フランスの風景を背景に、セピア調の色彩で紡がれる一人の女性の物語。一見愛らしいクレイアニメーションの外観に包まれながら、その内側には人生の苦味と美しさが等しく刻まれた『かたつむりのメモワール』は、6月27日(金)の日本公開を前に、すでに国際的な注目を集めている。
ジュネへの影響も見られる独自の語り
フランスの風景、セピア調に沈んだ色彩、そしてドミニク・ピノン(『デリカテッセン』『アメリ』)の出演——これらの要素が物語るのは、本作に色濃く刻まれたジャン=ピエール・ジュネの影響なのではないか。ジュネが『アメリ』で特異な境遇の主人公の内面をナレーションで紡いだように、本作もまた不遇な生い立ちを背負った主人公グレースのモノローグによって物語が進行していく。この語りの手法は単なる模倣ではなく、むしろジュネ作品への敬意を込めたオマージュとして機能しているように見受けられる。

『かたつむりのメモワール』© 2024 ARENAMEDIA PTY LTD, FILMFEST LIMITED AND SCREEN AUSTRALIA
興味深いことに、本作は当初「てんとう虫(レディ・バード)のメモワール」というタイトルだったが、グレタ・ガーウィグ監督の『レディ・バード』のヒットを受け、監督が「変えなければならない」と感じたという経緯がある(Vocaloのインタビューにて)。
しかし結果的に、この変更は作品にとって幸運だったのではないだろうか。かたつむりという生き物が持つ二面性——殻に閉じこもりがちでありながら、後ろには退がれず一歩一歩着実に前進するしかない性質——は、まさに主人公グレースの人生そのものを象徴している。
悲劇と喜びのコントラストが生む深み
確かにグレースは“夢見がちで楽観的な不思議ちゃん”という側面でアメリと共通するが、彼女を取り巻く物語の色調ははるかにダークだ。アダム・エリオット監督が信奉する「悲劇があってこそ喜びが際立つ」という哲学のもと、脚本は意図的に悲哀と不幸を積み重ね、その暗闇の中にひらめく一瞬の喜びや幸福を鮮烈に浮かび上がらせる構造となっている。

『かたつむりのメモワール』© 2024 ARENAMEDIA PTY LTD, FILMFEST LIMITED AND SCREEN AUSTRALIA
物語の骨格は、生来の容姿コンプレックスや複雑な家庭環境、そして執拗ないじめによって傷ついた女性が、人生の様々な邂逅を通じて自分自身を取り戻していくという、ある意味で定石的な成長物語である。しかし、この普遍的なテーマを監督特有の人間味あふれる演出と心に染み入る音楽が包み込むことで、ありふれた筋書きが格別の深みを帯びている。

『かたつむりのメモワール』© 2024 ARENAMEDIA PTY LTD, FILMFEST LIMITED AND SCREEN AUSTRALIA
一見するとティム・バートンを思わせる「ダークでありながら愛らしい」美学が支配する本作だが、これは決してキッズが全容を楽しめる作品ではない。性的な暗示を含む場面や、表層的な人間関係の裏に潜む醜悪さへの容赦ない視線など、作品全体に漂うのは大人の世界特有の苦味である。監督は観客に対して、現実の複雑さから目を逸らすことを許さない。
不完全性に宿る美しさという哲学
本作も監督の十八番であるストップモーション・クレイアニメーションで制作されているが、注目すべきは監督が意図的に作品に「不完全性」を残していることだ。指紋の跡や筆のタッチを敢えて消去せず、人生そのもののように完璧ではない質感を追求している。この選択が功を奏し、ザラついた肌の質感や僅かに脂ぎって見える髪の毛など、磨き上げられすぎていないキャラクターデザインに、観客は親近感を抱くことができる。

『かたつむりのメモワール』© 2024 ARENAMEDIA PTY LTD, FILMFEST LIMITED AND SCREEN AUSTRALIA
こうした「不完全性の中にこそ真の美しさが宿る」という監督の美学は、作中に登場する日本の金継ぎ文化への言及においても一貫している。傷や欠けを隠すのではなく、むしろそれを美として昇華させる金継ぎの思想は、まさに本作が体現する価値観そのものだ。
『かたつむりのメモワール』は、ままならない人生のリアルと、そこにこそ宿る真の美しさを静かに語りかける作品だ。監督が作品に込めた「不完全性の美学」は、傷を隠すのではなく、それを受け入れることで輝きを増す金継ぎの思想と重なり合う。6月27日(金)の日本公開により、多くの観客がこの繊細で普遍的な共感と出会うことになるだろう。
