオシー、ジャン・ウー、ドン・ズージェン
2025年/中国/118分/中国語
© Shanghai Maoyan Pictures Co. Ltd. © Beijing Pineapple Street Film Culture Communication Co. Ltd. © China Film Creative Co.Ltd.

『私たちは森の果実』
監督・撮影・編集:リティ・パン
録音:ヴァン・セレイラタナク、コー・スレイ・ニット
音響:エリック・ティセラン
撮影:モーン・ヴェット、チェン・ソチート、ソク・チャン・ラド、プルム・メサ
音楽:マーク・マーダー
プロデューサー:カトリーヌ・デュサール
共同プロデューサー:ファブリス・ピュショー
出演:“父”、“母”、“祖母”
2025年/カンボジア・フランス/87分/ブノン語
© CDP/Anupheap/Arte

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