映画『グレイハウンド』(2020)を紹介&解説。
映画『グレイハウンド』概要
映画『グレイハウンド』は、第2次世界大戦中の“大西洋の戦い”を背景に、連合軍の輸送船団をドイツ海軍のUボートから守る護衛艦隊の死闘を描いた戦争アクション。C・S・フォレスターの海洋小説『駆逐艦キーリング』を、主演のトム・ハンクス自ら脚色した。絶え間なく情報と命令が飛び交う艦橋を中心に、初めて実戦で指揮を執る艦長の重圧と決断を、約91分の引き締まった構成で映し出す。
作品情報
| 日本版タイトル | 『グレイハウンド』 |
|---|---|
| 原題 | Greyhound |
| 製作年 | 2020年 |
| 本国公開日 | 2020年7月10日(Apple TV+配信開始) |
| 日本公開日 | 2020年7月10日(Apple TV+配信開始/劇場公開なし) |
| ジャンル | 戦争/ミリタリー/アクション/ドラマ |
| 製作国 | アメリカ |
| 原作 | C・S・フォレスター『駆逐艦キーリング』(原題:The Good Shepherd) |
| 上映時間 | 91分 |
| 監督 | アーロン・シュナイダー |
|---|---|
| 脚本 | トム・ハンクス |
| 製作 | ゲイリー・ゴーツマン |
| 製作総指揮 | スティーヴン・シャレシアン/アーロン・ライダー/ジェイソン・クロス/アーロン・L・ギルバート/アンジェイ・ナグパル/デヴィッド・コーツワースほか |
| 撮影 | シェリー・ジョンソン |
| 編集 | マーク・チゼウスキー/シドニー・ウォリンスキー |
| 作曲 | ブレイク・ニーリー |
| 出演 | トム・ハンクス/スティーヴン・グレアム/ロブ・モーガン/エリザベス・シュー/マヌエル・ガルシア=ルルフォ/トム・ブリットニー/カール・グルスマン |
| 製作 | プレイトーン/ステージ6・フィルムズ/フィルムネーション・エンターテインメント/ブロン・クリエイティブ/ジェンフー・ピクチャーズ/シカモア・ピクチャーズ |
| 配給 | Apple Original Films/Apple TV+ |
あらすじ
第2次世界大戦下の1942年。アメリカ海軍のアーネスト・クラウス中佐は、駆逐艦キーリング――通称“グレイハウンド”の艦長として、兵士や物資を運ぶ37隻の連合軍船団を率いることになる。
目指すのはイギリスだが、航路上には航空支援が届かない危険海域“ブラック・ピット”が待ち受けていた。そこでは、船団を狙うドイツ海軍のUボートが“群狼”を形成し、海中から攻撃の機会をうかがっている。
長い軍歴を持ちながら、実戦で艦隊を指揮するのはこれが初めてとなるクラウス。休息も食事も満足に取れない極限状態のなか、彼は刻々と変化する敵の位置や味方艦の被害を見極め、数千人の命を左右する決断を下し続ける。
主な登場人物(キャスト)
アーネスト・クラウス中佐(トム・ハンクス):アメリカ海軍の駆逐艦キーリング、コールサイン“グレイハウンド”の艦長。長い軍歴を持つ一方、実戦で艦隊を指揮するのは今回が初めて。敬虔なキリスト教徒であり、自らの恐怖や疲労を押し殺しながら、船団と部下たちを守るための決断を下し続ける。
チャーリー・コール(スティーヴン・グレアム):グレイハウンドの副長。クラウスの命令を理解して現場へ伝え、混乱する艦橋を支える冷静な補佐役。孤独な責任を負うクラウスにとって信頼できる相談相手でもある。
ジョージ・クリーヴランド(ロブ・モーガン):グレイハウンドの給仕係。戦闘が続いても食事を取ろうとしないクラウスを気遣い、何度も食事やコーヒーを運ぶ。登場場面は限られているが、クラウスの人柄と戦争による喪失を伝える重要な存在。
イヴリン(エリザベス・シュー):クラウスが愛する女性。地上に残された日常と、クラウスが帰るべき場所を象徴する人物。
作品の魅力解説
大西洋の脅威を体感させる映像と音響
まず見どころとなるのは、荒れ狂う大西洋を舞台にした海洋シーンのスケール感である。巨大な駆逐艦が波に翻弄され、暗い海中からUボートが迫る光景には、海戦、そして海そのものの恐ろしさがある。
なかでも印象的なのが音響だ。船体を打つ波、吹きつける風、船体が軋む金属音、砲撃、機関や操舵装置の作動音、などが重なり、艦内に閉じ込められたような臨場感を生み出している。本作が第93回アカデミー賞の音響賞にノミネートされたのも納得の仕上がりだ。
新型コロナウイルスの影響で当初予定されていた劇場公開が中止され、Apple TV+での配信作品となったが、その映像と音響を考えれば、本来は映画館の大画面と音響設備で体感したかった作品でもある。
決断の連続をリアルタイムで追う指揮官スリラー
艦橋には、敵艦の方位、距離、速度、ソナー反応、味方船の被害、砲弾や爆雷の残数といった情報が次々と届く。クラウスはそれらを瞬時に整理し、進路変更、攻撃、救助、船団防御のどれを優先するか決めなければならない。戦死者を悼むための時間さえ、次の攻撃によって長くは確保できない。
正解の見えない状況で、それでもリアルタイムで決断することを求められる艦長の責任が、そのままサスペンスを生み出している。
専門的な情報量と分かりやすさの両立
劇中では海軍用語や方位、操艦命令が絶え間なく飛び交うが、それでも状況を見失いにくいのは、命令を受けた艦がどう動き、それによって敵や味方との位置関係がどう変化したかを、編集と映像で丁寧につないでいるためだ。アーロン・シュナイダー監督は、複雑な情報が入り乱れる戦闘を扱いながら、なるべく観客がクラウスと同じ判断過程を追えるように作品を整理している。
約91分という短い上映時間も効果的で、余計な寄り道をせず、戦況を突破するまでの緊張感を途切れさせない。
トム・ハンクスが体現する“正しくあろうとする艦長”
脚本と主演を兼任したトム・ハンクスは、クラウスを単なる英雄や天才指揮官としては描いていない。彼は疲労し、判断に迷い、作戦の結果として部下が死んだことに傷つきながらも、自分が動揺すれば船団全体が危険にさらされるため、感情を抑えて立ち続ける。
クラウスは敬虔なキリスト教徒であり、物語の冒頭と終盤ではひざまずいて祈る。信仰は敵を倒すための大義ではなく、極限状態でも人間として正しく振る舞うための支えとして表現されている。部下への礼節を失わず、犠牲者を悼み、可能な限り正しい選択をしようとする姿には、トム・ハンクスが得意とする誠実な人物像がよく似合う。
名前の呼び間違いが喪失の痛みに変わる構成
疲労と緊張のなかにいるクラウスは、船員の名前をしばしば間違える。当初は、完璧に見える艦長にも小さな間違いがあることを示す、ほろ苦い可笑しさを伴った場面として映る。
しかし、戦闘によって犠牲者が出ると、その名前はまったく異なる重みを持ち始める。そこにいたはずの船員がもういないという事実が、“呼び間違い”を通して静かに浮かび上がるのだ。わずかな会話と繰り返しによって、日常的な描写を喪失の痛みへと反転させる脚本が巧みである。
勝利だけでは終わらない、トム・ハンクスの表情
本作は登場人物の来歴や関係性を丁寧に描き込むことよりも、戦闘のさなかに下される一つひとつの判断へと尺を割いているため、ヒューマンドラマとしての掘り下げは決して深いとは言えず、その点で物足りなさを残す一作だ。にもかかわらず、観る者に一定の感動をもたらすのは、ひとえにトム・ハンクスの演技力に負うところが大きいのではないか。
終盤、船団を守り抜いたグレイハウンドは、味方の船から歓声と敬意をもって迎えられる。だが任務を果たしたクラウスの表情に浮かぶのは、単純な勝利の笑みではない。達成感、部下ともども称えられる誇り、張り詰めた緊張からようやく解かれる安堵——そうした感情が交錯しながらも、彼の表情はなんとも複雑だ。
自らの判断が守り抜いた命がある一方で、救えなかった命があり、失った部下がいる。戦いそのものが終わったわけでもない。この相反する感情を、大仰な台詞に頼ることなく、ごくわずかな表情の推移だけで成立させるトム・ハンクスの演技は見事というほかない。英雄的な勝利の高揚だけでなく、責任を全うした者の内に残る疲労と悲しみをすくい取ることで、本作は最後の瞬間まで、艦長という立場が背負う重さから目を逸らさない。
ライター/エディター/映画インスタグラマー。2019年に早稲田大学法学部を卒業。東京都職員として国際業務等を経験後、ライター業に転身。各種SNS(Instagram・X)やYouTubeチャンネル「cula 見て聞く映画マガジン(旧:アルテミシネマ)」においても映画や海外ドラマ、音楽といったカルチャーに関する情報レビューを発信している。
