【映画レビュー『このごにおよんで愛など』】

『このごにおよんで愛など』キャスト写真 Film Review
『このごにおよんで愛など』 © 2026 K2Pictures

新作映画『このごにおよんで愛など』を紹介&解説するレビュー。


単純な“三角関係”ではない。かといって、シンプルに「ジェンダーマイノリティの物語」と呼ぶのもどこか違う。長澤まさみ柄本 佑石橋静河が演じる男女3人が踏み出すのは、これまであまり光の当たってこなかった、名づけがたい愛と家族のかたちだ。11月27日(金)に日本公開を迎える『このごにおよんで愛など』は、愛・親子・孤独という普遍的な問いに、一風変わったアプローチで寄り添う一作である。その特別さと普遍性のあいだで揺れる本作の魅力を、以下に綴っていきたい。

【本作のあらすじ・作品情報・キャラクター(キャスト)紹介はこちら】

映画『このごにおよんで愛など』レビュー

“ドロドロした恋愛映画”では括れない無二の1作

『このごにおよんで愛など』は、これまであまり描かれてこなかった愛や家族のかたちを、正面から見据えた一作だ。不倫や浮気、三角関係をただなぞるだけの物語ではないし、「ジェンダーマイノリティの苦悩に寄り添う話」と一言で片づけられるほど単純でもない。

本作が描き出すのは、愛、親子、孤独といった普遍的な問いであり、その簡単には答えの出ない問題に、一風変わったアプローチで踏み込む男女3人を通して寄り添っていく。本作だけがもつ特別さと、観る者の誰もが共感できる普遍性——その両者のバランスが絶妙で、終始惹きつけられ、離されることがなかった。

アイコンに収まらない3人 — 詩・杜夫・潤奈の人物造型と演技

長澤まさみ演じるは奔放で、見方によっては自分勝手とも映る人物だ。だが、それでいて彼女に惹きつけられる者たちがいることには十分な説得力があり、その造型の奥に、彼女が抱え続けてきた孤独もまた痛々しくこびりつく。

愛したい、愛されたいという願いがあるからこそ複数の恋愛に踏み出すのに、誰もが理解できるような愛し方はどうしてもできない——その不器用さを、長澤は明るい仕草の似合うオーラとたしかな演技力で見事に体現してみせた。

柄本佑演じる杜夫は、心優しく繊細で、言いたいことを言えないまま詩に押し負けているようにも見える。だが、ふとした瞬間に思いの端がこぼれ出し、ひとり感情を滲ませる場面もあって、決してエゴがないわけではない。

一見すれば「優しくて押し負けている可哀想な人」だが、その実、意外な癖を秘めている——そのアンバランスさが人間味を生んでいるし、柄本の繊細な演技にもぴたりと嵌まっている。

石橋静河による潤奈もまた、複雑な人物だ。自身の望む幸せが叶いにくい——というより、そもそも現代社会においてどんな幸せを望めばいいのかすら分からずにいる、そんな迷いを抱えているように見える。

強さの奥に苦悩と弱さを潜ませる石橋の演技と、彼女の孤独を浮き彫りにする撮影・編集とが噛み合い、この潤奈という人物にもまた、観る者を深く感情移入させる。

絶えず揺れる3人— 単純な三角関係ではない関係の力学

そうして、それぞれが単なるアイコンに収まらない人物として造型された3人が、複雑で特別な関係へと踏み出していく——その3人の描き方がまた面白い。「詩がふたりの間で決めかねていて、詩を好いたふたりが振り回される」といった単純な図式ではない。3人全員の間に愛憎の入り混じった空気が漂い、好感度と親密度のメーターが絶えず上下し続けている。時には“恋敵”であったはずのふたりが妙に気が合いはじめ、本来いちばん中心にいたはずの詩が、どこか疎外感をにじませる素振りを見せたりもする。

互いに好意や執着を抱き、関係のかたちを刻々と移り変わらせながらも、結局はそれぞれが完全には分かり合えず、どこかで拒絶し合ってもいる——そうした均衡の危うさが実に興味深く、一筋縄ではいかないその質感が、なんともリアルだった。

とりわけ印象に残るのは、当事者3人がほかの男性カップルとバーで飲んだあと、なんとも言えない表情で手を振り合うシーンだ。あの一瞬にこそ、本作が描く3人の名づけがたい関係が凝縮されているように感じた。

手すりや相合い傘の構図によって詩の疎外感を際立たせるカットなど、撮影の構図やロケーションもまた3人の感情と関係を雄弁に語っており、観る者は視覚の面からも、この3人の関係へと引き込まれる。

“親心・子心”の複雑さ — 子ども・親の影響・絵本作家という職業

本作が描くのは、“愛”の複雑さや面倒くささばかりではない。子どもが欲しいという願いや、親によってこじれた人格を通して、“親心・子心”の複雑さもまた掬い上げていく。

3人の独特の関係を通じて、生まれてくる子どもはどんなかたちであれ、ただそこに咲けばいい——そうした価値観を差し出す一方で、親の影響によってこじれてしまった詩自身の人格形成もまた見逃せない。

親にコンプレックスを抱える詩が、“絵本作家”という子どもに密接した職業を選び、仕事に自らの思いを託しているように見える点も興味深い。

答えの出ないものへ — 結びの、愛と親子関係の不確かさ

愛とは不確かなものだ。何をして、何を言えば愛なのか——それを明確に定義することはできないし、言葉に落とし込めるものでもない。どれだけ無関係だと思おうとしても、親や生育環境と人格形成のあいだにある相関は無視できないはずで、かといって、どこまでを親のせいにできるのかもわからない。

愛も親子関係も、結局は同じ——“なんとなくわかるが、突き詰めればよくわからないもの”なのだ。言語化もできず、明確な答えもない不確かなものへの疑問。煮え切らない感情。何のせいにもできず、解決もできない問題。本作はそれらに、映像作品としてリアルな人間関係を描きながら、そっと寄り添うことに成功している。

よくわからないまま手元に残る問い。本作は、その答えの出なさを性急に解こうとはせず、リアルな人間関係の手ざわりごと差し出してみせる。本作を観た後は、割り切れなさと、それでも不思議と感じられる爽快感をどちらも抱えて劇場を出ることになるだろうが、その余韻こそが本作の贈り物だ。


『このごにおよんで愛など』 は11月27日(金)、日本公開。唯一無二の余韻に、しばし浸ってみてほしい。

『このごにおよんで愛など』ポスター

『このごにおよんで愛など』 © 2026 K2Pictures

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