世界各国の個性豊かな15作品が競う-東京国際映画祭コンペティション部門全作品紹介の前半8作品。
第38回東京国際映画祭のコンペティション部門には、世界各地から多彩な才能が集結した。社会や個人の境界を見つめる静かなドラマから、ユーモアと風刺を交えた寓話的作品まで、その表現は実に幅広い。
本稿では、上映作の中から前半として8作品を取り上げ、それぞれのストーリーと監督の背景を整理する。アジアを代表する巨匠から、新鋭監督による初長編まで、国境もジャンルも超えて展開される物語群が、今年の映画祭にどのような問いと熱量をもたらすのか。その多様な世界を概観していく。


『アトロピア』-架空の砂漠都市で現実と虚構が交錯する、ヘイリー・ゲイツ監督デビュー作

『アトロピア』より
中東を模した架空都市「アトロピア」を舞台に、戦争と映画、現実と訓練が入り混じる風刺ドラマ。米軍兵士の訓練用に建設されたこの“砂漠の都市”で、イラク系アメリカ人の女優、若い兵士、そして潜入ジャーナリストの三者が交錯していく。
監督・脚本を手がけるのは、ニューヨークを拠点に活動するヘイリー・ゲイツ。2019年にヴェネチア映画祭で上映された短編『Shako Mako』を長編化し、初の劇場用長編として完成させた。前作に主演したアリア・ショウカットが本作でも主演を務め、カラム・ターナー、クロエ・セヴィニーが共演する。
軍事訓練の舞台が「映画セット」として再構築される構図を通じて、戦争とエンターテインメントのあいだに潜む緊張と皮肉を描き出す。プロデューサーには『君の名前で僕を呼んで』(2017)のルカ・グァダニーノが名を連ね、作品にさらなる注目を集めている。仮想空間、訓練と現実の戦争、その曖昧な境界を見つめながら、「物語」と「現実」がどこまで入れ替わるのかを問う意欲作だ。
『金髪』-大人になりきれない教師が直面する“現代社会のリアル”

© 2025「⾦髪」製作委員会
中学校教師を主人公に、学校という小さな社会で起きる“大騒動”を通して、現代の教育現場やネット社会の歪みを描く社会派ドラマ。監督は『決戦は日曜日』(2022)などで知られる坂下雄一郎。オリジナル脚本による鋭い視点で、SNSや報道、ブラックな職場環境といった現代日本の問題をリアルにあぶり出す。
主演を務めるのは、俳優としても着実に評価を高める岩田剛典。これまでのクールなイメージとは一線を画し、教師として、そしてひとりの“未成熟な大人”として揺れる等身大の姿を体現する。共演には、『流浪の月』(2022)の白鳥玉季、『あのこは貴族』(2020)の門脇麦、さらに山田真歩、田村健太郎、内田慈ら実力派俳優が脇を固める。
“知ってるふり、気づかないふり、大人のフリ”――そんな言葉が象徴するように、登場人物たちは“フリ”を重ねながら、現実と向き合う瞬間を迎える。ユーモアを交えつつ、観る者に「本当の大人とは何か」を問いかける一作だ。
『恒星の向こう側』-中川龍太郎が描く“母と娘の赦し”の物語、三部作の終着点

© 2025映画「恒星の向こう側」製作委員会
『走れ、絶望に追いつかれない速さで』(2015)、『四月の永い夢』(2017)に続く中川龍太郎監督の三部作最終章。母の余命を知り故郷へ戻った娘・未知と、愛を拒みながらも娘を想う母・可那子の対話を通して、世代を超えて受け継がれる“愛のかたち”を繊細に描く。
福地桃子、寛一郎、河瀨直美のほか、朝倉あき、南沙良、三浦貴大、久保史緒里、中尾幸世といった多彩なキャストが脇を固める。
母の残した一本のテープを通じて、娘が“もうひとつの愛”の存在を知る未知が受け取るものとは……。音楽にはharuka nakamuraが参加し、世界観をより深く支える。
『ポンペイのゴーレム』-アモス・ギタイが神話と文学を重ねた演劇記録ドキュメンタリー

『ポンペイのゴーレム』より ©AGAV FILMS, Photo by Simon Gosselin
2025年6月、イタリア・ポンペイで開催された演劇祭で披露された、アモス・ギタイ演出による舞台劇「ゴーレム」を記録したドキュメンタリー作品。
物語は中世ヨーロッパを舞台に、カバラ神話に登場する土人形「ゴーレム」をめぐる伝説を軸に展開する。多くの文学作品で取り上げられてきたテーマだが、本作ではノーベル文学賞作家アイザック・バシェヴィス・シンガーによる児童小説『The Golem』から着想を得ており、さらに冒頭ではヴァージニア・ウルフの戦時下エッセイ「Thoughts on Peace under an Air Raid」が引用されている。
ギタイ作品の常連であるイレーヌ・ジャコブ、ミシャ・レスコーらが出演し、演劇と映像の境界を超える形で“創造と破壊”“言葉と沈黙”を往還する世界を描く。長年にわたりフィクション、ドキュメンタリー、実験映像、演劇など多彩な形式に挑み続けてきたギタイ監督の芸術的集大成ともいえる一本であり、ポンペイという歴史的舞台の持つ「時間の層」を映像に刻みつける。
『裏か表か?』-西部劇の幻想が交錯する、20世紀初頭イタリアの逃亡劇

『裏か表か?』より © Ring Film Cinema Inutile Andromeda Film Cinemaundic
20世紀初頭の北イタリアの農村地帯を舞台に、アメリカから渡ってきた「ワイルド・ウエスト・ショー」の一座と、そこで出会う男女の運命を描く物語。
暴力的な地主ルイジのもとで抑圧された生活を送るローザは、ショーの牧童サンティーノと出会い、心を奪われる。やがて酒場での争いの中、サンティーノはルイジを撃ち殺してしまい、二人は追われる身となる。自由を求めて山岳地帯へ逃れるその姿は、アメリカ西部劇の神話とヨーロッパの現実を交錯させる。
監督は、アレッシオ・リゴ・デ・リーギとマッテオ・ゾッピスの共同コンビ。ドキュメンタリー『Il Solengo』(2015)や『The Tale of King Crab』(2021)で知られる2人が、今回も民話的な語り口と詩的映像で、伝承とフィクションのあいだにある「語りの力」を探る。
ローザを演じるのはナディア・テレスキウィッツ、サンティーノ役にアレッサンドロ・ボルギ、そして実在の興行師バッファロー・ビルをジョン・C・ライリーが演じる。
西部劇の幻想がヨーロッパへと渡り、そこに生まれた“もうひとつのフロンティア”を描く本作は、伝説と現実のあいだを行き来する壮大な逃亡ロマンスとなっている。
『雌鶏』-ニワトリの視点で描く、人間社会への風刺と寓話

『雌鶏』より © Pallas Film 2025 film, still by DOP Giorgos Karvelas
全編を通して“ニワトリの視線”から物語が展開する、極めてユニークな作品。養鶏場から逃げ出した一羽のニワトリが、かつてレストランだった建物の中庭に逃げ込み、そこで束の間の安息を得る。しかし、そのニワトリが産む卵をめぐり、人間たちの間で争いが勃発。やがてニワトリ自身が卵を守るために立ち向かう。
監督は『ハックル』(2002)や『タクシデルミア ある剥製師の遺言』(2006)などで知られるパールフィ・ジョルジ。CGIやAIを使用せず、動物トレーナーの指導のもとで8羽の本物のニワトリを起用して撮影が行われた。
ギリシャを舞台に、滑稽でありながらも人間の欲望や社会格差を批評的に映し出す寓話として成立している。映像的実験性と社会風刺が融合した、監督ならではの新たな挑戦作だ。
『マリア・ヴィトリア』-父と娘、そして失われた家族の再生を描くポルトガル発の成長物語

『マリア・ヴィトリア』より ©APM
ポルトガルの山岳地帯に暮らす少女マリア・ヴィトリアは、プロのサッカー選手を目指して日々トレーニングに励んでいる。コーチは彼女の父。母を亡くして以来、父娘二人で懸命に支え合ってきたが、ある日、長く家を離れていた兄が突然帰郷する。
父と兄の激しい衝突を目の当たりにしたマリアは、これまで信じてきた父の絶対的な存在に疑念を抱き始める。やがて迎える大切な試合の日、彼女は初めて自らの意思で“未来を蹴り出す”瞬間に立ち会う。
本作は、父の支配からの解放と自己確立を描いた成長ドラマであり、同時に喪失と再生の物語でもある。監督は、熊本県で幼少期を過ごした経験を持つポルトガル出身のマリオ・パトロシニオ。これまでドキュメンタリーで評価を得てきた彼の初の長編劇映画で、家族の絆とアイデンティティを静かに見つめている。
『死のキッチン』-料理で復讐する女性、ペンエーグ監督が放つ異色の復讐劇

『死のキッチン』より ©185 Films
地方の伝統的なムスリム社会を追われ、都会のレストランで働く女性シェフ サオ。彼女はバンコクの高級レストランで充実した日々を送っていたが、ある日、過去に心身ともに彼女を傷つけた男性が目の前に現れる。サオはその男が自分の存在に気づいていないことを利用し、料理の技術を武器に復讐を企てる。
「料理による復讐」という一見奇抜なモチーフを、ペンエーグ・ラッタナルアーン監督は静かな緊張感とブラックユーモアをもって描く。撮影を担当するのは、名匠クリストファー・ドイル。彼が同監督とタッグを組むのは『インビジブル・ウェーブ』(2006)以来であり、官能的な映像美が物語に妖しい深みを与えている。
また、『地球で最後のふたり』(2003)と『インビジブル・ウェーブ』で主演を務めた浅野忠信が、アーティスト役として特別出演している点も注目だ。異文化、宗教、暴力、そして料理――それらが交錯するバンコクを舞台に、味覚と感情が入り混じる独特のサスペンスが生まれている。


作品情報
『アトロピア』
監督・脚本:ヘイリー・ゲイツ
撮影:エリック・K・ユエ
音楽:ロバート・エイムズ
出演:アリア・ショウカット、カラム・ターナー、クロエ・セヴィニー
2025年/アメリカ/103分
『金髪』
監督・脚本:坂下雄一郎
音楽:世武裕子
撮影:月永雄太
出演:岩田剛典、白鳥玉季、門脇麦、山田真歩、田村健太郎、内田慈
2025年/日本/103分
© 2025「金髪」製作委員会
『恒星の向こう側』
監督・脚本・編集:中川龍太郎
音楽:haruka nakamura
撮影:上野千蔵
出演:福地桃子、河瀨直美、寛一郎、朝倉あき、南沙良、三浦貴大、久保史緒里、中尾幸世
2025年/日本/91分
© 2025映画「恒星の向こう側」製作委員会
『ポンペイのゴーレム』
監督:アモス・ギタイ
原作:アイザック・バシェヴィス・シンガー、ヴァージニア・ウルフ
撮影:ダン・ブロンフェルド
音楽:アレクセイ・コチェトコフ、キウマルス・ムサイェビ
出演:イレーヌ・ジャコブ、ローラン・ナウリ、ミナス・カラワニー、ミシャ・レスコー
2025年/フランス/107分
©AGAV FILMS, Photo by Simon Gosselin
『裏か表か?』
監督・脚本:アレッシオ・リゴ・デ・リーギ、マッテオ・ゾッピス
脚本:カルロ・サルサ、マリアナ・チャウド
撮影:シモーネ・ダルカンジェロ
音楽:ヴィットリオ・ジャンピエトロ
出演:ナディア・テレスキウィッツ、アレッサンドロ・ボルギ、ジョン・C・ライリー
2025年/イタリア・アメリカ/116分
© Ring Film Cinema Inutile Andromeda Film Cinemaundic
『雌鶏』
監督・脚本:パールフィ・ジョルジ
脚本:ルットカイ・ジョーフィア
撮影:ジョルゴス・カルヴェラス
音楽:スーケ・サボルチ
編集:レムヘーニ・レーカ
美術:コンスタンディノス・ザマニス
出演:ヤニス・コキアスメノス、マリア・ディアコパナヨトゥ、アルギリス・パンダザラス
2025年/ギリシャ・ドイツ・ハンガリー/96分
© Pallas Film 2025 film, still by DOP Giorgos Karvelas
『マリア・ヴィトリア』
監督・脚本:マリオ・パトロシニオ
プロデューサー:アナ・ピニャオン・モウラ
撮影:ペドロ・J・マルケス
編集:クラウディア・シルヴェストレ
音楽:エドガル・ヴァレンチ
出演:マリアナ・カルドーゾ、ミゲル・ボルジェス、ミゲル・ヌネス
2025年/ポルトガル/114分
©APM
『死のキッチン』
監督・脚本:ペンエーグ・ラッタナルアーン
撮影:クリストファー・ドイル
編集:パッタマナダー・ユコン
音響:アクリットチャラァーム・カラヤナミット
プロデューサー:ソーロス・スクム
出演:ベラ・ブンセーン、クリット・シープームセート、ノパチャイ・チャイヤナーム、浅野忠信
2025年/タイ/96分
©185 Films


