サブリナ・カーペンターの激動の一年を振り返り、『Man’s Best Friend』に込めた成長と自己決定をひも解く。
サブリナ・カーペンターにとって、この一年はキャリアの総決算であると同時に、新たな出発点でもあった。初のグラミー賞ノミネートと受賞、アリーナ規模へと拡大したツアー、そしてアルバム『Man’s Best Friend』をめぐる賛否。成功と論争が同時に進行するなかで、彼女は一貫して「自分の人生をどう引き受けるか」という問いを作品と態度で示してきた。
ディズニー・チャンネル出身という消えないラベル、女性アーティストとして向けられる視線、そして“成長してはいけない存在”として扱われる違和感。そのすべてに応答するかのように、カーペンターが、米『Variety』誌の巻頭特集で、自身の表現と選択を語り直した。
成功の連続と「次の章」の始まり
今年、カーペンターは目に見える成果を次々と積み重ねた。
2月には初のノミネートアーティストとしてグラミー賞に出席し、「Espresso」で最優秀ポップ・ソロ・パフォーマンス賞、『Short n’ Sweet』で最優秀ポップ・ボーカル・アルバム賞を受賞。キャリアの節目となる評価を、ツアーの合間に受け取る形となった。
2024年9月に始まった初のアリーナツアーは翌年3月にヨーロッパへと広がり、アルバムのプロモーションと並行して、次なるフェーズも静かに動き出す。6月にリリースされた「Manchild」は、その象徴的な一曲だった。ロンドンのBSTハイドパークで初披露されたこの楽曲は、過去の関係性を皮肉とユーモアで切り取る一方、彼女自身の視点が大きく変化していることを印象づけた。
この流れの先に位置づけられるのが、8月に発表された7枚目のスタジオアルバム『Man’s Best Friend』である。ここでカーペンターは、単なるイメージ刷新ではなく、自身の価値観や矛盾を引き受けた表現へと踏み込んでいくことになる。
「強さ」と「失敗」は同時に存在できるという思想
『Man’s Best Friend』でサブリナ・カーペンターが提示しているのは、単なる挑発や反抗ではない。そこにあるのは、女性アーティストが長年受け継いできた表現の系譜を踏まえたうえで、自身の矛盾や未完成さを肯定する姿勢である。
ポップミュージックの歴史を振り返れば、ビヨンセやアリアナ・グランデは女性性とセクシュアリティを自らの手に取り戻す力を示し、テイラー・スウィフトやアデルは脆さをさらけ出すことを強さへと変換してきた。レディー・ガガやチャーリーXCXは、秩序からはみ出すカオスさえも武器にしてきた存在だ。カーペンターの楽曲群には、そうした先人たちの教訓が確かに反映されている。
しかし彼女が付け加えるのは、「正しくあろうとしない自分」までを含めた自己決定である。愛や欲望が人を愚かな選択へと導くこと、そしてその結果さえも物語として語り得ること。彼女はそれを恥じるのではなく、ユーモアと自覚をもって引き受ける。
その価値観を、カーペンターは「超自信に満ちていて強くいることもできるし、同時に自覚的に失敗して、自分にとって良くない状況に自分を置くこともできると思うの。でも、それを全部こなせてるなら、賢い女性で、自分の人生をコントロールしてるってことなんだよね」と語っている。
さらに彼女は、「すごくしっかりすることもできるし、すべてをめちゃくちゃにすることもできる。だって、ふたつのことは同時に存在できるんだよ!」と、秩序と混乱は対立するものではないと続ける。
『Man’s Best Friend』に通底するのは、この感覚である。完全であることよりも、自分がどこで判断し、どこで間違えたのかを自覚していること。その認識こそが、彼女にとっての「コントロール」なのだ。
論争を呼んだアルバムカバーが示していたもの
『Man’s Best Friend』のリリースに先駆けて公開されたアルバムカバーは、瞬く間に賛否を呼んだ。四つん這いになったカーペンターの髪を、正体不明の男性が掴む構図。その挑発的なイメージは、女性を貶める表現だとして一部から強い批判を受けることになった。
だが、カーペンター自身はこの写真を、単なるショック表現としては捉えていない。そこに込めたのは、他者との関係性のなかで生まれる力の不均衡、そして自らがどこまで相手に主導権を委ねてきたのかという内省だった。
「人々が女性をコントロールしようとすることと、私がこれらの関係によって感情的に引きずり回されていると感じたこと、そして自分がどれだけの力を彼らに与えることを許しているかについてだったの」
写真の中で彼女が見せる表情は、明確な意味を持たない。苦痛なのか、快楽なのか、それとも両方なのか。見る者に解釈を委ねる曖昧さこそが、このビジュアルの核心でもあった。
興味深いのは、このバックラッシュそのものが、彼女の主張を裏付ける結果になった点だろう。たとえ状況が自分のコントロール外であっても、そこからどう立て直すかを選ぶのは自分自身であるという感覚。カーペンターは、批判に正面から反論するのではなく、作品がどう受け取られたかに静かに目を向けている。
「(オリジナルのカバーは)本当にすべてを物語ってるんだよね、たとえそれがみんなに私にやってほしいことじゃないとしても」
議論が続く一方で、リスナーの反応は別の形で示された。『Man’s Best Friend』はビルボード200アルバムチャートで1位デビューを果たし、収録曲すべてがホット100にランクイン。論争と成功は、この作品のなかで切り離せないものとして同時に存在していた。
テイラー・スウィフトと並び立つ場所へ
サブリナ・カーペンターのキャリアを語るうえで、テイラー・スウィフトの存在は避けて通れない。
かつてロールモデルとして見上げていた存在は、今や同じステージに立ち、楽曲を共有するパートナーへと変わった。カーペンターは「The Eras Tour」の二つのレッグでオープニングアクトを務め、その過程でスウィフトと二度にわたり共演した。観客の前で声を重ねる経験は、「10歳の私には、色々な理由で到底信じられなかったよ――私たちの声が一緒になるのを聴くなんて」と、想像すらできなかった出来事だった。
2025年、スウィフトのアルバムに収録されたタイトルトラック「The Life of a Showgirl」では、カーペンターが唯一のフィーチャリングアーティストとして参加した。きらびやかな成功の裏側にある孤独や代償を描いたこの楽曲は、両者の経験が交差する地点で生まれている。
このコラボレーションについて、カーペンターは「私は決して『ねえ、親友さん、私を曲に入れてよ』なんて言わなかったはず。彼女はとても優雅に、私たちの人生経験について本当に、真摯な形で語る曲のことを考えてくれたの」と、主導権を求めることなく、スウィフトの姿勢を強調する。
さらに彼女は、「この業界の多くの若い女性が経験することを本当にまとめてるよね」と、この楽曲が持つ意味を、個人的な成功以上のものとして捉えている。
かつて憧れた背中を追う存在だった彼女は、いまや同じ視点で語り合える場所に立っている。その変化は、サブリナ・カーペンターが“次世代”という言葉の枠を越え、一人の成熟したアーティストとして認識されつつあることを示している。
過剰露出と向き合いながら、ステージに立ち続ける理由
2022年秋にアルバム『Emails I Can’t Send』のツアーを開始して以降、サブリナ・カーペンターはほとんど休むことなくステージに立ち続けてきた。ツアー、リリース、プロモーションが重なる現在の状況に対し、「ずっと見かける」という声が上がるのも無理はない。
そのことについて本人も「『ずっとツアーしてるよね』ってコメントは確実にもらってるよ」と自覚はしている。
一方で、彼女は“露出が多いこと”そのものを危険視しすぎる風潮には距離を取っている。「そのリスクは意識してるけど、音楽は必要なときに人々のところに届くものなんだよね。そこにあるからって聴かなきゃいけないわけじゃないし!」と、音楽は押しつけられるものではなく、必要な人が必要なタイミングで手に取るものだという考えが、その根底にある。
それでも、疲労を心配する声に対しては、「人々が少し長すぎるくらい私が目の前にいることを受け入れてくれていることに本当に感謝してる。その後はしっかり昼寝するから大丈夫!」と彼女らしい軽やかさで応じた。
「成長させてもらえない」ことへの違和感
サブリナ・カーペンターが直面してきた批判の多くは、音楽性や表現そのもの以上に、彼女の「出自」に結びついている。ディズニー・チャンネルのドラマシリーズ『ガール・ミーツ・ワールド』で広く知られるようになった彼女は、長いあいだ“子ども時代の象徴”として見られてきた。
そのイメージがあるからこそ、歌詞のセクシュアリティやビジュアル表現が、必要以上に問題視される。カーペンター自身も、「一部の人々にとって私が“子ども時代の象徴”じゃなければ、そこまで問題にならなかったと思うの」とその点を冷静に受け止めている。
だが同時に、彼女は「12歳で仕事を始めたのは私の責任じゃないし、そこから成長させてくれないのもおかしいよ」と、その視線が持つ理不尽さも、はっきりと言葉にする。
子役やティーンスターとしてキャリアを始めた女性が、大人になる過程で直面する「変わってはいけない」という無言の圧力。カーペンターが問いかけているのは、その構造そのものだ。時間は誰に対しても等しく流れるにもかかわらず、特定のイメージだけが固定され続けることへの違和感が、彼女の言葉には滲んでいる。
彼女はまた、若いファンたちの受容力についても語っている。自身がまだ幼かった頃、セクシュアリティを歌うアーティストに惹かれながらも、それが自分を早熟にしたとは感じていないという。
「いつも思ってたの。『大人になったら、もっと自分の性の部分を受け入れられる。まだそれが何を意味するのかもわかんないけど!』って」。
境界線を引きながら、自分の人生を生きる
大胆な表現や率直な言葉が注目を集める一方で、サブリナ・カーペンターは「何でもさらけ出す存在」ではない。むしろ彼女は、「人々は『ああ、彼女は何でも言うし何でもするんだ』って思ってる。違うよ。私は自分自身との境界線をしっかり持ってるの」と、自分自身との距離感を誰よりも意識している。
他者の視線や期待がどれほど強く向けられようと、どこまで見せ、どこから守るかを決めるのは自分自身。その前提を崩さない姿勢が、「ただ実際に自分の人生を生きてるだけで、あなたたちがそれを見てるの。気に入らないなら、それはあなた向きじゃないってこと」との彼女の言葉に一貫している。
それは拒絶ではなく、選択の提示でもある。受け取る側にも自由があるのだという考え方だ。
カーペンターは、今の時間を振り返ったとき、「今を人生の中で本当に抑制しなかった時期として覚えていたいの」と、解放の時期として記憶したいと語る。
音楽が変わらず「真のナンバー1」でありながら、演技にも「ナンバー1.5」の特別さを感じているという彼女。その柔らかな言い回しは、ひとつの役割やイメージに縛られない現在地を象徴している。
成功も批判も引き受けながら、境界線は自分で引く。サブリナ・カーペンターの激動の一年は、その姿勢を最も雄弁に物語っていた。




