【インタビュー『PEACOCK/ピーコック』ベルンハルト・ウェンガー監督】日本の“レンタル友達”に着想、SNS時代と上流階級への問題提起を“孔雀”に託す

『PEACOCK/ピーコック』ベルンハルト・ウェンガー監督にインタビュー INTERVIEWS
『PEACOCK/ピーコック』ベルンハルト・ウェンガー監督にインタビュー

『PEACOCK/ピーコック』ベルンハルト・ウェンガー監督にインタビュー。


「友達をレンタルできる」——2014年、まだウィーン映画アカデミーの学生だったベルンハルト・ウェンガー監督は、日本発のレンタルフレンド/代行サービスについて書かれた記事に出会い、SF映画の話のようだと驚いた。2018年には実際に来日し、代行サービスの現場で働く人々に取材。そこで生まれたのが、長編デビュー作『PEACOCK/ピーコック』だ。

舞台はウィーン。他人の望むままに父を、息子を、恋人を演じ続けるうち、自分自身の感情のありかを見失った男・マティアス(アルブレヒト・シュッフ)を描く本作。美しい羽を広げて自分を実際より大きく見せる孔雀(Peacock)のように、私たちもまた「最高の自分」を演出し続けてはいないか。今回culaはウェンガー監督への独占インタビューを実施、7月24日(金)より日本公開中の本作について話を聞いた。(取材・文・写真:cula編集長 ヨダセア)

『PEACOCK/ピーコック』ベルンハルト・ウェンガー監督 インタビュー

『PEACOCK/ピーコック』ベルンハルト・ウェンガー監督

『PEACOCK/ピーコック』ベルンハルト・ウェンガー監督 © cula

「友達をレンタルするなんて、SFみたいだ」

監督は2014年に、日本の「レンタルフレンド」や代行サービスについて知ったそうですね。最初にその存在を知った記事の、どのような点が映画の題材になり得ると感じさせたのでしょうか。

ウェンガー:2014年当時はウィーン映画アカデミーに入学したばかりで、長編映画を作るタイミングじゃなかったんだ。でもレンタルフレンドのサービスについての記事を読んだとき、そんなものがあるなんてそれまで聞いたこともなかったから、本当に驚いてね。しかも、「これは短編向きの題材じゃなくて長編向きだ」って、もうその時点でもう分かっていたんだ。だから頭の片隅に置いておいて、ようやくタイミングが合ったのが2018年だった。

ウェンガー:それでリサーチのために日本へ行った。とにかく、そういうものが実際に存在するということ自体が僕にはすごく興味深かったんだ。2014年の僕にとって「友達をレンタルする」なんて、SF映画に出てくる話みたいに聞こえたからね。もちろん記事では、こうしたレンタルフレンドの会社が、孤独だったり孤立していたりする人を助けるために日本で生まれたということも読んだ。でもその一方で、人前で自分をよりよく見せるためにも使われていた。そしてそれって、とても普遍的なことなんだよ。どの国でも、どの社会でも、人は自分を最高の状態で、最高の見え方で見せたいと思う。それが問題になっている。だからこそ、これは自分が語りたいテーマだと思ったんだ。SNSを見れば、みんな自分を最高の形で見せているだろう。それは僕たちの社会にとって大きな問題だと思うよ。

実際に日本を訪れ、代行サービスで働く方々を取材されたということで、取材前に抱いていたイメージと、取材後の印象で、最も大きく変わったことは何でしたか。

ウェンガー:僕にとってすごく興味深かったのは、このビジネスがどれだけ大きいかを実際に目にしたことだね。記事で読むだけだと、こういうレンタルフレンドの会社がどう機能しているのか、なかなか想像できなかったんだ。でも現地に行って、そこで働いている人たちに直接インタビューできて、会社のオフィスにも足を運んで——大勢の人が働いている大きな企業なんだと分かった。それは本当に驚きだったよ。「じゃあ需要もものすごく高いに違いない」ということだからね。

ウェンガー:それに、向こうで聞いた驚くようなエピソードはどれも、全部日本で実際に起きていることだった。それが分かったのは、僕にとってとても興味深い経験だったよ。

日本で取材した内容から、どのようにマティアスという主人公像が作られていったのでしょうか。そのプロセスについて、印象に残っていることを教えてください。

ウェンガー:あるレンタルフレンドの会社で働いている人が、こんな悩みを抱えていると言っていたんだ。「毎日違う仕事を受けて、毎日違う依頼をこなして、毎日違う役を演じていると、自分自身でいる方法が分からなくなってしまう」と。彼はある時点から、依頼の前に感情を閉ざすようになったそうだよ。父親を演じるにせよ、息子を演じるにせよ、パートナーを演じるにせよ、相手に情が移らないようにするためにね。

ウェンガー:これはもちろん、俳優の仕事と似ているところがある。でも俳優は舞台の上や撮影現場にいて、周りにいる全員がそれは演技だと分かっている。ところがレンタルフレンドの場合は、現実の生活の中で人がキャラクターを演じることが多い。だからこそ、感覚がすごくリアルになるんだ。そしてそこには俳優にある安全装置がもう存在しないから、そういう会社で働く人はとても簡単にその中に飲み込まれてしまうんだと思う。

ウェンガー:だから僕は、日々別の人格を演じることで、自分自身の感情・人格との接点を失ってしまったキャラクターを書くことにすごく興味を惹かれたんだ。

『PEACOCK/ピーコック』ベルンハルト・ウェンガー監督

『PEACOCK/ピーコック』ベルンハルト・ウェンガー監督 © cula

「この映画はSNSのメタファーでもある」

孤独を和らげる目的から生まれたサービスが、見栄や社会的地位を演出するためにも利用されているということで、“救済”的な側面と、人間関係を商品化する危うさを、映画ではどのように両立させようと考えましたか。

ウェンガー:さっきも言ったとおり、SNSはこの映画を作るプロセスの中で本当に重要な要素だったんだ。というのも、この映画全体が、SNSをほとんど画面に映さないまま、SNSのメタファーになっているからね。だから僕は、“孤独”の側面よりも、むしろ“自己演出”の側面にフォーカスしたかった。

ウェンガー:映画の中でマティアスに依頼してくる客のほとんどは、自分をよりよく見せるために彼をレンタルしている。そしてその大半は上流社会の人間でもある。歴史を振り返れば、上流社会の人たちは常に、自分を最高の形で見せてきた。昔なら金や豪華な服やウィッグでね。そして今、SNSを通して自分をよりよく見せることがずっと簡単になった。だから映画の大部分は上流社会が舞台になっているんだ。生活や食べるものに困っていない人々は、「みんなに好かれているだろうか」ということに気をつけられるからね。

ウェンガー:そこに属していないキャラクターも何人かはいる。たとえばヴェラ。彼女は「口論の仕方を学ぶため」にマティアスをレンタルする。いつも要求ばかりで、彼女に少しも余白を与えてくれない夫との問題を解決するために口論の仕方を学びたい彼女にとって、マティアスの仕事が真に必要なんだ。これはマティアスにとって、あまり慣れていないタイプの依頼だ。そしてそのとき彼はすでに破綻へ向かいつつあるから、彼女に“本物”を与える。彼女の助けになると思い、自分自身が思うアドバイスを与えるんだ。その結果、彼女はヨハンのもとを去ることになり、その出来事が今度はマティアス自身に跳ね返ってくる。

たしかに、この映画がSNSアプリのメタファーだというのも腑に落ちます。悲しいときやイライラしているときでもSNSではルーティン的に「すべて順調で、すごく幸せです」とでも見えるような投稿をしまうという経験は私もありますし……

ウェンガー:うん、まさにそれだよ!

みんなもそうしているだろうから、SNS上では誰もが幸せそうに見える。つらい時はそれが、「今つらいのは自分だけなんじゃないか」って感じさせてきたりしますよね(笑)

ウェンガー:そう、それが大問題だよね。そうやってSNSは、僕たちがどう生きているべきかについて、間違ったスタンダードを作り出してしまっているんだよ。

『PEACOCK/ピーコック』ベルンハルト・ウェンガー監督

『PEACOCK/ピーコック』ベルンハルト・ウェンガー監督 © cula

日本で得た題材を、そのまま日本を舞台に描くのではなく、ウィーンを中心とするヨーロッパ社会へ移し替えています。文化的背景が異なるなかで、残した要素と変更した要素をどのように選別したのでしょうか。

ウェンガー:レンタルフレンドの会社についてリサーチをしていて気づいたのは、文化的な違いはたくさんあるけれど、どんな社会にも共通して存在するものがひとつある、ということだった。それが“自己演出への欲求”なんだ。だから、これが普遍的なテーマである限り、この映画をオーストリアで作って、「もし僕らの国にもこういう会社があったら」という虚構を立ち上げられると思った。SNSの問題は、あらゆる国・社会を巻き込んでいる問題だからね。

ウェンガー:オーストリアの映画作家である僕にとっては、もちろんオーストリアで作るのが自然だった。そういう意味で、僕らも本当に同じなんだよ。2014年に初めて記事を読んだときも、2018年にリサーチで日本に来たときも、オーストリアにはまだレンタルフレンドの会社はなかった。でも今ではオーストリアにも存在するんだ。

ウェンガー:それに、アメリカでも同じことを感じた。去年の9月に映画の劇場公開でアメリカにいったとき、地下鉄じゅうに「friend .com」という巨大な広告が出ていたんだ。大きなレンタルフレンドの会社ができたのかと思ったら、首から下げて身につけるAIブレスレットの広告だった。それに話しかけると返事をしてくれる。スパイク・ジョーンズ監督の『her/世界でひとつの彼女』みたいな感じだよ!もはや人間ですらないんだ。だったらまだ友達をレンタルするほうがマシだよね。少なくとも相手は人間で、人と関わっているわけだから。

ウェンガー:僕がこの映画を作り始めた時点ではまだテーマになっていなかったけれど、AIの利用はSNS以上に大きな問題を生み出していると思う。AIとなると、僕らの世界はますます”Personal”でも”Real”でもなくなってしまうからね。

『PEACOCK/ピーコック』ベルンハルト・ウェンガー監督

『PEACOCK/ピーコック』ベルンハルト・ウェンガー監督 © cula

孔雀やゴルフカートで描いたもの

英題や日本語版タイトルの通り、孔雀(Peacock)が印象的です。孔雀といえば、美しく広げた羽で自分の体よりもとても大きな見た目をアピールする鳥というイメージがあり、マティアスの生き方に重なるところがあると感じましたが、タイトルにはどのタイミングで、どのようなきっかけで「孔雀」を選んだのでしょうか。

ウェンガー:脚本の第一稿の時点で、もう孔雀の出てくるシーンを書いていたと思う。まさに言ってくれたとおり、マティアスのメタファーとしてベストだと思ったからね。孔雀は自分をよく見せるのが好きで、羽を広げて見せびらかすのが好きな鳥だ。

ウェンガー:でも孔雀を他の鳥と比べてみると——飛ぶのが得意な鳥はたくさんいて、空中でダンスする鳥だっている。ところが孔雀は飛ぶのがあまり好きじゃないし、実際そんなに飛べない。それに、美しい歌声を持つ鳥もいるけど、孔雀の鳴き声は、映画でも聞こえるとおりひどいものだ。つまり、孔雀の美しさの裏には、大したものは何も持っていないんだ。自分の見せ方は知っているけど、それ以外には何もできないんだよ。

冒頭、“燃えるゴルフカート”も印象的だったのですが、どのような意味を込めましたか。

ウェンガー:さっきも言ったとおり、この映画の主な舞台は上流社会だ。だから燃えているゴルフカートは「上流社会が燃えている」と示すいいメタファーになると思ったんだ。上流社会では“自分をどう見せるか”にすべてがかかっていて、それはまったくの偽物だからね。それが理由のひとつ。

ウェンガー:もうひとつの理由は、マティアスの仕事がどういう仕組みなのかまだ観客に分からない段階で映画を始めているということ。最初の印象として、マティアスが誰かのためにヒーローを演じている場面を置くのは面白いと思ったんだ。彼は女性客にレンタルされていて、その客は彼と一緒に自分のゴルフクラブでヒーローになりたがっている。だからふたりで燃えているゴルフカートの火を消すわけだ。

ウェンガー:あの場面の意味は、最初に観た瞬間には理解できないかもしれない。でも後になって「ああ、彼はレンタルされていて、ヒーローを演じていたんだ」とつながるようになっている。そこが面白いと思ったんだよ。

『PEACOCK/ピーコック』ベルンハルト・ウェンガー監督

『PEACOCK/ピーコック』ベルンハルト・ウェンガー監督 © cula

本作では、左右対称に近いワイドショットや固定された遠景、長く保持される画が多く使われています。この整然とした映像設計は、物語の内容とも重ねた部分があるのでしょうか。

ウェンガー:それは単に“僕の映画作りの一部”かな。シンメトリーな画と長回しが大好きなんだ。理由の一つは、カットを割らない長い場面の中で、俳優が本当にしっかり演技できるから。もう一つは、長回しのショットでは、観客である僕たちがすごく多くのものを観察できるからだと思う。

ウェンガー:それに加えて、本作の撮影は少し舞台のようでもある。マティアスが依頼をこなしている姿——演技をして、舞台の上のように役を演じている姿を、僕らは一枚の画として見ることになるからね。

マティアスの“人工的”な世界

マティアスの自宅やコンサート会場には、伝統的なウィーンとは異なる近代的で無機質な空間が選ばれています。ロケーション、美術、衣装、色彩を組み合わせ、彼の“美しいけれど空虚な生活”をどのように画面へ表現したのでしょうか。

ウェンガー:僕が映画で扱うユーモアは大半がビジュアルによるものなんだ。だから映画の中に視覚的なユーモアがたくさんあることは大事だった。それがひとつ。そしてもうひとつは、それが撮影、美術、衣装、編集を通して立ち上がってくるということ。

ウェンガー:それに加えて、僕はマティアスを、すべてが整っていて完璧な、とても人工的な世界の中で見せたかった。だから彼の家も、彼自身と同じように少しつるっとしていて、何もかもが整理されていて完璧なんだ。そしてその対比として、たとえば彼が訪ねるヴェラとヨハンの家がある。あそこに入っていくと、まるで別の世界に足を踏み入れたような感じがするだろう。

アルブレヒト・シュッフが演じるマティアスは、依頼人の前では完璧な人物を演じながら、私生活では感情や好みを失っているような人物です。複数の“レンタルの役柄”と“素のマティアス”を区別するため、表情や姿勢など、演技についてどのような役作りを行いましたか。

ウェンガー:準備段階で僕らにとってすごく重要だったのは、なぜマティアスがこれほど人工的なのかを突き止めることだった。マティアスに感情がないわけじゃないんだ。ただ、感情との接点を失ってしまっているだけでね。アルブレヒトは(素のマティアスに戻ることについて)いつもこう表現していた。「地下5階の駐車場に車を停めて、それをもう一度探し出さなきゃいけないような感じだ」って。まさにそれが彼のやっていることで、彼はもう一度、自分の感情との接点を見つけ出さなきゃいけないんだ。

ウェンガー:そして映画が進んでいく中で、彼の旅が始まる——恋人のソフィアに「あなたはもう現実(Real)じゃない」と言われた瞬間からね。彼は「それはいったいどういう意味なんだ」「もちろん自分は本物だ、ここにいるんだから」と自問していくんだ。そんな彼が、とっさに“正直”な反応をしなければならない状況に放り込まれていく。いつものようにすべてが計画されている状況が崩れ、何かをしなければならない状況に直面するんだ。

『PEACOCK/ピーコック』ベルンハルト・ウェンガー監督

『PEACOCK/ピーコック』ベルンハルト・ウェンガー監督 © cula

印象的なシーンの数々

物語が進むにつれてマティアスの制御された振る舞いは崩れていき、彼は最後に、大胆な行動をとりますね。ついに彼自身が選んだ“本物の行為”だと感じましたが……。

ウェンガー:映画の中でも、もっと小さな場面で彼が同じことをしている瞬間はあるから、あれが初めてということはないけど、ただマティアスが、映画を通してこの社会から抜け出さなければいけないと気づいていくのは確かだ。「“本物”にならなきゃいけない」ってね。

ウェンガー:そして映画の中の60歳の誕生日パーティーに出てくるような客——すごく無礼で、自分のことしか考えていなくて、上流社会のクラブの友人や周りの人たち全員に対して大がかりな芝居を打っているような客——と関わることで、マティアスは、「こんなものをもう支えたくない」と気づくんだ。そう気づいたからこそ、彼はこの社会から抜け出すために何かをしたくなる。

ウェンガー:でも同時に、僕の中では「彼は抜け出すことをあの“上流社会”から許されるべきではない」という明確な考えがあったんだ。だってあの上流社会の人々が、あんなに不条理で、あんなに“本物”のものを、受け止められるわけがないだろう?案の定、彼らはあれをアートとして解釈してしまうわけだ(笑)

忘れがたい場面が数多くある本作ですが、監督ご自身が最も気に入っているシーンはどこでしょうか。

ウェンガー:自分がいちばん好きなシーンを選ぶなら、マティアスがコンサートホールで涙があふれてきて、席から出ていかなきゃいけなくなる場面かな。あれは何年も前にカンヌ映画祭に行ったときの実体験がもとになっているんだ。朝のすごく早い時間に、劇場のいい席に座っていたんだけど、自分が何の映画のチケットを持っているのか分かっていなかった。ただチケットをもらって劇場に行っただけでね。そうしたら、それがサイコホラー映画だったんだ。

ウェンガー: 僕はホラー映画がまったく好きじゃないんだ……。前の晩に大きなパーティーがあったから、まだ少し二日酔いも残っていて、早朝、しかも劇場の真ん中の席に座っている状態だ。映画が始まって、観ているのが本当につらくて、「もう出たい」と思うのに、左右に50席から100席くらい並んでいて出られないんだ。「いったいどうすれば出られるんだ」とばかり考えていたよ。それがあのシーンのもとになった。マティアスがその状況から抜け出したくて、自分のみじめさから逃れるために、ひとりまたひとりと人をまたいで出ていかなきゃいけない場面だね。

ウェンガー:あれが自分のお気に入りのシーンなのは、撮影したときにアルブレヒトの芝居——涙があふれてくるあの演技に、僕自身がものすごく心を動かされて、圧倒されたからでもある。現場にいた全員がモニターを見つめながら、「これはすごいシーンになる」と誰もが分かっていたよ。

『PEACOCK/ピーコック』ベルンハルト・ウェンガー監督

『PEACOCK/ピーコック』ベルンハルト・ウェンガー監督 © cula

最後に、このインタビュー記事を読む日本の映画ファン、そして映画館で本作を楽しむ観客にショートビデオメッセージをお願いします!

(インタビュー以上/取材・文・写真:cula編集長 ヨダセア)


「自分をよりよく見せたい」という欲求は、どの国のどの社会にも存在する——ウェンガー監督が日本での取材を経てたどり着いたのは、その普遍性だった。だからこそ日本で得た題材はウィーンへと移し替えられ、マティアスの物語は国境を越えて私たちの前に差し出されている。虚栄の羽を広げることをやめたとき、そこに何が残るのか。ぜひ劇場で目撃し、この時代と向き合ってみていただきたい。

『PEACOCK/ピーコック』は、7月24日(金)より日本公開中。

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