映画『ファースター 怒りの銃弾』(2010)を紹介&解説。
映画『ファースター 怒りの銃弾』概要
映画『ファースター 怒りの銃弾』は、ジョージ・ティルマン・Jr監督が放つ、復讐に駆られた男の疾走を描く、容赦なき男のハードボイルドなクライムアクション。10年の服役を終えた男が、兄を殺し自らを陥れた者たちへの報復に動き出し、刑事と殺し屋にも追われる。主演はドウェイン・ジョンソン、共演にビリー・ボブ・ソーントン、オリヴァー・ジャクソン=コーエン。
作品情報
日本版タイトル:『ファースター 怒りの銃弾』
原題:Faster
製作年:2010年
日本公開日:2011年5月21日
ジャンル:アクション/スリラー
製作国:アメリカ
原作:無
上映時間:98分
監督:ジョージ・ティルマン・Jr.
脚本:トニー・ゲイトン/ジョー・ゲイトン
製作:マーティン・シェイファー/リズ・グロッツァー/トニー・ゲイトン/ロバート・テイテル
撮影:マイケル・グレイディ
編集:ダーク・ウェスターヴェルト
作曲:クリント・マンセル
出演:ドウェイン・ジョンソン/ビリー・ボブ・ソーントン/オリヴァー・ジャクソン=コーエン/カーラ・グギーノ/マギー・グレイス/ムーン・ブラッドグッド/アドウェール・アキノエ=アグバエ/トム・ベレンジャー
製作:CBSフィルムズ/トライスター・ピクチャーズ/キャッスル・ロック・エンターテインメント/ステート・ストリート・ピクチャーズ
配給:CBSフィルムズ(アメリカ)/ソニー・ピクチャーズ・リリーシング(国際)
あらすじ
現代のアメリカ西部。10年の服役を終えた男ドライバーは、兄を殺し自分を陥れた者たちへの復讐だけを胸に出所する。出所直後から標的を追って動き出した彼は、関係者を次々と襲撃していく。やがて事件を追う刑事や雇われた殺し屋も絡み、復讐劇は思わぬ方向へ加速していく。
主な登場人物(キャスト)
“ドライバー”/ジミー・カレン(ドウェイン・ジョンソン):10年の服役を終えて出所し、兄を殺し自分を陥れた者たちへの復讐に動き出す主人公。寡黙で一直線な人物として描かれ、物語全体を牽引する。
“コップ”(刑事)/スレイド・ハンフリーズ(ビリー・ボブ・ソーントン):連続殺人事件を捜査し、ドライバーを追うベテラン刑事。自身も薬物の問題を抱えている。
“キラー”(殺し屋)(オリヴァー・ジャクソン=コーエン):ドライバーの抹殺を依頼された殺し屋。追う側でありながら、標的に対して異様な執着を強めていく。
シセロ刑事(カーラ・グギーノ):ハンフリーズの相棒として捜査に当たる刑事。復讐劇の裏にある過去の事件を掘り起こし、真相へ迫っていく。
リリー(マギー・グレイス):キラーの恋人。復讐と追跡が続く殺伐とした物語の中で、キラーの私生活や感情の揺れを映し出す存在である。
マリーナ・ハンフリーズ(ムーン・ブラッドグッド):スレイドの元妻。息子のことを思い、スレイドの生き方に懐疑的な態度をとる。
エヴァンジェリスト/アレクサンダー・ジャロッド(アドウェール・アキノエ=アグバエ):復讐の行き着く先で浮かび上がる伝道師。アクション一辺倒ではない本作において、“赦し”と“報復”を対置させる役目を持つ。
ゲイリー・カレン(マット・ジェラルド):ドライバーの兄。彼の死が主人公の行動原理そのものであり、全ての発端。
ナン・ポーターマン(ジェニファー・カーペンター):ドライバーの過去を知る女性。彼が失った時間や、生きられたかもしれない人生を感じさせる存在。
内容(ネタバレ)
出所直後、主人公は復讐を開始する
10年の服役を終えたドライバー/ジミー・カレンは、出所するとすぐに車と銃、そして標的の名前が記されたリストを受け取り、復讐に動き出す。彼の目的は、かつて兄を殺し、自分を死の淵に追いやった者たちをひとりずつ始末することである。最初の標的はカリフォルニア州ベーカーズフィールドの男で、ドライバーはためらいなくその男を射殺する。
警察と殺し屋、ふたつの追跡が始まる
この殺人をきっかけに、刑事スレイド・ハンフリーズと、相棒のシセロが捜査を開始する。一方で、正体不明の依頼人から、キラーとだけ呼ばれる殺し屋にもドライバー抹殺の指令が下る。こうして本作は、復讐者ドライバー、彼を追う刑事、そして彼を狙う殺し屋という三つ巴の構図へ入っていく。
ドライバーは次の標的を追い、過去の事件の輪郭が見え始める
ドライバーは旧知のロイ・グローンを脅して次の標的の情報を聞き出し、さらに復讐を進める。次に狙われるのは、過去の犯罪に関わった、狂気じみた壮年男性ケネス・タイソンで、ドライバーは彼も仕留める。その直後、現場付近でキラーと直接対峙し、銃撃戦の末に辛くも逃走する。この接触によって、キラーは単なる仕事以上の執着をドライバーに抱き始め、婚約者の心配にも耳を貸さなくなっていく。
10年前の襲撃事件が、現在の復讐とつながっていく
警察側は捜査を進める中で、ドライバーが10年前の強奪事件の生存者であり、その際に兄を目の前で殺されたことを突き止める。さらに、彼自身も頭部を撃たれながら生き延びていたことがわかる。ドライバーの行動は単なる連続殺人ではなく、過去の裏切りに対する報復であることが次第に明らかになっていく。ハンフリーズ刑事は、この世への絶望を抱えた元妻が薬物に頼っている姿を目撃、悪に立ち向かう決意を固める。
元恋人との再会で、失われた時間の重みが示される
復讐を続けるドライバーは、かつての恋人ナン・ポーターマンのもとも訪れる。ここでは、彼が奪われたのが自由だけではなく、本来あり得たはずの人生でもあったことが静かに示される。ナンはドライバーとの間に身籠った子どもを中絶、すでに別の人生を歩んでおり、ドライバーはショックを受ける。この場面はドライバーが復讐の一本道を進んでいくことを強く印象づける。
中盤では、追う者たちとの距離が一気に縮まる
その後、ドライバーは次の標的であるホーヴィス・ニクソンを襲撃するが、相手は即死せず病院へ運ばれる。ハンフリーズ刑事もキラーも、ドライバーが“とどめ”を刺しに再び現れると読み、病院へ向かう。ここから物語は、単なる復讐劇から、ドライバー・警察・キラーが同じ場所で交錯する追走劇へと加速していく。
病院での襲撃と、追跡の激化
病院へ運ばれたホーヴィス・ニクソンを、ドライバーは手術中に殺害する。現場に踏み込んだハンフリーズ刑事は彼との戦いに敗北するが、ドライバーは彼を殺すことはなくその場を去る。その直後、ドライバーは再びキラーに追いつかれる。ふたりは高速道路で激しいカーチェイスを繰り広げ、キラーはドライバーの首を撃ち抜くことに成功する。だがドライバーは致命傷を負いながらも生き延び、なお復讐をやめない。
黒幕は父ではないと判明する
ドライバーは、自分と兄ゲイリーを裏切ったのは父親で、奪った金を渡さなかったことへの報復だったのだと考える。ところが母に会い治療を受けた際に、父は何年も前にすでに死亡していたことがわかる。ここでドライバーは、復讐の前提そのものが誤っていたと気づき、真の裏切り者が別にいると悟る。
裏切りの中心にいた人物が明らかになる
真相を追う中で、ドライバーは兄ゲイリーの恋人だったマリーナ・ハンフリーズこそが、10年前の襲撃に関与していた人物だと知る。彼女は金の在りかを狙って情報を流しており、その結果、兄弟は待ち伏せされることになった。しかも彼女は現在、ハンフリーズ刑事の元妻であり、事件は単なる過去の犯罪ではなく、刑事側の私生活とも深く結びついていたことが浮かび上がる。
ハンフリーズ刑事の裏の顔
終盤に近づくにつれ、ハンフリーズ自身もまた清廉な捜査官ではないことが明らかになる。彼は10年前の一件に深く関わっており、金をめぐる利害から兄弟を追い詰めた側のひとりだった。現在の捜査も純粋な職務ではなく、自らの過去を隠し、残された金へたどり着くための行動だったことが見えてくる。物語はここで、復讐者と追跡者の立場が単純ではないものへ変わる。
キラーの最期
一方のキラーは、依頼として始めたはずの追跡を次第に個人的な勝負として受け止めるようになっていた。ドライバーに執着した彼は最後まで勝負を挑もうとするが、そこへハンフリーズが現れ邪魔をされたことで、その思いは遂げられずに終わる。彼の存在は、金や因縁ではなく“勝負そのもの”に取りつかれた人物として、ドライバーとは別種の暴力性を象徴していた。
ドライバーは最後の標的と向き合う
すべての因果がつながった先で、ドライバーはハンフリーズと対峙する。ハンフリーズはドライバーを殺した気で立ち去るが、最終的に生きていたドライバーは彼を撃ち、自らの復讐を完遂する。ここに至って、兄の死から始まった“リスト”はようやく終わりを迎える。
魅力&テーマ解説
“役割”で走る人物たち―現代に置き換えられた西部劇の様式美
本作の面白さは、まず復讐劇の骨格をそのまま現代のクライムアクションへ移し替えたような様式美にある。主人公たちは固有名よりも“ドライバー”“コップ”“キラー”といった役割名で強く印象づけられ、それぞれが車や武器、服装、立ち居振る舞いに至るまで、自分だけの流儀を背負って現れる。監督のジョージ・ティルマン・Jr.も、各人物に固有の車や銃、音楽を与え、都市部を避けて山や荒野のような風景の中で撮ることで、現代アメリカの郊外がメインの舞台であるにもかかわらず、西部劇的な感触が実現している。
そのため本作では、単に誰が善で誰が悪かという話ではなく、それぞれの人物がどんな“ルール”で生きているのかが前面に出る。復讐にのみ突き進むドライバー、くたびれた刑事として事件を追うコップ、そして美意識すら感じさせるキラーという三者の配置は、まるで現代に蘇ったガンマンたちのようでもある。さらに、キラーの着信音に『続・夕陽のガンマン』の旋律を忍ばせる演出も、本作がセルジオ・レオーネ的な西部劇の記憶を意識的に引き寄せていることを感じさせる。
復讐の先に残るのは救いではなく業―寡黙な地獄巡りとしてのハードボイルド
本作が印象的なのは、復讐劇でありながら、そこに爽快感よりも“業”の重さが強く残ることである。ドライバー(ドウェイン・ジョンソン)は多くを語らず、何かを訴えるより先に引き金を引く。その寡黙さは単なる無口なヒーロー像ではなく、すでに言葉で埋められる段階を過ぎた人間の空洞を思わせる。
だからこそ本作では、罪と罰がきれいに整理されない。復讐する側にも消えない傷と暴力の履歴があり、追う者もまた潔白ではない。誰かが正しさを掲げて世界を正す物語ではなく、それぞれが過去の選択に絡め取られたまま、この世の地獄を引きずって進んでいく物語である。画面に漂う乾いた空気や、荒野を思わせる風景、そして説明を削いだ直線的な語り口も、そうした“救いのなさ”をいっそう際立たせる。本作は“ハードボイルド”という言葉が似合う作品だが、それは格好よさゆえというより、赦しにたどり着けない者たちの苦さを最後まで引き受けているからだ。
走り切れそうで走り切らない―タイトさと中途半端さが同居する構成
ただ、本作には惜しさもある。上映時間は98分と比較的コンパクトで、復讐劇としては本来もっと鋭く、一直線に走り切れそうなフォルムを備えている。それにもかかわらず、実際には場面によってテンポにばらつきがあり、切り詰められそうなやり取りや、もう少し短く処理できたと思える箇所も散見される。一方で、刑事やキラーの私生活、過去の傷、復讐の外側にある感情の揺れなど、ドラマとして広げられそうな要素も確かに置かれている。しかし本作はそこを深く掘り下げるわけでもなく、かといって完全に切り捨てて復讐の直線性へ振り切るわけでもない。そのため、硬派な復讐アクションとしての切れ味と、人間ドラマとしての厚みのあいだで、少々中途半端な立ち位置になってしまったような感触が残る。
もちろん、その“余白”を乾いた味わいとして受け取ることもできる。だが、ドライバー、コップ、キラーという3つの軸がこれだけ立っている作品だからこそ、なおさら「もっと無駄を削いで疾走感を強める」か、「それぞれの背景をもう一歩掘って苦味を増す」か、どちらかに踏み込んでいれば、作品の印象はさらに強くなったのではないかと感じられる。
ライター/エディター/映画インスタグラマー。2019年に早稲田大学法学部を卒業。東京都職員として国際業務等を経験後、ライター業に転身。各種SNS(Instagram・X)やYouTubeチャンネル「cula 見て聞く映画マガジン(旧:アルテミシネマ)」においても映画や海外ドラマ、音楽といったカルチャーに関する情報レビューを発信している。
