クロエ・ジャオ監督の映画『ハムネット』は、シェイクスピア一家の喪失を描く物語であり、ノア・ジュープとジャコビ・ジュープという実の兄弟の出演が、その悲しみに静かな奥行きを与えている。
クロエ・ジャオ監督による映画『ハムネット』は、歴史上の偉人を神話化する作品ではない。物語の中心に置かれているのは、ウィリアム・シェイクスピアと妻アグネス、そしてその家族に訪れた喪失である。原作はマギー・オファーレルの同名小説で、映画版ではジャオとオファーレルが脚本を共同執筆した。2025年のトロント国際映画祭で観客賞を受賞しており、その完成度の高さと感情の強度が注目を集めている。
そんな『ハムネット』で印象的なのが、ノア・ジュープとジャコビ・ジュープという実の兄弟の共演である。ジャコビが子役としてハムネット役、ノアが劇中劇でのハムレット役を担っている。
俳優たちは兄弟でありながら、作中では本作の中心となるテーマでつながる表裏一体存在を演じるという構造は、この作品に独特の余韻をもたらしているのだが、日本では“ジュプ”表記と“ジュープ”表記が混在したり、そもそもジャコビ・ジュぺにも“ヤコビ・ジュペ”との表記揺れが見られたりしており、このふたりが兄弟だという情報があまり浸透していないようだ。
『ハムネット』の概要と、ジュープ兄弟の出演がもたらすもの
本作『ハムネット』はシェイクスピア夫妻とその家族をめぐる“愛と喪失”の物語として位置づけられている。物語の核にあるのは、息子ハムネットの死が一家にもたらした深い悲しみであり、その出来事が後に『ハムレット』創作へと結びついていくという発想だ。偉人の創作を称揚するのではなく、創作の背後にある喪失を見つめる点に、この映画の特徴がある。
その文脈で考えると、実の兄弟であるノアとジャコビの共演は強い意味を帯びてくる。TIMEの取材では、ジャコビが先にキャスティングされ、その後にノアが加わった経緯が語られている。ノアはインタビューの中で、「ふたりでひとつのキャラクターを演じたような感覚」があったと述べており、この言葉は作品の構造を象徴している。兄弟であるという現実の関係性が、作中で描かれる喪失と変容の物語に静かに重なっていく。『ハムネット』におけるジュープ兄弟の共演は、話題性よりもむしろ、感情の受け渡しをより自然なものにするための選択だったと読むことができる。

ノア・ジュープ、『ハムネット』より ©2025 FOCUS FEATURES LLC
ノア・ジュープのキャリア――繊細なまなざしで積み上げてきた時間
ノア・ジュープの名が広く知られるようになったのは、『クワイエット・プレイス』や『ワンダー 君は太陽』といった話題作への出演がきっかけである。その後も『ハニー・ボーイ』や『フォードvsフェラーリ』、ドラマ『フレイザー家の秘密』などに参加し、少年俳優という枠を越えた存在感を示してきた。

ノア・ジュープ、『ハニーボーイ』より © 2019 HONEY BOY, LLC. All Rights Reserved.
とりわけ『ハニー・ボーイ』では、複雑な家庭環境のなかで揺れる少年を演じ、その静かな表情の変化が高く評価されたと主要紙で報じられている。
ノアの歩みを振り返ると、派手なアクションや強い自己主張よりも、むしろ内面の揺らぎを丁寧にすくい取る演技が印象に残る。恐怖、不安、孤独、そして誰かを想う気持ち。言葉よりも視線や沈黙で語る場面が多いことは、彼のキャリアを特徴づける要素のひとつだろう。
そうした積み重ねを経て参加した『ハムネット』では、ノアは物語の中心に立つというよりも、失われた存在の余韻を体現する役割を担っている。「ふたりでひとつのキャラクター」という発言通り、ひとりで役を支配するのではなく、誰かと感情を分かち合いながらひとつの人物像を形づくる姿勢は、少年期から続くノアのキャリアの延長線上にある。
ジャコビ・ジュープの現在地と、兄弟ふたりのこれから
ジャコビ・ジュープ は、兄ノアの背中を見て俳優を志したことをTIMEのインタビューで明かしている。彼は「兄がしているようなことをしたいと思っていた」と語り、その言葉どおり、幼いころから撮影現場という環境に触れてきた。最初の大きな仕事のひとつはディズニー実写版『ピーター・パン&ウェンディ』で、マイケル・ダーリング役を演じている。子役としての歩みはまだ始まったばかりだが、着実に経験を重ねてきたことは確認できる。

右がジャコビ・ジュープ、『ピーター・パン&ウェンディ』より ©Disney Enterprises
『ハムネット』では、ジャコビがハムネット役を担い、物語の出発点となる存在を演じている。兄ノアが“残響”を体現する側に立つとすれば、ジャコビは“喪失そのもの”を象徴する。作品の構造上、彼の存在は長くスクリーンにとどまるわけではない。しかし、喪失後もその不在が物語を動かし、観客の記憶に刻まれる役割だ。

ジャコビ・ジュープ、『ハムネット』より ©2025 FOCUS FEATURES LLC
ノアは少年俳優としての時代を経て、内面を預かる俳優へと歩みを進めている。ジャコビは、その道の入り口に立ちながら、すでに大きな物語の中心に参加している。
『ハムネット』は、ふたりの時間が交差した希少な一本である。兄の積み重ねと、弟の始まり。その両方が同じフレームの中に収まった作品は、今後それぞれのキャリアを振り返るとき、ひとつの基準点として語られる可能性がある。兄弟という関係性が偶然の話題にとどまらず、演技の深度としてどこまで昇華されていくのか。その答えはこれからの作品のなかで、少しずつ見えてくるはずである。
