新作映画『ヴェリティ/真実』 を紹介&解説するレビュー。
全米屈指のベストセラー作家コリーン・フーヴァーの同名小説を、アン・ハサウェイ主演で映画化した『ヴェリティ/真実』が、11月6日(金)に日本公開を迎える。仕事にも人生にも行き詰まった売れない作家ローウェン・アシュリー(ダコタ・ジョンソン)のもとに舞い込んだのは、交通事故で生死の境を彷徨う人気作家ヴェリティ・クロフォード(アン・ハサウェイ)に代わり、彼女のシリーズを書き継ぐゴーストライターの仕事だった。人里離れたクロフォード邸に移り住み、ヴェリティの夫ジェレミー(ジョシュ・ハートネット)と次第に距離を縮めていくローウェン。だがある日、彼女はヴェリティが綴ったと思しき不気味な”原稿”を見つけてしまう。
メガホンを取ったのは、『アイデア・オブ・ユー 〜大人の愛が叶うまで〜』でもハサウェイとタッグを組んだマイケル・ショウォルター。真実と嘘、愛と憎しみが絡み合う本作は、観る者に容易な答えを与えてはくれない。
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映画『ヴェリティ/真実』レビュー
75通り以上の“真実”――信頼できない語り手が仕掛ける迷宮
細部の選択や分岐を省き、大まかな解釈に絞ったうえで、物語の要となるいくつかの局面をパターンとして掛け合わせるだけでも、本作の“真実”は少なくとも75通り以上に及ぶだろう。それほどまでに、本作の“真実”は容易に読み解けない。
これは原作、そして監督が意図したものであり、本作は終始、いかなる“正解”=“真実”の確定も許さない構造で貫かれている。にもかかわらず、タイトル、そしてアン・ハサウェイ演じる女性の名に冠されているのは“Verity(真実)”という言葉なのだ。これ以上の皮肉があるだろうか。

『ヴェリティ/真実』より
本作は、いわゆる“信頼できない語り手”の手法に貫かれた作品である。主人公ローウェンが“作家”という職業に就いていることに加え、彼女が奇妙な夢を見る描写も差し挟まれるため、観客はこの物語を見つめる視点そのものにさえ疑いの目を向けざるを得ない。
何が本当なのか、どこまでが本当なのか。さらに、仮にひとつの“本当”が存在したとして、登場人物たちがそれをどのように認識し、解釈しているのかもまるで読み取れない。だからこそ観客は、自らが納得できる解釈を手探りで見出すほかなく、鑑賞を終えたあとも思考は頭の中を巡り続ける。そんな一作だ。

『ヴェリティ/真実』より
原作への回帰が生んだ、文学的なサイコスリラー
マイケル・ショウォルター監督は、脚本段階で原作から改変されていた箇所を、あらためて原作の内容へと立ち戻らせる作業を行ったという。『IT ENDS WITH US』においても“真実”をめぐる視点を大きく揺さぶってみせた原作者コリーン・フーヴァー。その物語の力に全幅の信頼を寄せた本作は、なるほど描写の端々にもどこか文学的な趣が感じられる。
“Verity”の頭文字である“V”を象徴的なモチーフとして随所に織り込みながら、ヴェリティの物語とジェレミーの語り口に少しずつ侵食されていくローウェンの姿を、サイコスリラーの筆致で描き出していく。

『ヴェリティ/真実』より
劇中には官能的な場面も含まれ、そうしたシーンには確かな色気と抗いがたい魅惑が宿っている。それでいて不思議と下品に映らないのは、作品全体に行き届いた絶妙なバランス感覚の賜物だろう。
何の感情にも見え、何の感情にも見える――3人の“意味深なポーカーフェイス”
この独特の世界観を支えているのが、アン・ハサウェイ、ダコタ・ジョンソン、ジョシュ・ハートネットの3人による演技である。いずれも“意味深なポーカーフェイス”が見事というほかない。何の感情も読み取れない表情が、見る角度によってはあらゆる感情を宿しているようにも映る――そんな演技の魔法を、3人が揃って体現しているのだ。

『ヴェリティ/真実』より
『アイデア・オブ・ユー』に続いて監督とタッグを組んだハサウェイは、記録を再現するパートでは自らの感情や欲望に翻弄される、能動的で生気に満ちた人間味あふれる女性を演じる。その一方で現在のパートでは、言葉を発せずとも、内に何か途方もない意思を秘めているのではないかと観る者に勘繰らせるほどの圧倒的なオーラを放つ。
目鼻立ちがくっきりとした、主張の強い顔立ちだからこそ、そのギャップによって表現し得る“ボロボロのアン・ハサウェイ”。それを存分に味わえるのも、本作の大きな見どころだ。
ハートネット演じるジェレミーもまた、欲望と傲慢さを糧に生きる抜け目のない男なのか、それとも悲しみに打ちのめされ、壊れながら沈んでいく男なのか、最後まで判然としない。

『ヴェリティ/真実』より
そして率直に言って、最も胸の内が読めないのは、ダコタ・ジョンソン演じる主人公ローウェンである。内に秘めていた欲望が花開いたのか、それまでさほど自覚していなかった欲望が新たに芽生えたのか。あるいは単に物語に呑み込まれ、ヴェリティと自らを重ね合わせてしまっただけなのか。その答えもまた、はっきりとは示されない。
3人の誰もが幾通りにも解釈し得る人物でありながら、その演技はあくまで自然なものとして映り、さらには色気までも漂わせている。この点にこそ、彼らの演技の凄みがある。
人は本当に真実を知りたいのか
結局のところ、真実が明かされることはない。しかし、だからこそ本作は観る者に問いを投げかける。真実を知ることは、果たして正しいのか。そして、それは幸せなことなのか。わからないままであるならば、いっそ自らの解釈に委ねてしまったほうが幸せなのではないか。だが、そうした選択が、ときに取り返しのつかない事態を招くこともあるだろう。
真実とは何かという問いにとどまらず、人は本当に真実を知りたいと望んでいるのか、そもそも知ろうとする意志を持っているのか――その核心にまで踏み込んでいる点にこそ、本作ならではの持ち味がある。
何が真実で、何が嘘なのか。その答えを最後まで観客の手に委ね続ける『ヴェリティ/真実』は、鑑賞後にこそ本当の意味で物語が始まる一作だと言える。劇場を後にしたとき、あなたの中に残る“真実”はいったいどのような形をしているだろうか。そして、あなたはその真実を本当に知りたいと思うだろうか。ぜひスクリーンで確かめ、自分なりの答えを探してみてほしい。
『ヴェリティ/真実』は11月6日(金)より日本公開。
