【映画レビュー『ヒンド・ラジャブの声』】現実と演出の見事な融合が、“姿なき本物の肉声”を世界に届ける

『ヒンド・ラジャブの声』特報映像&ティザービジュアル解禁-実際の音声記録を基に、6歳の少女の声と救出に向き合う人々を描く Film Review
『ヒンド・ラジャブの声』より ©MIME FILMS — TANIT FILMS

新作映画『ヒンド・ラジャブの声』 を紹介&解説するレビュー。


2024年1月29日、ガザで助けを求める一人の少女の声が、約70分にわたって記録されていた。その肉声を作品の中心に据えた実録ドラマ『ヒンド・ラジャブの声』が、9月4日(金)より日本公開される。カウテール・ベン・ハニア監督は、暴力を直接映すことなく、電話越しの声とそれを受け止める職員たちの表情だけで、画面の外に広がる惨状を観客へと突きつける。これはフィクションでありながら、紛れもない一つの記録でもある。

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届かない救いを待つ者たち——密室劇が生む痛切な共感

『ヒンド・ラジャブの声』の構造は、緊急通報とそれを受けた者たちの反応だけで物語を駆動させる『GUILTY/ギルティ』を想起させる。舞台の大半を占めるのは、パレスチナ赤新月社の緊急通報センターだ。ガザで起きている事態を直接映し出すことはせず、電話越しに届く声と、それに耳を傾ける職員たちの表情のみによって、画面の外に広がる惨状を観客の想像へと委ねていく。

『ヒンド・ラジャブの声』特報映像&ティザービジュアル解禁-実際の音声記録を基に、6歳の少女の声と救出に向き合う人々を描く

『ヒンド・ラジャブの声』より ©MIME FILMS — TANIT FILMS

暴力を映さないことが、その残酷さを和らげることは決してない。むしろ視覚的な情報をあえて絞り込むことで、ヒンドの置かれた状況を観客自身に補わせ、その恐怖をより切実なものへと変えていく。

救急車であれば数分で到達できる距離に、少女はいる。だが、隊員の安全を確保するための許可や関係機関との調整が救出を阻み、職員たちは居場所を把握しながらも迎えに行けない。物理的には近いはずの距離が、戦争と手続きによって越えがたい深淵へと姿を変えていくのだ。そのもどかしさを、観客もまた彼らと同じ場所で耐え忍ぶほかない。

職員たちを演じた俳優陣の演技もまた圧倒的だ。彼らはリハーサルの段階ではヒンドの音声を聞かされず、撮影本番に至って初めて、イヤホン越しに彼女の肉声を受け取ったという。カウテール・ベン・ハニア監督もいたずらにテイクを重ねることをせず、手持ちカメラを用いて、ドキュメンタリーに肉薄する生々しさのままその反応を捉えている。

『ヒンド・ラジャブの声』特報映像&ティザービジュアル解禁-実際の音声記録を基に、6歳の少女の声と救出に向き合う人々を描く

『ヒンド・ラジャブの声』より ©MIME FILMS — TANIT FILMS

なかでも忘れがたいのは、女性職員ラナを演じたサジャ・キラニだ。ヒンドを安心させようと穏やかに語りかけながらも、その境遇に思いを巡らせるほど、こみ上げる感情を抑えきれなくなっていく。彼女の流す涙は、観客の情動を誘導するために用意されたものではなく、助けを求める声を聞きながら何ひとつできない人間の心が決壊した、その結果として画面に刻まれる。あまりに切実なその涙に、こちらの涙腺までもが否応なく引き寄せられてしまった。

本物の声が劇映画を現実へ引き戻す

本作を何よりも現実たらしめているのは、タイトルのとおり“ヒンド・ラジャブの声”にほかならない。ベン・ハニア監督は、パレスチナ赤新月社が保管していた通話記録を入手し、ヒンドの母親の同意を得たうえで映画化に踏み切った。子役にその声を再現させるのではなく、ヒンドが実際に発した言葉、呼吸、そして沈黙そのものを、作品の中心に据えたのである。

それゆえ本作においては、フィクションとドキュメンタリーの境界が曖昧になるというより、両者が見事な形で出会う。俳優たちの手で再構築された空間へヒンドの肉声が流れ込むたびに、目の前の劇映画は現実の記録によって内側から突き破られていく。音声データの波形や、実在する職員たちの声を挿入する演出も相まって、作品は繰り返し「これは作られた恐怖ではない」と観客へ突きつけてくる。

『ヒンド・ラジャブの声』特報映像&ティザービジュアル解禁-実際の音声記録を基に、6歳の少女の声と救出に向き合う人々を描く

『ヒンド・ラジャブの声』より ©MIME FILMS — TANIT FILMS

その試みを象徴するのが、終盤に配されたスマートフォンを用いた演出だ。具体的な内容には立ち入らないが、スマホの画面を介して、映画として再構築された時間と、現実に記録された時間とが、そっと接続される。スマートフォンが、ここでは忘却への抵抗となり、現実を証言する装置として機能してみせるのである。

「これは本当に起きた、起きていることなのだ。どうか知ってほしい」——。そうした切実な思いが、ヒンドの声のみならず、演出や俳優たちの反応、画面に刻まれた沈黙のすべてから滲み出てくる。映画を観ているはずなのに、いつしか一つの記録に立ち会っているかのような感覚へと引き込まれていく。その逃げ場のない現実感に、胸を締めつけられずにはいられない。

これは過去の悲劇ではない——2026年の現在へ響く声

ヒンドが助けを求めたのは、2024年1月29日のことだ。しかし、この映画を「かつて戦地で命を落とした一人の少女の悲劇」として閉じてしまうことはできない。2026年8月に入ってもなお、ガザではイスラエル軍による空爆や砲撃が続き、パレスチナ人の死者が報告され続けている。8月1日だけでも少なくとも18人が死亡し、2025年10月の停戦合意発表以降に亡くなったパレスチナ人は、1,200人を超えた。

ゆえに本作は、すでに完結した事件を振り返る追悼映画ではない。救助を求めながらその声を届けられず、名前さえ広く知られないまま命を落としていく人々が、今なお存在している——そのことを知らせる、現在進行形の映画なのだ。ヒンドを「かわいそうな一人の少女」として悼むだけでは、到底足りない。彼女の声を手がかりに、その背後にいる無数の子どもや大人の存在へと想像を広げること。本作が観客に求めているのは、まさにそれである。

『ヒンド・ラジャブの声』より © MIME FILMS — TANIT FILMS

『ヒンド・ラジャブの声』より © MIME FILMS — TANIT FILMS

戦争による死者は、その数が膨れ上がるほどに一人ひとりの顔を失い、統計の一部として受け流されやすくなっていく。本作はその巨大な数字のなかから、ヒンドという名前と声を取り戻す。彼女が何を怖がり、何を待ち、どのように助けを求めていたのか——それを知ることで、観客は一つの命が奪われることの重さを、改めて突きつけられる。

映画がヒンドを救うことはできない。だが、彼女の声が忘れ去られることを拒み、その声に耳を傾けた観客へ、今なお救われずにいる人々の存在を思い起こさせることはできる。その意味において『ヒンド・ラジャブの声』は、単に優れた実録ドラマにとどまる作品ではない。現在を生きる私たちにこそ必要とされる映画であり、一人でも多くの人のもとへ届くべき一作である。

『ヒンド・ラジャブの声』は9月4日公開。

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