映画『ヴェリティ/真実』のマイケル・ショウォルター監督にショートインタビュー。
アン・ハサウェイ主演のサイコスリラー映画『ヴェリティ/真実』が、11月6日(金)より日本公開を迎える。全米屈指のベストセラー作家コリーン・フーヴァーの同名小説を映画化した本作は、人気作家の代筆を引き受けた女性が、その家族に隠された秘密へと迫っていく物語。ダコタ・ジョンソン、ジョシュ・ハートネットら豪華キャストが共演し、真実と嘘、愛と欲望が複雑に絡み合う世界へと観客を引き込んでいく。
メガホンを取ったのは、マイケル・ショウォルター監督。『アイデア・オブ・ユー 〜大人の愛が叶うまで〜』『ドリスの恋愛妄想適齢期』といったロマンティック・コメディや、『ビッグ・シック ぼくたちの大いなる目ざめ』『タミー・フェイの瞳』など、実在の人物や出来事に着想を得たヒューマンドラマを手がけてきた映画作家だ。
ユーモアと温かな眼差しをもって、人間の愛情や葛藤を描いてきたショウォルター監督。それだけに、官能的で不穏な空気に満ちた『ヴェリティ/真実』は、一見すると意外な新境地にも映る。しかし、これまでのフィルモグラフィーを振り返れば、ジャンルこそ異なれど、一貫して描き続けてきたものが浮かび上がってくる。
今回、culaではショウォルター監督へのショートインタビューを実施。アン・ハサウェイとの再タッグや主要キャストの共演、原作の映画化にあたってのこだわり、そして観客に委ねられた“真実”について話を聞いた。監督自身の言葉と過去作を手がかりに、『ヴェリティ/真実』に息づく映画作家としての眼差しを紐解いていく。
笑いも恋愛も実話も――人間の複雑さを見つめてきた監督
マイケル・ショウォルター監督のフィルモグラフィーを振り返ると、そのジャンルの幅広さに驚かされる。ロマンティック・コメディからヒューマンドラマ、実在の人物を題材とした伝記映画まで、手がけてきた作品は実に多彩だ。しかし、そこにはジャンルの垣根を超えて共通する、人間への温かな眼差しが感じられる。

『ラブバード』Netflixにて独占配信中
たとえば、破局寸前のカップルが思いがけず殺人事件に巻き込まれる『ラブバード』(2020)では、すれ違う男女の関係を、犯罪をめぐる騒動と軽妙な掛け合いを通して描いた。一方、ミシェル・ファイファー主演の『なんて楽しいクリスマス!』(2025)では、家族のために尽くしてきた母親が、肝心の家族から置き去りにされるという出来事を軸に、それぞれの思惑や感情が交錯するクリスマスの一幕を描いている。いずれもコメディとしての娯楽性を備えながら、身近な関係だからこそ生じるすれ違いや、立場によって異なる物事の見え方を浮かび上がらせた作品だ。
恋愛映画においても、その姿勢は変わらない。『ドリスの恋愛妄想適齢期』(2015)では、60代の独身女性が年下の同僚に恋をする姿を、ユーモアと切なさを交えて描写。主人公の大胆な行動や、時に周囲を困惑させるほどの思い込みをコミカルに描きながらも、その奥にある孤独や愛情への渇望を丁寧にすくい取っている。また、『アイデア・オブ・ユー ~大人の愛が叶うまで~』(2024)では、40歳のシングルマザーと年下の人気ミュージシャンとの恋愛を通して、年齢差や世間の視線に翻弄される女性の葛藤に寄り添った。

『アイデア・オブ・ユー ~大人の愛が叶うまで~』より © 2022 Amazon Content Services LLC
いずれの作品でも、恋愛における幸福や高揚感ばかりを描くわけではない。人を好きになることで生まれる不安や嫉妬、時には周囲を傷つけてしまうような身勝手さも、その人間を形作る一部として描き出している。登場人物たちを理想化することなく、欠点や弱さも含めて魅力的な存在へと昇華していくところに、ショウォルター監督の手腕がある。
そうした作家性は、実話を題材とした作品においても発揮されてきた。『ビッグ・シック ぼくたちの大いなる目ざめ』(2017)では、文化や宗教の違い、さらには恋人の重病という深刻な出来事に直面する人々を、温かさとユーモアをもって描いた。対立する家族にもそれぞれの事情や愛情があり、誰か一人を悪者にするだけでは解決できない。そんな複雑な人間関係に、笑いを織り交ぜながら向き合っている。

『ビッグ・シック ぼくたちの大いなる目ざめ』より © 2017 WHILE YOU WERE COMATOSE, LLC. ALL RIGHTS RESERVED.
さらに『タミー・フェイの瞳』(2021)では、華やかなメイクと独特の言動で知られ、スキャンダルにも翻弄された実在のテレビ伝道師タミー・フェイ・ベイカーの人生を映画化。世間から見える姿だけでは捉えきれない、彼女自身の信念や愛情、欲望や矛盾にも光を当てた。人物の過ちをなかったことにするのでも、世間の評価だけをもって断罪するのでもなく、その内面へと踏み込もうとする姿勢がうかがえる。
こうして振り返れば、ショウォルター監督が一貫して描いてきたのは、決して単純な善悪や固定観念では割り切れない人間の姿だと言えるだろう。誰かにとっての愛情が別の誰かにとっては重荷となり、善意から生まれた行動が他者を傷つけることもある。人間は必ずしも理性的でも、誠実でも、理解しやすい存在でもない。それでも、その内面に目を向け、さまざまな角度から人物を描いてきたのがショウォルター監督なのだ。
その意味では、『ヴェリティ/真実』もまた、これまでの作家性と地続きにある作品と捉えられる。ただし、本作ではそのアプローチが大きく変化している。これまでは人物の複雑さを描きながらも、観客がその感情に寄り添う余地を残してきた。しかし『ヴェリティ/真実』では、登場人物の内面を知ろうとするほどに疑念が深まり、誰を信じ、誰に寄り添うべきなのかさえ見失ってしまう。
人間をさまざまな角度から見つめ続けてきた監督が、今度はその人物をどう捉えるかという判断そのものを、観客に委ねているのである。

『ヴェリティ/真実』より
アン・ハサウェイへの絶大な信頼――3人の名優が生み出した相乗効果
そんなショウォルター監督が『ヴェリティ/真実』で再びタッグを組んだのが、アン・ハサウェイだ。『アイデア・オブ・ユー ~大人の愛が叶うまで~』では、年下の人気ミュージシャンとの恋に揺れるシングルマザーを演じたハサウェイ。本作では一転して、不慮の事故によって寝たきりとなったベストセラー作家ヴェリティ・クロフォードという、謎めいた役柄に挑んでいる。
ジャンルも役柄も大きく異なる2作品だが、ショウォルター監督がハサウェイに寄せる信頼は揺るぎない。再び彼女を起用した理由について尋ねると、まずは俳優としての創造性と献身的な姿勢を絶賛した。
「アンは、自分の持てるものを1000%注ぎ込んで仕事やクリエイティビティに向き合う人。いつもアイデアを考えていて、自分のキャラクターのことも、映画全体のことも常に考えているんだよ。だから監督としては、ものすごく頼りになる存在がそばにいるような感覚なんだよね」
さらに、『アイデア・オブ・ユー』で培われた信頼関係も、今回のキャスティングを後押ししたという。
「すでにお互いのことをわかっていたから、言葉にしなくても通じ合える部分もあったしね。それで、みんなで『もし彼女がヴェリティを演じてくれたら、それ以上のことはないよね』って話していた」
本作でハサウェイが体現するのは、観客がその本心を容易には読み取れない人物だ。過去を描く場面では欲望や感情をむき出しにする一方、事故後の現在では、言葉を発することなく圧倒的な存在感を放つ。表情や仕草のわずかな違いが、見る者の解釈によってまったく異なる意味を帯びていく。

『ヴェリティ/真実』より
そして、そんなハサウェイと共演するのが、主人公ローウェンを演じるダコタ・ジョンソンと、ヴェリティの夫ジェレミーに扮するジョシュ・ハートネットだ。
ジョンソン演じるローウェンは、物語の語り手でありながら、彼女自身の感情や認識すら観客に疑わせる存在。一方、ハートネット演じるジェレミーも、妻を案じる献身的な夫なのか、それとも別の思惑を秘めた人物なのか、最後まで捉えどころがない。
3人に共通するのは、いわば“意味深なポーカーフェイス”とも呼ぶべき演技だろう。何の感情も読み取れないように見える表情が、角度を変えれば、愛情にも憎悪にも、悲しみにも欲望にも映る。しかも、その曖昧さが不自然な芝居としてではなく、ごく自然な人間の振る舞いとして成立している。

『ヴェリティ/真実』より
ショウォルター監督も、そんな3人が共演する現場には特別な手応えを感じていたようだ。
「3人ともそれぞれが本当に力強くて、すばらしい俳優なんだ。そんな3人がお互いの演技を溶け合わせて、織り合わせていくのを見るのはすごくワクワクしたよ。みんなが同じトーンを共有しながら演じ合っていたしね」
さらに監督は、「3人の演技からはすばらしい相乗効果が生まれていて、それが形になっていくのを目の当たりにできたのは、本当に刺激的だったよ」と振り返っている。
誰もが何かを隠しているように見えながら、誰もが真実を語っているようにも見える。そんな危うい均衡が成立しているのは、3人の演技が互いに響き合っているからこそだろう。登場人物を単純な善悪に振り分けることなく、その複雑な内面を描いてきたショウォルター監督にとって、3人の俳優が生み出した曖昧さこそ、本作のサスペンスを支える大きな力となっている。
原作の世界を映像へ――ショウォルター監督がこだわった“原作への回帰”
そんな3人の演技によって、人間の感情や思惑が幾重にも絡み合う『ヴェリティ/真実』。その複雑な物語の土台となっているのが、全米屈指のベストセラー作家コリーン・フーヴァーによる同名小説だ。
本作では、主人公ローウェンがヴェリティの残したと思しき原稿を発見したことをきっかけに、物語が大きく動き始める。そこに綴られた内容は果たして真実なのか。それとも、作家であるヴェリティが生み出した虚構にすぎないのか。観客はローウェンとともに原稿の世界へと引き込まれていくが、やがて目の当たりにする出来事の何を信じればよいのかさえ、わからなくなっていく。
こうした文学的な仕掛けを、いかに映画という視覚的な表現へと置き換えたのか。ショウォルター監督に尋ねると、意外にも、映画化にあたって重視したのは新たな要素を加えることではなく、むしろ原作に立ち戻ることだったという。
「私が脚本を受け取った時点で、すでにすごくいい内容だったけど、ただ原作から変えられている部分がかなりあってね。だから、その脚本から実際に撮影した形に仕上げるまでに私がやったことの多くは、原作の要素を脚本に戻していく作業だった」
さらに監督は、原作ファンへの思いについても次のように語っている。
「原作の読者には、映画を観て『好きだった場面がちゃんと全部入ってる』と感じてもらえたらうれしいし、原作をうまく表現できている映画だと思ってもらえたらいいな。私が思い描いたこの物語の世界が、読者の皆さんのイメージと重なっていたらうれしいよね」
原作小説では、文章によって綴られる情報そのものが、読者の認識を揺さぶる仕掛けとして機能している。だが映画では、文字で説明された出来事が映像として目の前に現れることで、かえって確かな事実として受け止められかねない。観客に何を見せ、何を見せないのか。その選択が、物語の解釈にも大きく関わってくる。
実際、本作ではヴェリティの名前の頭文字である“V”が象徴的なモチーフとして織り込まれる一方、ローウェンの奇妙な夢や、過去の出来事を再現する映像が差し挟まれることで、現実と虚構、事実と認識の境界が少しずつ曖昧になっていく。官能的な場面にも、単なる色気にとどまらない不穏さが漂い、登場人物たちの欲望や心理を想像させる。
こうした映像表現は、物語の謎を解き明かすための手がかりであると同時に、観客をさらなる疑念へと誘うものでもある。原作の持つ文学的な複雑さを損なうことなく、映像ならではの魅惑と緊張感へと昇華しているのだ。

『ヴェリティ/真実』より
そして興味深いのは、原作への回帰を重視したショウォルター監督が、結果として、ひとつの解釈に収束することのない映画を作り上げたという点である。
原作に描かれた世界を忠実に再現することと、そこで何が起きたのかを明確に説明することは、必ずしも同義ではない。むしろ本作では、観客に解釈の余地を残すことこそが、原作の魅力を映画へと引き継ぐうえで重要だったのではないだろうか。
善悪も真実も決めつけない――観客に委ねられた“答え”と監督の作家性
登場人物たちの言動や感情が幾重にも絡み合い、最後まで真実を捉えることのできない『ヴェリティ/真実』。ショウォルター監督は、そんな本作を観た観客に何を感じ、どのような思いを持ち帰ってほしいと考えているのだろうか。

マイケル・ショウォルター監督
「観客同士で語り合えることが本当にたくさんあると思う。何が真実だと思うか、誰を信じて誰を信じないか、誰が悪役で、誰が善人なのか、とかね」
さらに監督は、本作の魅力を象徴する言葉を続けた。
「この映画の面白いところは、答えを出さないところなんだよ。実際に何が起きたのかを、はっきりとは伝えない。観客それぞれが自分で判断しなきゃいけないんだ。それこそが、この映画とこの物語の醍醐味なんじゃないかな」
この言葉は、ショウォルター監督がこれまで描いてきた作品を振り返ると、いっそう興味深く響く。
年齢や社会的な立場にとらわれず、恋する人間の切実な感情に寄り添った『ドリスの恋愛妄想適齢期』や『アイデア・オブ・ユー』。文化や価値観の違いによる対立を、誰か一人の正しさだけに帰結させなかった『ビッグ・シック』。そして、世間からの評価と本人の内面との隔たりに目を向けた『タミー・フェイの瞳』。ショウォルター監督は一貫して、ひとつの視点や固定観念だけでは捉えきれない人間の複雑さを描いてきた。
ただし、これらの作品では、登場人物の欠点や矛盾を描きながらも、その内面を理解し、共感するための手がかりが観客に与えられていた。それに対して『ヴェリティ/真実』では、そもそも登場人物の言動をどのように受け止めるべきなのかさえ定かではない。ある人物の愛情が別の角度からは執着や支配欲に映り、悲しみや献身に見えた振る舞いにも、まったく異なる思惑が潜んでいるように感じられる。
つまり本作では、人物の内面を知ることで理解を深めるのではなく、その内面を本当に理解できているのかという疑問そのものが、物語を動かす力になっているのだ。
もちろん、ショウォルター監督がこれまでの作品で描いてきた温かさと、本作の不穏さは、表面的には大きく異なる。しかし、人間は決して一面的な存在ではなく、立場や視点によってその人物像がいくらでも変わり得るという点では、両者は確かにつながっている。これまで観客を登場人物の内面へと導いてきた監督が、今度はその内面へ容易に踏み込めない世界を描き、人物を理解しようとする観客自身の眼差しを問い直しているのである。
その意味で、『ヴェリティ/真実』はショウォルター監督にとって異色の一作でありながら、これまでの作家性をさらに突き詰めた作品とも言えるだろう。

『ヴェリティ/真実』より
人は他者をどこまで理解できるのか。そして、誰かを善人あるいは悪人だと判断するとき、私たちは一体何を根拠にしているのだろうか。
監督が語るように、本作はその答えを観客に示さない。だからこそ、映画が終わったあとも、それぞれの胸の内で物語は続いていく。
ロマンティック・コメディからヒューマンドラマ、そしてサイコスリラーへ。ジャンルを横断しながら人間の多面性を見つめてきたマイケル・ショウォルター監督。その眼差しが生み出した『ヴェリティ/真実』は、観客一人ひとりに異なる“真実”を映し出す、刺激的な一作に仕上がっている。
映画『ヴェリティ/真実』は、11月6日(金)より全国公開。
マイケル・ショウォルター監督 ショートインタビュー全文
アン・ハサウェイさんとは『アイデア・オブ・ユー ~大人の愛が叶うまで~』に続くタッグとなりました。俳優としての彼女の魅力をどのように感じていますか? また、ヴェリティという役を彼女に託した理由も教えてください。
監督:アンは、自分の持てるものを1000%注ぎ込んで仕事やクリエイティビティに向き合う人。いつもアイデアを考えていて、自分のキャラクターのことも、映画全体のことも常に考えているんだよ。だから監督としては、ものすごく頼りになる存在がそばにいるような感覚なんだよね。あらゆる面で作品をより良くする方法を探し続けてくれる、最高の協力者だよ。
監督:『アイデア・オブ・ユー』で一緒に仕事をしたのが本当に楽しかったし、今回はまた組めるチャンスだった。すでにお互いのことをわかっていたから、言葉にしなくても通じ合える部分もあったしね。それで、みんなで「もし彼女がヴェリティを演じてくれたら、それ以上のことはないよね」って話していた。
アン・ハサウェイさん、ダコタ・ジョンソンさん、ジョシュ・ハートネットさんという個性的な俳優がそろっています。3人との撮影で特に印象に残っている出来事や、現場で生まれたアイデアがあれば教えてください。
監督:3人ともそれぞれが本当に力強くて、すばらしい俳優なんだ。そんな3人がお互いの演技を溶け合わせて、織り合わせていくのを見るのはすごくワクワクしたよ。みんなが同じトーンを共有しながら演じ合っていたしね。3人の演技からはすばらしい相乗効果が生まれていて、それが形になっていくのを目の当たりにできたのは、本当に刺激的だったよ。
原作を映画という視覚的な表現に置き換えるうえで、どのようなアプローチを考えましたか。
監督:私が脚本を受け取った時点で、すでにすごくいい内容だったけど、ただ原作から変えられている部分がかなりあってね。だから、その脚本から実際に撮影した形に仕上げるまでに私がやったことの多くは、原作の要素を脚本に戻していく作業だった。原作の読者には、映画を観て「好きだった場面がちゃんと全部入ってる」と感じてもらえたらうれしいし、原作をうまく表現できている映画だと思ってもらえたらいいな。私が思い描いたこの物語の世界が、読者の皆さんのイメージと重なっていたらうれしいよね。
日本でこれから『ヴェリティ/真実』を観る観客に、この作品からどんな感情や問いを持ち帰ってもらえたら嬉しいですか。
監督:観客同士で語り合えることが本当にたくさんあると思う。何が真実だと思うか、誰を信じて誰を信じないか、誰が悪役で、誰が善人なのか、とかね。この映画の面白いところは、答えを出さないところなんだよ。実際に何が起きたのかを、はっきりとは伝えない。観客それぞれが自分で判断しなきゃいけないんだ。それこそが、この映画とこの物語の醍醐味なんじゃないかな。

