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【映画レビュー『ナイトフラワー』】これがダメなら他に何ができた? 選択肢のない人生をあがいた、“強き母”の裏社会クライムストーリー

© 2025「ナイトフラワー」製作委員会 REVIEWS
© 2025「ナイトフラワー」製作委員会

東京国際映画祭での上映を経て、11月28日(金)から公開される『ナイトフラワー』を紹介&レビュー。

『ナイトフラワー』あらすじ

借金取りに追われ、ふたりの子どもを抱えて東京へ逃げてきた夏希(北川景子)は、昼夜を問わず必死に働きながらも、明日食べるものにさえ困る生活を送っていた。ある日、夜の街で偶然ドラッグの密売現場に遭遇し、子どもたちのために自らも売人になることを決意する。

そんな夏希の前に現れたのが、孤独を抱える格闘家・多摩恵(森田望智)だ。夜の街のルールを何も知らない夏希を見かね、「守ってやるよ」とボディーガード役を買って出る。タッグを組み、夜の街でドラッグを売り捌いていくふたり。ところが、ある女子大生の死をきっかけに、ふたりの運命は思わぬ方向へと狂い始める——。

© 2025「ナイトフラワー」製作委員会

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限界のシングルマザーに、選択肢はあるのか

本作が描き出すのは、完全に限界状態へと追い詰められたシングルマザーの、必死のあがきである。二児の母でありながら借金まで背負わされ、公共料金さえまともに払えない日々。夏希は誰の目にも「貧困のただ中でギリギリの生活を送るシンママ」そのものの姿をしており、生気を失った瞳でその日暮らしを続けている。いや、正確に言えば、その日暮らしすら成立していない。そんな彼女が、ついに闇へと救いを求めてしまう。ドラッグの売人としての一歩を踏み出してしまうのだ。

もちろん、そのような決断は絶対にしてはならない。そんなことは誰もがわかっている。しかし、すべてに手が回らず追い詰められた人間は、藁にもすがるものではないだろうか。その結果どうなるかを冷静に考える余裕があるのは、我々がまだ「普通に暮らせている側」にいるからに他ならない。本当に限界に達した時、人はリスク管理よりも希望的観測にすがってしまう。本作では当然のことながら、その決断の代償として、さまざまなトラブルやリスクが彼女のもとへ舞い込むことになるのだが。

だが、「取り返しのつかないことになる」「間違っている」と言うだけなら簡単だ。では、どうすればよかったのか。誰が彼女を救えたというのか。本作が真に描こうとしているのは、「でもどうしようもないじゃないか」という、あまりに重く、あまりにシビアな現実なのである。どこからも救いの手が差し伸べられない世界の苦しさ、そこに生きる者たちの現実に観客の目を向けさせ、安全な場所から「やめろ、それは間違っている」と言うだけでは済まされない問題なのだということを、否応なく自覚させる。この映画はそういう作品だ。

親心、母性のかけがえのなさ

では、なぜ夏希はそこまでしてしまったのか。そこまで必死にならざるを得なかったのか。答えは明白だ。彼女が母親だからである。

夏希は決して“毒親”ではない。生活苦から来るストレスもあり、常に理想的な母親として子どもたちに接することができるわけではないし、判断を誤ることも少なくない。だが、その根底にあるのは愛と責任感だ。借金を背負わされてこのような状況に陥ることさえなければ、きっと“普通のお母さん”として平穏な日々を送っていたはずだ——そう思わせるだけの、根は常識人であるキャラクターとして彼女は描かれている。しかし、状況が彼女を追い詰める。ふたりの子どもを何としても守らなければならないという思いが、彼女を闇の決断へと向かわせてしまうのだ。

“自分の子どものためならなんでもできる母親”——なんと美しい母性だろうか。本作では、ドラッグの売人たちの母親に問題があったり、そもそも母親がいないという背景が対比的に描かれており、親心や母性がいかに力強いものか、そしてそれを受けて育つか育たないかが、いかに人生に影響を及ぼすかということが強調されている。

© 2025「ナイトフラワー」製作委員会

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とはいえ、母親だからなんでもできると言ったところで、そのために売り捌くドラッグが他人の人生を蝕んでいくという事実に向き合いながら、平然としていられるほど夏希は狂ってなどいない。彼女は常識人だからこそ、その行為がもたらす罪の重さにダメージを受け続けるのだ。本作が提示するのは、そんな普通の人間のすぐそばにも、いつでも転がっている闇への片道切符と、その恐怖である。

兵庫出身の北川景子には、関西弁を操るシングルマザー役も思ったより似合っている。『マザー』の長澤まさみほどの衝撃とまではいかないものの、普段のイメージからは想像もつかない勢いのある熱演で、今後の演技の幅の可能性を披露してくれた。

格闘家・多摩恵と、ほかのキャストの名配役

もうひとりの主人公、多摩恵もまた非常に印象的な存在だ。彼女もまた、常識的な感覚と、振り切った勢いや世の中への諦めとを併せ持つ人間として描かれており、だからこそ夏希と共鳴し合う。ふたりがバディとして互いに影響を与え合っていく姿は、本作をシスターフッドものとしても極めてエモーショナルな作品にしている。

© 2025「ナイトフラワー」製作委員会

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そして、ボクシングの試合シーンは相当な気合を入れて撮られており、その迫力と痛みの描写は圧巻だ。観客が多摩恵というキャラクターに感情移入した後だからこそ、手に汗握り、顔を歪めながら見守ることになる。多摩恵の存在が、本作のエモーショナルな側面を一段階も二段階も引き上げたと言えるだろう。

他のキャストにも触れておきたい。多摩恵を幼馴染として見守りながら、中途半端な立ち位置でソワソワしている海を演じた佐久間大介(Snow Man)も、非常に印象的なポジションにいる。彼の存在が多摩恵をほどよく揺さぶり、しかしその揺さぶりにも揺るがないという多摩恵の人間性を自然と引き出す構図になっている。

そして、ドラッグディーラーのリーダー的存在であるサトウを演じた渋谷龍太(SUPER BEAVER)は、持ち前のオーラを存分に発揮し、誰も信じられずに育った裏社会の危うい人間を見事に体現していた。

タイトルにもなった“ナイトフラワー”

さて、本作のタイトルは『ナイトフラワー』である。夜にだけ、しかも一夜限りしか咲かない花が、冒頭から登場する。その花がなかなか咲かない様は、闇社会に足を踏み入れた人々の一瞬の幸せすら見えない暗い人生が、重くのしかかり続けている様を象徴しているかのようだ。そして最後、その花がどうなるのか——タイトルを冠するナイトフラワーは、物語の最後まで極めて印象的な役割を果たしていた。


母性と、どうしようもない人生を、どこまでもリアルに切り取った『ナイトフラワー』。東京国際映画祭での上映を経て、11月28日(金)から公開される。ぜひ劇場で目撃してほしい。

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