新作映画『オブセッション 災愛』 を紹介&解説するレビュー。
愛は、ときに人を狂わせる。だが本作が突きつけてくるのは、狂ってしまった者の恐ろしさではない。狂わせてしまった者の、取り返しのつかなさのほうだ。
7月17日(金)に日本公開を迎える『オブセッション 災愛』は、たった一つの“願い事”から連鎖していく悲劇を、ホラーエンタメの意匠に包んで描き出す。YouTube発の映像作家カリー・バーカーが放つ本作は、派手な外観の下に、驚くほど繊細で嫌な感触を忍ばせた一作である。
【本作のあらすじ・作品情報・キャラクター(キャスト)紹介はこちら】
最も常軌を逸しているのは、誰だったのか
好きすぎるあまり狂気に呑まれてしまう人がいる。かつて好きだった相手から追われた途端に熱が引いたり、向けられる愛情の重さに耐えかねて距離を置きたくなったりすることもある。恋愛感情とは、まったくもって厄介な代物だ。本作は、そうして暴走し一線を越えてしまう“恋の面倒臭さ”を、ホラーエンタメとして仕立て直した一作である。
主人公ベアの“願い事”をきっかけに、彼を好きで好きでたまらなくなってしまったニッキー。その行動が次第に常軌を逸し、やがて誰の手にも負えなくなっていく過程は、単純にスリリングだ。ただし、本作が観客に強く抱かせるのは「愛に狂ったヤンデレ、怖え〜」という戦慄ではない。むしろ「主人公はなんでそんなことをしてしまったんだ……」という、居心地の悪い後悔にも似た感情のほうである。
というのも、他人の自由意思を奪い、自分に向けて最大の愛情を注がせようとした発端の行為こそが、作中で描かれるどんな逸脱よりも常軌を逸しているからだ。他者の心を自分の都合で書き換えたいと願うこと──本作の恐怖は、その欲望そのものの危うさに根を張っている。
“ノーチャン”には見えない恋も、あとの祭り
しかも、冒頭の場面だけを切り取って見れば、これはそこまで“完全に脈ナシの恋”とも思えない。自力で踏み込めそうな空気すら十分に漂っていた。ただ、ベア自身が、あと一歩の勇気が出なかった。その結果として願い事に手を伸ばしてしまった、それだけのことなのだ。だからこそ、そこから立て続けに起きる数々の悲劇を前に、観客は「なんであんなことを」という感覚を最後まで手放せない。
見た目も、起きる出来事も、派手なエンタメの空気感をまとっている。にもかかわらず、観ている側に残るのは意外にも繊細で、後味の悪い感情だ。この落差こそが、本作の予想外の手触りだった。
『ミザリー』を期待すると、少し裏切られる?
逆に言えば、“ヤンデレホラー”としての過剰さは、それほど前面に出てこない。コンセプトだけを聞けば、『ミザリー』的な、いわゆる“超ヤンデレ”の域を期待したくなる。だが実際に重心が置かれているのは、狂気的な執着そのものよりも、ニッキーの“自分の意思に反しておかしくなってしまう”という側面のほうだ。愛が暴走する物語というより、意思が奪われて暴走させられていく物語として設計されている──そう受け取るのが、本作には近い。
そうして壊れていくニッキーを演じたインディ・ナバレッテが、実に見事で印象的だ。冒頭のさっぱりとした抑制の効いた人格、タガが外れて狂気に呑まれた人格、そして時折、本来の自分を取り戻そうともがく瞬間──いくつもの位相を行き来する難役を、彼女は魅力的に、そして狂気的に演じきった。今後の動向を追いかけたい俳優である。
近年のホラーの潮流を捉える一本として
監督のカリー・バーカーは、YouTube発の映像作家として注目を集めてきた人物である。『バックルームズ』のケイン・パーソンズしかり、『ブリング・ハー・バック』のフィリッポウ兄弟しかり、YouTuber出身の作り手たちがもはや侮れない存在となった時代であることを、本作もまた実感させてくれる。
低予算ホラーならではの密度と、アイデア一本で勝負する鋭さ。その両方を兼ね備えた作品として、近年のホラーの潮流を捉えるうえでも、ぜひスクリーンで目撃していただきたい一本だ。
『オブセッション 災愛』は、7月17日(金)より日本公開。あの日、あの場面で、勇気を出して一歩を踏み出していたなら──そんな詮無い問いを抱えたまま劇場を出ることになる、忘れがたい作品だ。
