東京国際映画祭で上映された『春の木』を紹介&レビュー。
『春の木』概要
かつて夢見た成功をつかめなかった女優が、四川省の故郷へと帰る。チャン・リュル監督の最新作『春の木』は、故郷を離れたことで地元の方言を話せなくなった女性が、自らのアイデンティティを取り戻していく姿を描く。
中国と韓国を拠点に活動するチャン監督は、『キムチを売る女』(2005)や『柳川』(2021)など、人間の内面を静かに掘り下げる作品で知られる。本作では、長年にわたり中国映画を支えた四川・峨眉撮影所の旧スタジオを舞台に、消えゆく土地の記憶と、そこに生きる人々の声を映し出す。
アイデンティティのない根無し草
本作の核となるのは、俳優として挫折しかけている女性・春樹(バイ・バイホー)が「成都の方言で喋れないこと」を理由にオーディションに落ち、方言の喋れない成都へと帰る——いや、“行く”というプロットだ。方言とは、故郷への帰属意識に深く結びついたアイデンティティのひとつである。

『春の木』より
筆者自身は神奈川育ちで標準語との距離が近いため、この感覚に完全に共鳴できているかは定かでない。だが、普段は標準語で話している関西や九州出身の友人たちが、同郷の人間と会った途端に方言全開で語り合う光景を目にすることはある。そのとき、彼らの会話には独特の絆が宿っているように感じられる。こうした経験は、多くの人に覚えがあるのではないだろうか。
もし同じ出身地を持ちながら、自分の口から方言がスラスラと出てこなくなったとしたら——それは単なる言語能力の問題ではなく、アイデンティティの一部が失われたことを意味する。
春樹はやりたいことで成功できず、故郷にまつわるアイデンティティを失い、さらに奔放なシングルマザーの母親との関係もあまりよくない。根無し草とはまさにこのことで、彼女には”帰る”ところがないのだ。
人間関係も居場所をくれない

『春の木』より
本作で紡がれる春樹の人間関係も、この不安定さを体現している。
認知症なのかそうでないのか、のらりくらりとした態度のかつての演技の師匠。その息子として成都にいる青年・冬冬は、春樹に近づきたいのかそうでもないのか、こちらも読めない煮え切らなさを見せる。ちゃらんぽらんな母親と、その謎めいたボーイフレンド。
犬と違って考えが読めないこともある猫がペットであることも含めて、春樹に対してストレートでわかりやすい愛情を示し、安心できる居場所になってくれる人物がひとりも存在しない。
停滞したまま続く人生のリアル
そんな孤独な女性の人生の流浪を、本作はぎこちない会話やシュールなコメディを交えながら、淡々と描き続ける。春樹の感情の起伏は上にも下にもそこまで揺れ動かず、“ちょっと下”で停滞したまま、時間だけが過ぎていく。
最後に流れるピアノは、ドレミまではクリアなのに、ファより上は部屋に反響しているのか妙に濁っている。そんな調子の狂ったピアノのように、ずっとなんとも言えない状態のまま、人生が続いていく。いい意味で眠くなるほど心地よい、このリアルかつシュールな空気を、ずっと浴びていたくなった。

『春の木』より
成都と峨眉撮影所
そして本作で大切なのは、監督にとって思い入れのある成都と、取り壊しが決まった峨眉撮影所という要素だ。愛とこだわりの詰まった街の撮影は、非常に印象的で美しい。

『春の木』より
人々の思い出や記憶が刻まれた場所も、時の流れとともに消えていってしまう。そんな都市へのノスタルジーと、人生の諸行無常が画面に漂い続ける——そんな“人と土地”の物語として『春の木』は完成されていた。
作品情報
『春の木』
監督・脚本:チャン・リュル
脚本:リウ・シューイー プロデューサー:ポン・ジン
撮影:ピャオ・ソンリー
照明:ワン・ウェンユー
編集:リウ・シンジュー
音響:ワン・ラン
美術:ジェン・イーツァン
衣装:リャン・ジェンアル
出演:バイ・バイホー、ワン・チュアンジュン、リウ・ダン、ポン・ジン
2025年/中国/121分/中国語
ライター/エディター/映画インスタグラマー。2019年に早稲田大学法学部を卒業。東京都職員として国際業務等を経験後、ライター業に転身。各種SNS(Instagram・X)やYouTubeチャンネル「cula 見て聞く映画マガジン(旧:アルテミシネマ)」においても映画や海外ドラマ、音楽といったカルチャーに関する情報レビューを発信している。
