【インタビュー『きれっぱしの愛』フリーヌル・パルマソン監督】壊れた家族に残る愛、日常を撮る理由、冒頭の撮影、実子たちとの撮影

【インタビュー『きれっぱしの愛』フリーヌル・パルマソン監督】壊れた家族に残る愛、日常を撮る理由、冒頭の撮影、実子たちとの撮影 INTERVIEWS
映画『きれっぱしの愛』フリーヌル・パルマソン監督にインタビュー

新作映画『きれっぱしの愛』フリーヌル・パルマソン監督にインタビュー。


『ゴッドランド/GODLAND』で自然、信仰、歴史を見つめたフリーヌル・パルマソン監督が、新作映画『きれっぱしの愛』で向き合うのは、関係が終わった後にも消えずに残る家族の時間だ。『きれっぱしの愛』は、北欧・アイスランドの田舎町を舞台に、もう夫婦ではなくなったアンナとマグヌス、そして子どもたちと愛犬パンダの日常を、移ろう季節の中に映し出す家族劇。7月3日(金)より日本公開中の本作について、パルマソン監督に「残る愛」、日常を撮ること、実子たちとの撮影、そして奇妙な幻想の意味を聞いた。(取材・文:cula編集長 ヨダセア)

『きれっぱしの愛』フリーヌル・パルマソン監督 インタビュー

本作の英題『The Love That Remains』からは、終わった関係の後にも残り続ける感情が込められているように感じました。監督にとって、この“残る愛”とは、希望に近いものなのでしょうか。それとも絶望的ですか。痛みや執着も含んだ、もっと複雑な感情でしょうか。

フリーヌル・パルマソン監督(以下、パルマソン):僕にとっては、特別に希望とか絶望というより、もっと日常的で、ありふれたものという感覚なんだ。みんなが経験する感情や出来事、そういうものだよね。僕たちが共有している記憶とか、良い時も悪い時も含めた日々の積み重ねとか。人生で一番大切なものって、そういうものだと思うんだよ。

パルマソン:僕たちはそれを「小さなこと」と呼ぶけれど、実際にはたぶん、そういう小さなことこそが一番大切なんだと思う。

フリーヌル・パルマソン監督

フリーヌル・パルマソン監督 ©Hildur_Ýr_Ómarsdóttir

本作は、離婚や別居を大きなドラマとして描くのではなく、食卓、ピクニック、子供たちの遊び、仕事場といった日常の断片の中に置いています。関係が壊れていく瞬間ではなく、壊れた後も続いていく時間を描こうと思った理由を教えてください。

パルマソン:何かを作る時って、僕の場合は「何をしたくないか」という感覚がすごく強くあるんだ。何に時間を使いたくないのか、どういう映画を作りたくないのか。そういう「これは違う」という感覚が、いつもかなりはっきりしているんだよ。時に、自分が本当にしたいことは、自分をイライラさせるものを全部取り除いていくことで見えてくるものなんだ。すると最後に、核になるものとか、自分が本当に興味を持っているものだけが残る。全体の大きな構造というより、そういう中心にあるものだね。僕はクライマックスだとか、大げさなドラマにはあまり興味がない。もっと繊細な物語とか、自分自身が人間としてより強く結びつきを感じられるものに興味があるんだよ。

『きれっぱしの愛』より

『きれっぱしの愛』より ©STILL VIVID, SNOWGLOBE, HOBAB, MANEKI FILMS, FILM I VÄST, ARTE FRANCE CINEMA

パルマソン:それに、僕たちはやっぱり、自分たちにしか作れないものを作ろうとしているんだと思う。僕は、自分が持っているもの、自分の近くにあるものを使おうとする。自分のリソース、自分の知っている人たち、自分の周りの場所。そういうものだね。個人的な物語を語ろうとする時には、キャンバスが大きすぎたり、ドラマが大きすぎたりすることが、必ずしも助けになるわけじゃない。そういう作品は、ある意味もうたくさん見てきたしね。恋愛や関係性を描いた映画はたくさんある。でも僕は、本作をそういう映画と同じにはしたくなかったんだ。

だからこそ、どのキャラクターにも共感できるのだと思います。アンナとマグヌスの関係も、どちらか一方を悪者にするのではなく、互いの孤独や未熟さが少しずつ見えてくる作りになっていますね。脚本や演出の段階で、観客がどちらか一方だけに感情移入しすぎないよう意識したことはありましたか。

パルマソン:うん、それは僕の仕事のひとつだね。リサーチをしている時も、脚本を書いている時も、撮影している時も、編集している時も、音響設計をしている時も、ずっとそれが自分の仕事だと思っているよ。映画を作るプロセス全体を通して、僕はいつもそのバランスを取ろうとする。どちらか一方に寄りすぎないように、片方に傾きすぎないようにしているんだよね。

パルマソン:僕は、映画が解釈に開かれている状態がすごく好きなんだ。観客が何かひとつの答えに無理やり落ち着かされるのではなく、それぞれが受け取れる余白があることが大事だと思っている。解釈がオープンなことこそがアートの美しさだと思うんだ。映画の中に観客自身が入り込めるスペースがあって、それぞれが好きなように読み取ることができる。そういうものだと思うんだよ。

パルマソン:だから僕は、映画が“それ自体”として存在できるようにしたいと思っているし、そこに悪役や悪い人間がいないようにしたいんだ。あなたが言ってくれたように、彼らはただ欠点のある人たちなんだよね。好きになってもいいし、好きにならなくてもいい。でも、必ず嫌わなければいけない人物がいるわけではない。そういう人はいないんだ。もしかすると、一番“嫌われ役”に近いのはギャラリストかもね。でも彼は、どちらかというとコメディとして入れているよ。

冒頭で建物の屋根が持ち上げられ、家の内側がむき出しになる場面は、家族の内面が露わになるような強いイメージで最初から心を掴まれした。このショットを物語の入口に置くことで、観客にどのような感覚を持ってほしいと考えていましたか。

パルマソン:僕が求めていたのは、自分がその光景を初めて見た時に感じたものと同じ感覚だったんだと思う。撮影している最中から、そのイメージがちゃんと見えていたわけではなかったんだ。あの時は張り詰めていたというか、ある種パニックになりながら撮っていた。僕の昔のスタジオが取り壊されることになって、その建物の中に駆け込んで撮影したんだ。それは、彼らがの行いに対する抗議のようなものだったよ。僕は自治体に対して「取り壊さないでほしい」と働きかけたんだけど、うまくいかなかった。だから、その抗議として撮影したんだよね。

パルマソン:とはいえ撮っている間は、本当にカオスだったよ。産業機械の爆音が響き渡り、すべてが騒然としていた。だから僕にとって、その瞬間は詩的なものではまったくなくて、ただの混沌だったんだ。でも数週間後、フィルムが現像されて、その映像を見た時には音がなかった。そこで初めて、すごく美しいイメージとして見えたんだ。広角のレンズで撮影して、屋根がまるで何か不思議な力に引き上げられているみたいに、ふわっと宙に浮かんでいくように見えた。音はなくて、たしか自分が聴いていた音楽だけが聴こえていたはず。その状態で初めて見た時、僕はすごく深い影響を受けたんだ。それで、このイメージこそが本作の冒頭になるべきものだとわかった。

パルマソン:そしてそれは、僕がずっと前から作りたいと思っていた、ある家族のポートレートでもあったんだ。でも、その映像を見た時に初めて、それが“壊れた家族”の映画なんだと気づいた。それまでは、自分でもそこまではわかっていなかったよ。だから、あの映像は僕にとって本当に大きな助けになったな。

監督の実際のお子さんたちが出演していますよね。それもあって、家族の距離感や空気が非常に親密に感じられました。父親として子どもたちを見る視線と、映画監督として彼らを撮る視線の間に、葛藤や発見はありましたか。

パルマソン:もちろん、葛藤はいつもあるよ。でもそれは、どちらかというと創造的な葛藤だね。すごく深刻なものではないんだ。僕たちはみんな、それぞれ人生の違う段階にいる。だから、それぞれが違うものと向き合っているし、こちらがいつもそれに備えられているわけでもないし、完全に同じリズムでいられるわけでもないんだよね。だから僕たちは、俳優たちのことをできるだけ大切にケアしようとしている。特に、それが若い大人や子供、動物だったりする場合はなおさらだね。

『きれっぱしの愛』より

『きれっぱしの愛』より ©STILL VIVID, SNOWGLOBE, HOBAB, MANEKI FILMS, FILM I VÄST, ARTE FRANCE CINEMA

パルマソン:それでも、創造的な衝突や、ちょっとした葛藤の瞬間はあった。特に子どもたちと、ジャンヌ・ダルクの部分だね。子どもたちが作っているあの像のところ。あれにはすごく長い時間をかけたんだ。2年かけて撮影したから、本当にたくさんの時間を一緒に過ごしながら作っていった。だから、どんな家族にもあるように、僕たちにも良い時も悪い時もあった。でも、それは自然なことだったし、結果的に僕たちをより強くしてくれたんだと思う。一緒に時間を過ごせたこと自体が、ただ本当に嬉しかったんだ。そして、それはたぶん、世界で一番かけがえのないものだと思う。

監督の過去作『ゴッドランド/GODLAND』は歴史、信仰、自然の厳しさを強く感じる作品でしたが、本作には現代の家族劇としての親密さやユーモアがあります。一方で、時間や自然、人間の孤独といったテーマはつながっているようにも感じます。監督ご自身は、この2作の違いと共通点をどのように捉えていますか。

パルマソン:うん、僕が作るものはすべて、どこかでそれまで取り組んできたことの延長にあると思うんだ。僕たちが作るものは、いつも自然な次の一歩のようなものなんだよね。だから僕は今も、自分たちを取り巻く環境や、それが僕たちをどう形作っていくのかに強い関心がある。その大きな要素として、天候の気質や季節、移り変わる季節がある。物事がどう変化していくのか、僕たちがどう成長していくのか。そういうものは、僕が作るものすべてに大きく影響しているんだ。それは映画だけじゃなくて、僕が描く絵や、撮る写真にも関わっている。自分の仕事の根本にあるものなんだと思う。なぜなら、そういうものこそが、人間としての自分を本当に形作っていると思うから。

パルマソン:でも、『ゴッドランド/GODLAND』を作った後は、現代を舞台にした映画を作りたいという気持ちがはっきりあった。何かを作り込まなくてもいい映画を作りたかったんだ。セットを建てたり、すべてを前もって設計したりする必要がなくて、ただ毎日撮影できるような映画だね。外に出て、車が走っているところや、子どもたちが遊んでいるところ、息子が釣りをしているところ、そういうものをそのまま撮ることができる。何かを作り出すのではなく、ただ捉えることができる。そういう、現実の世界の中にあるものを撮りたいという欲求があったんだ。「偽物にしなくていいものを撮りたい」という強い感覚があった。

パルマソン:同時に、本作には『ゴッドランド/GODLAND』よりも温かい側面があるとも強く感じていた。『ゴッドランド/GODLAND』よりも、もっと温かい色調を持った作品だと感じていたんだ。だから、その感覚に従ったんだよね。本作はより面白くて、よりクレイジーで、より自然発生的で、より衝動的で、より奇妙で、より楽しいものだと感じていたんだ。

本作では、物語が進むというより、季節が移ろい、子どもたちが成長し、関係の温度が少しずつ変わっていく感覚があります。監督にとって、映画で“時間そのもの”を撮ることには、どのような意味がありますか。

パルマソン:僕はただ、その場にいて、物事を捉えたり、記録したりすることが本当に好きなんだと思う。何かを探っている時、それが人物であっても、場所のような空間であっても、僕には時間が必要なんだ。その人と過ごす時間、その空間と過ごす時間が必要なんだよね。そして僕は、その時間そのものを楽しんでいる。むしろ、その時間を味わっていると言ってもいい。僕にとって一番好きなことは、自分がそこで時間を過ごしたいと思える場所を見つけることなんだ。そこで音を録ったり、何かを撮影したり、本を読んだり、絵を描いたり、ただ時間を過ごしたりする。そういうことが好きなんだよ。

パルマソン:だから本作に取り組む時も、基本的にはそういうアプローチだったと思う。映画に出てくる場所、たとえばキノコやベリーを摘んでいる場所も含めて、そうしたロケーションというより“空間”と呼べるような場所は、僕がとてもよく知っている場所なんだ。毎年訪れている場所でもある。だから僕は、それらの場所をよく知っている。そこがどう振る舞うのか、季節ごとにどう感じられて、どう見えるのかも知っているんだ。僕にとって大事なのは、それを映画の中で伝えようとすることなんだと思う。そして、その場所や季節の感覚を使って、映画全体の気質のバランスを取ったり、ある場面の美しさや暗さを高めたりする。そういう判断をしていくことが、僕にとってはとても大切なんだ。

『きれっぱしの愛』より

『きれっぱしの愛』より ©STILL VIVID, SNOWGLOBE, HOBAB, MANEKI FILMS, FILM I VÄST, ARTE FRANCE CINEMA

子どもたちは急速に成長しますよね。本作の撮影は時間とレースするようなプレッシャーがあったのではないですか。

パルマソン:そうだね!僕は本当に、人生そのものが時間とのレースのようなものだと感じているんだ。自分の人生の中で起きていること、たとえば自分が経験している美しさとか、子どもたちの中にある野性のようなものを、ちゃんと捉えなければいけないという感覚がある。子どもの中にあるそういう野性って、成長するにつれて少しずつ失われていくものでもある。それはひどく寂しいことなんだけど、だからこそ、手遅れになる前に捉えたいという欲求や必要性があるんだ。彼らが巣立っていってしまう前にね。

パルマソン:ここ数年、僕はそのことをかなり考えてきた。自分の周りにある、本当に大切で、自分が心から面白いと思えるものを捉えようとしているんだ。なぜなら、そういうものは再現するのがとても難しいから。もし自分の子供たちが成長してしまって、別の子役をキャスティングしなければならなかったとしたら、僕はこの映画を作れなかったと思うよ。

本作には、巨大な雄鶏や騎士のような人形、ギャラリストの場面など、現実から少し外れるような瞬間があります。それらは夢や比喩にも見えますが、完全なファンタジーとしては説明されません。こうした場面を入れる時、観客にどこまで“意味”を読み取ってほしいと考えていますか。

パルマソン:僕にとっては、そういう場面を書く時、それはかなり衝動に近いものなんだと思う。ひとつのプロジェクトに深く潜っていくと、ある意味で自分を見失っていくような感覚があるんだ。そうなれたらいいとさえ思っているよ。自分を見失って、自分が聞こえているもの、見えているもの、感じているものをそのまま書く。そういう状態だね。それを長い時間続けていると、いろいろなものがすごく自然に浮かび上がってくるんだ。

『きれっぱしの愛』より

『きれっぱしの愛』より ©STILL VIVID, SNOWGLOBE, HOBAB, MANEKI FILMS, FILM I VÄST, ARTE FRANCE CINEMA

パルマソン:だから、恐竜くらいの大きさの巨大なニワトリについての場面を書くことも、とても自然に感じられるし、ある意味では普通のことのようにさえ感じられる。僕は、少しミステリアスだったり奇妙だったりする場面が、その世界の中にちゃんと収まって、本当に自然に感じられる状態が好きなんだと思う。実際、あの巨大な雄鶏が現れて、彼を引き裂くような場面を書いた時は、自分でも驚いたんだ。でも、もっと深いところでは、それが本物だと感じていた。誠実なものだと感じたんだよね。自分は本当のことを書いている、という感覚があった。それはギミックのようには感じなかった。映画に無理やり入れようとしたものでもないし、押し込もうとしたものでもない。とても自然に出てきたものだったんだ。

パルマソン:僕にとっては、それは罪悪感の自然な表れであり、自分がつながることのできる暗い感情の表れだった。だから、その場面を作ることはとても自然に感じられたんだ。そういう意味で、あれらは衝動ではある。でも、本当の場所から出てきている衝動なんだ。僕はファンタジックにしようとか、奇妙にしようとしているわけではない。ただ、自分の中にある本物の感情なんだよ。

ただ観て、観客それぞれが感じたことそのままを感じればいいわけですね!

パルマソン:うん、そうしてくれたら嬉しいよ!

マグヌスは家族を愛している一方で、自分の寂しさや欲望をうまく扱えず、アンナや子供たちとの距離を誤ってしまう人物にも見えます。本作で描きたかった男性の弱さ、あるいは父親としての不器用さについて教えてください。

パルマソン:僕はただ、探っていたんだと思う。最初から「こういうものを描きたい」というはっきりした考えがあったわけではないんだ。むしろ、自分が進みたい方向があったという感じだね。

パルマソン:マグヌスは、何かを望んでいるけれど、同時にそれを望んでいないともいえる状態にいるんだと思う。そしてそれは、とても人間的なことだと思う。僕たち人間は、自分の中で矛盾することがよくあるよね。ひとつのものを望んでいるのに、それとまったく正反対のものも同時に望んでいる。そういうことは常にあると思うんだ。その日によっても違うし、気分によっても違うし、いろいろなものに左右される。

『きれっぱしの愛』とはどんな映画?あらすじ・キャスト・魅力まとめ

『きれっぱしの愛』より ©STILL VIVID, SNOWGLOBE, HOBAB, MANEKI FILMS, FILM I VÄST, ARTE FRANCE CINEMA

パルマソン:僕が描きたかったのは、壊れてしまった家族のポートレートだった。そして、それが誰か一人のせいではないということ。悪者やヴィランがいるわけではないんだ。解釈に開かれていて、理由はいろいろあり得ると思う。でも僕がこの映画を観る時に感じるのは、彼らはただ少しずつ離れていったんだ、ということなんだよね。そして、それは誰のせいでもない。それに、彼らはもう一度やり直そうとしたこともあるんだと思う。僕はそこも描こうとした。観客が、彼らは以前にもやり直そうとしたことがあるんだろうなと感じられるようにしたかった。性的な意味でも、カップルとしての意味でも、親密な関係を取り戻そうとした。でも、それはうまくいかなかった。

パルマソン:だからマグヌスは、流動的な状態にいるんだ。自分をどこかに根づかせることが難しくなっている。家族を失うことで、彼はこの別離の過程の中で、自分の根のようなものも失ってしまうんだと思う。彼は、新しい形の家族の中でどう振る舞えばいいのかわからない。別れた家族という新しい状況の中で、彼はもう以前のように家の中に居場所を持っていない。少なくとも、かつて持っていたのと同じ場所はもうないんだ。彼はそれに、自分なりにできる限りの方法で向き合おうとしている。でも、どうしてもうまくいかないんだよね。

最後に日本の映画ファンにメッセージをお願いします!日本の観客には、この映画をどのような作品として受け取ってほしいですか。

パルマソン:まず、この映画が日本で配給されることを本当に嬉しく思っているんだ。そして、観客の皆さん、一人ひとりが、この映画を映画館で一緒に観る機会を持てることが、本当に嬉しい。それは僕にとってすごく大事なことなんだ。僕はやっぱり、映画的な体験を作ろうとしているし、僕たち映画チームはそのために本当に一生懸命取り組んできたから。

パルマソン:だから、日本の観客の皆さんがふと映画館に入って、この映画に出会う機会があるということが、とても嬉しいんだ。そして、この映画は完全に解釈に開かれている作品だと思っている。観る人には、自分が望むように体験してほしい。そこに正しい受け取り方があるわけではないんだ。ただ願っているのは、それが親密な体験になってくれることだね。

ありがとうございました!犬の“パンダ”もMVPのひとりですね!大好きでした!

パルマソン:それはよかった!僕らもみんなパンダが大好きさ!

『きれっぱしの愛』より

『きれっぱしの愛』より ©STILL VIVID, SNOWGLOBE, HOBAB, MANEKI FILMS, FILM I VÄST, ARTE FRANCE CINEMA

(インタビュー以上/取材・文:ヨダセア)


離婚や別居を“事件”として消費するのではなく、その後も続く食卓、遊び、沈黙、季節の移ろいを見つめる『きれっぱしの愛』。パルマソン監督の言葉から浮かび上がるのは、希望とも絶望とも割り切れない、暮らしの中に残ってしまう愛のかたちだ。家族の関係が変わっても、記憶や時間は簡単には消えない。7月3日(金)より日本公開中の『きれっぱしの愛』は、その“残るもの”を、痛みとユーモア、そして静かな親密さの中で受け止める映画として響くはずだ。

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