1975年に公開された映画『ジョーズ』は、映画史を塗り替えた作品として語り継がれている。サメという“見えない恐怖”を描いたその手法、観客の想像力を刺激する演出、そしてスティーヴン・スピルバーグの若き才能が炸裂した現場の舞台裏まで、その影響力は半世紀を経ても色あせない。そして今、その伝説の制作過程に迫るドキュメンタリー『独占!『ジョーズ』50周年:スピルバーグが語る伝説の裏側』がディズニープラスで独占配信された。なぜ『ジョーズ』はこれほどまでに記憶に残り、語り継がれてきたのか。本稿では、公開から50年を迎えるこの傑作の原点と革新、そしてその“裏側”をあらためて紐解いていく。
ジョーズ以前にもサメ映画はあった
1975年の『ジョーズ』以前にも、サメを扱った映画は存在していた。たとえば1936年の『White Death(原題)』は、実際のサメ釣りを追うドキュメンタリー。1950年の『Killer Shark(原題)』は、漁に不慣れな若者が父とともにメキシコ沖でサメ漁に挑む人間ドラマで、サメの出番は控えめ。ジャンルとしての恐怖演出よりも、成長譚や漁業のリアリズムが前面に出ていた。
1956年の『虎鮫作戦』(The Sharkfighters)では、第二次世界大戦中の実話をもとに、サメ除け薬品の開発をめぐる米海軍の奮闘が描かれた。“実験”として主人公が危険な海中に入るシーンなど、スリラー的な緊張感も含まれている。

『サミュエル・フラーのシャーク!』© 1969 Heritage Enterprises. All Rights Reserved.
中でも注目されるのが1969年の『シャーク!』。主人公が財宝を求めてスーダン風港町の海に潜る冒険譚が描かれる。撮影中にスタントマンがサメに襲われ死亡したと一時報道され、宣伝効果を狙ってタイトルが変更されたともされる一方、後に信ぴょう性が疑問視されるなど、製作時のスキャンダルと監督サミュエル・フラーの激しい反発が重なり、“ジョーズ前夜”の“リアル演出と商業主義の交錯”を象徴する作品として知られる。
そして『ジョーズ』のわずか4年前、1971年にはドキュメンタリー映画『青い海と白い鮫』が公開されている。南アフリカ発、1万2000マイルにおよぶ航海の中でホオジロザメの初水中撮影に挑んだ本作は、後に『ジョーズ』の水中シーンにも協力するダイバーたちが参加し、サメへの憧れと畏怖を世界に知らしめた。フィクションとは異なる“実在する恐怖”を映像で突きつけた本作の存在は、サメをめぐるロマンと恐怖の熱を着実に高めていたと言えるだろう。
スピルバーグの“リアル”へのこだわりと、トラブルが生んだ“見えない”恐怖
そしてついに1975年に公開された『ジョーズ』は、『ゴッドファーザー』の記録を破り全米興収1位を更新する大ヒットとなったが、その裏には並々ならぬ撮影の苦労があった。舞台となったのは、マサチューセッツ州マーサズ・ヴィンヤード。大西洋に面したこの海で、スティーヴン・スピルバーグ監督は「リアルさを損ないたくない」と、スタジオの水槽ではなく“本物の海”でのロケを敢行。だが塩水による機材の腐食、波や風の影響、漂流するボート…と、自然との戦いは過酷で、撮影は予定の3倍近くかかる地獄と化した。

「独占!『ジョーズ』50 周年:スピルバーグが語る伝説の裏側」ディズニープラスで7月11日(金)より独占配信開始 © 2025 NGC NETWORK US, LLC.
さらに決定的だったのは、機械のサメ“ブルース”の度重なる故障。塩水によりゴム素材が膨張し、金属部品も錆びて使い物にならなくなった。結果としてスピルバーグは「サメをほとんど見せない」演出に切り替え、ジョン・ウィリアムズの音楽や水面の動き、バレルの浮上といった間接的な表現で観客の想像力を刺激。映画中盤までは最初5回ほどサメの“匂わせ”や“ちょい見せ”が続き、実際にサメが登場するのは全体のわずか3%程度にとどまるが、それが逆に“見えない恐怖”を生み出し、ヒッチコック的なサスペンスを実現した。
サメが突然姿を現す最初の瞬間、ついにそのサイズ感を目にした主人公ブロディが発する「船が小さい」というセリフ――それこそが、姿を見せないことで恐怖を高めた本作の象徴的場面だった。予期せぬトラブルと、リアリズムへのこだわりが、結果的に映画史に残る名作を生み出すことになったのである。

『ジョーズ』© 1975 Universal City Studios, Inc. – All Rights Reserved
二音で背筋を凍らせる-ジョン・ウィリアムズによる象徴的な音楽
『ジョーズ』の恐怖演出において欠かせないのが、ジョン・ウィリアムズによる音楽である。特に有名なのが、わずか2音(EとF)だけで構成された反復モチーフ。これは“サメが本能のままにひたすら襲いかかってくる”イメージを音で表現したもので、スピルバーグ監督も「最初は冗談かと思った」と語るほどシンプルな構成だったが、これが効果的に観客の潜在的な恐怖心を鋭く刺激した。
ウィリアムズのスコアは、視覚に頼らず“音だけで恐怖を植えつける”という点で革新的で、低音のチューバを中心に据えた二音モチーフの不穏なうねりは、まるで見えない恐怖がじわじわと迫ってくるような効果を生んでいる。一方で、ビーチで無邪気に遊ぶ人々の場面では底抜けに明るい音楽が流れ、日常の快楽と差し迫る脅威とのギャップを際立たせている。

『ジョーズ』© 1975 Universal City Studios, Inc. – All Rights Reserved
物語のピーク、サメとの最終決戦では音楽にも劇的な変化が訪れる。ジョン・ウィリアムズは“フーガ的”な構成と海賊映画さながらの冒険音楽を導入し、二音モチーフとヒーロー・メロディが緊迫して交錯。サメが破壊される瞬間、ついに“二音”は途切れ、代わってハープやオルカ号テーマが響き渡ることで、音響的にも勝利と解放が訪れるのだ。これは音楽による物語の“解決のカタルシス”を鮮やかに描き出した演出と言える。
4人の名キャラクターと、恐怖の立体感を深める名モノローグ
『ジョーズ』が単なるパニック映画にとどまらず、深みある人間ドラマとして成立している理由のひとつが、登場人物たちの対比的な個性とその絡み合いにある。特に後半、サメを仕留めるべく出航する3人の男たちは、それぞれ異なる価値観と背景を持ちつつ、海上という閉じた空間で緊張と協力のドラマを繰り広げる。

『ジョーズ』A UNIVERSAL PICTURE ©2024, 1975 UNIVERSAL STUDIOS
ブロディ保安官(ロイ・シャイダー)は、市民的正義と秩序を体現する存在だ。水が怖く、島にも越してきたばかりという“普通の人間”が、家族を守るために未知なる脅威と向き合う姿は、勇気と成長の物語として描かれている。万能なヒーローではなく、恐れや不安を抱える人物像が、観客の共感を呼ぶ。
フーパー(リチャード・ドレイファス)は、合理主義と科学の象徴として登場するが、知識だけでは太刀打ちできない“自然の狂気”に直面することで、内面的な葛藤も抱える。サメに魅せられながらもそれを討たねばならないという複雑な立場が、人間味と勇気を際立たせている。
そしてクイント(ロバート・ショー)は、過去の暴力と野生の記憶を背負った男。『白鯨』のエイハブ船長も彷彿とさせる彼のホオジロザメに対する異様な執着は、単なる職業漁師ではなく“過去の亡霊にとり憑かれた存在”であることを示している。
とりわけ印象的なのが、クイントが第二次大戦中に乗艦していた「インディアナポリス号」の沈没と、それに続くサメによる襲撃を本人が振り返る有名なモノローグだ。これは原作にはなく、脚本家ハワード・サックラーがアイデアを出し、ジョン・ミリアスが拡張、演じたロバート・ショー自身が再構成したものとされ、今なお“映画史に残る独白”と称されている。サメに対する彼の私怨、戦争による心の傷、そして破滅的覚悟がにじみ出るこの場面は、恐怖映像などなくとも観る者の背筋を凍らせる。

『ジョーズ』© 1975 Universal City Studios, Inc. – All Rights Reserved
ちなみにこの“インディアナポリス号”のモノローグは、実は2日にわたる撮影で行われたという逸話も残っている。初日はロバート・ショーが酒を飲んでおり、セリフが明瞭ではなかったため、翌日、酔いを醒ました状態で撮り直したとされている。酔っているテイクとシラフのテイクでは、シャツのボタンや目の輝きの違いがはっきりと見受けられるほどで、結果的に彼の“酒に染まった亡霊”的キャラクター性が際立つ演技となった。
さらに忘れてはならないのが、ラリー・ヴォーン市長(マーレイ・ハミルトン)の存在だ。彼は観光収入を失うことを恐れてビーチ閉鎖を拒否し、危険を矮小化する政治的リーダーの象徴。市民の安全よりも経済を優先する姿は、“構造的悪”として作品に社会的リアリティを与えている。2020年のコロナ禍には、「現実のヴォーン市長たち(Real-life Mayor Vaughns)」といった表現がSNSや記事で多用されるなど、時代を超えて引用されるキャラクターとなった。
この4人の立場と心理が複雑に絡み合うことで、単なる“サメ退治”以上のドラマが生まれ、観客に対して“何に恐怖するのか”を多層的に問いかけてくるのだ。
『ジョーズ』が提示したのは、単なる海の怪物との戦いではない。見えないものへの恐怖、人間の本能と理性の葛藤、そしてそれぞれの立場や価値観がぶつかり合う群像劇だった。スピルバーグが「見せないこと」で築いた恐怖の美学、ジョン・ウィリアムズのたった二音が生んだサスペンス、そして登場人物たちの複雑な内面――それらが絡み合い、“サメ映画”という枠を超えた映画体験を生み出したのだ。

「独占!『ジョーズ』50 周年:スピルバーグが語る伝説の裏側」ディズニープラスで7月11日(金)より独占配信開始 © 2025 NGC NETWORK US, LLC.
ディズニープラスで配信中の『独占!『ジョーズ』50周年:スピルバーグが語る伝説の裏側』では、そんな革新の裏側に迫る貴重な証言が詰まっている。名作とは何か? 恐怖とは何か? 50年の時を超えて、いま改めて『ジョーズ』を“泳ぎ直す”旅に出てみてはいかがだろうか。

