スティーヴン・スピルバーグ『未知との遭遇』とはどんな映画?あらすじ・キャスト・ネタバレ・魅力・トリビアまとめ

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『未知との遭遇』より © 1977, renewed 2005, © 1980, 1998 Columbia Pictures Industries, Inc. All Rights Reserved.

映画『未知との遭遇』(1977)を紹介&解説。


映画『未知との遭遇』概要

映画『未知との遭遇』は、『ジョーズ』や『E.T.』のスティーヴン・スピルバーグ監督が手がけた1977年公開のSF大作。UFOとの遭遇をきっかけに、平凡な日常を送っていた人々が未知の存在に強く引き寄せられ、やがて大規模な接触の場へ導かれていく姿を描く。出演はリチャード・ドレイファス、フランソワ・トリュフォー、テリー・ガー、メリンダ・ディロンら。

作品情報

日本版タイトル:『未知との遭遇』
原題:Close Encounters of the Third Kind
製作年:1977年
日本公開日:1978年2月25日
ジャンル:SFドラマ
製作国:アメリカ
原作:無
上映時間:135分

監督:スティーヴン・スピルバーグ
脚本:スティーヴン・スピルバーグ
製作:ジュリア・フィリップス/マイケル・フィリップス
撮影:ヴィルモス・ジグモンド
編集:マイケル・カーン
作曲:ジョン・ウィリアムズ
出演:リチャード・ドレイファス/フランソワ・トリュフォー/テリー・ガー/メリンダ・ディロン/ケイリー・ガフィ/ボブ・バラバン
製作:コロンビア ピクチャーズ/EMI
配給:コロンビア ピクチャーズ

あらすじ

現代のアメリカ中西部。電気技師のロイは停電調査の途中でUFOと遭遇し、同じ頃、幼い子を持つ母親の周囲でも不可解な現象が起こる。世界の各地では失踪機の発見など異変も相次ぎ、体験後のロイは奇妙なイメージに強く取りつかれ、やがて未知の存在との接触地点へ向かっていく。

主な登場人物(キャスト)

ロイ・ニアリー(リチャード・ドレイファス):インディアナ州で働く電気技師。停電調査の途中でUFOに遭遇したことを機に、説明のつかない光景とイメージに強く取りつかれ、日常が大きく揺らいでいく物語の中心人物である。

ジリアン・ガイラー(メリンダ・ディロン):幼い息子と暮らす母親。自宅周辺で起きる不可解な現象に巻き込まれ、ロイとは別の形で未知の存在に接近していく重要人物である。

クロード・ラコーム(フランソワ・トリュフォー):各地で起きる異変を追うフランス人科学者。世界規模で連鎖する現象を分析し、人類と未知の存在の接触を見届けようとする。

デヴィッド・ロークリン(ボブ・バラバン):ラコームを支える通訳兼補佐役。調査の現場で各国の情報をつなぎ、接触に向かう過程で重要な役割を果たす。

ロニー・ニアリー(テリー・ガー):ロイの妻。夫が異常な体験以降、家庭から次第に離れていく中で、その変化に戸惑いと不安を募らせていく。

バリー・ガイラー(ケイリー・ガフィ):ジリアンの幼い息子。

主な受賞&ノミネート歴

アカデミー賞

撮影賞、特別業績賞[音響効果編集]を受賞。助演女優賞、美術賞、監督賞、編集賞、作曲賞、録音賞、視覚効果賞にノミネート。

ゴールデングローブ賞

作品賞(ドラマ部門)、脚本賞、作曲賞、監督賞にノミネート。

英国アカデミー賞(BAFTA)

美術賞を受賞。作品賞、監督賞、脚本賞、編集賞、作曲賞、撮影賞、音響賞、助演男優賞にノミネート。

内容(ネタバレ)

冒頭――世界各地で始まる異変

物語は、1945年に消息を絶った軍用機がメキシコの砂漠で発見される場面から始まる。一方でアメリカ上空では航空機のニアミス騒ぎが起き、インディアナ州では少年バリーの家の周囲で、玩具が勝手に動き出すなど不可解な現象が起こる。映画は最初から、局地的な怪現象ではなく、世界規模の異変としてUFOを提示する。

ロイの遭遇――日常が崩れ始める

停電対応のため夜道を走っていた電気技師ロイ・ニアリーは、道路上で強烈な光と浮遊する飛行物体に遭遇する。トラックの電源が落ち、周囲の重力感覚まで狂うこの体験は、彼にとって単なる目撃では終わらない。ロイはその後も飛び去る複数の飛行物体を追いかけ、以後、それまでの平凡な生活から少しずつ切り離されていく。

“山のかたち”への執着

遭遇以降、ロイの頭には説明のつかない“山のような形”のイメージが焼きつく。ソニー・ピクチャーズの紹介でも、この不可解な山型のヴィジョンに彼が取りつかれていくことが強調されている。ロイはその正体を突き止めようとし、日常生活や家庭よりも、その正体不明のイメージの方に強く引き寄せられていく。

ジリアンとバリー――もう一つの接触

同じ頃、息子バリーを育てるジリアン・ガイラーの家でも異変が深刻化する。彼女の家には激しい物音や異様な気配が押し寄せ、事態は単なる“目撃”では済まない危険な局面へ進む。ロイが内面的な変化に飲み込まれていくのに対し、ジリアンは家庭そのものを脅かされる形で未知の存在と向き合うことになる。

中盤――世界の謎が一本の線につながっていく

フランス人科学者ラコームらは、砂漠で見つかった軍用機や各地の痕跡を追いながら、異変がひとつの大きな出来事へ向かっていることを探っていく。やがてロイやジリアンが抱える“説明不能な体験”と、政府や研究者たちが追う世界規模の現象が重なり始め、物語は“目撃談”から“接触の準備”へと段階を進めていく。

“山の正体”が悪魔の塔だと判明する

ロイは山のような形への執着を強め、食卓のマッシュポテトや粘土でその形を再現し続ける。ついには家の内外の土や植物まで持ち込み巨大な模型を作り、家族は彼の変化に耐えきれず離れていく。その頃、テレビではワイオミング州で列車事故により有毒ガスが発生したとして、デビルズ・タワー周辺の大規模避難が報じられる。ロイはその映像を見て、自分がずっと脳裏に見ていた山がデビルズ・タワーだと気づく。ジリアンも同じ映像から、自分が描き続けていた山と一致していることを悟る。

ロイとジリアンはワイオミングへ向かう

ロイはレンタカーでワイオミングへ向かい、避難列車に乗せられていたジリアンを助け出す。ジリアンは、息子バリーを失って以降もこの場所に導かれてきたことをロイに語る。ふたりは検問や有刺鉄線の先に、ついに現実のデビルズ・タワーを目にし、自分たちが見続けてきたイメージが単なる幻ではなかったと確信する。

政府の“有毒ガス”情報は偽装だった

現地では、家畜の死骸のように見えるものまで配置され、有毒ガス災害を装う政府の偽装工作が進められていた。ロイとジリアンはいったん軍に拘束され、他の“同じイメージを見た人々”とともにヘリコプターに乗せられる。しかしロイは空気が汚染されていないと見抜き、自らガスマスクを外して、避難劇そのものが作り話だと証明する。ここで、研究者ラコームたちは、ロイたちのような目撃者が偶然集まったのではなく、何かに“呼ばれて”ここへ来た存在だと理解していく。

制止を振り切って、着陸地点へたどり着く

ロイとジリアン、そして同行していた男ラリーは拘束を抜け出し、兵士たちの追跡を受けながらデビルズ・タワーの裏側へ向かう。軍は眠らせるための薬剤を散布し、ラリーは途中で倒れるが、ロイとジリアンは逃げ延びる。その先には巨大な照明施設と滑走路のような空間が広がっており、科学者たちが“接触”に備えて準備していたことが明らかになる。つまり物語はここで、個人の怪異体験から、人類規模の正式なファーストコンタクトの場へと切り替わる。

音による交信が始まる

やがて複数の宇宙船が現れ、ラコームたちのチームはインドで発見された五音のフレーズを使って応答する。宇宙船側も同じ旋律を返し、音楽が言語の代わりとなる交信が成立する。ジリアンは、その音がバリーの木琴で鳴っていたものと同じだと気づく。ここで本作は、未知の存在を“侵略者”としてではなく、意思疎通が可能な相手として描く姿勢をはっきり打ち出す。

母船の到来と“帰還”

その後、巨大な母船が到着し、圧倒的な光と影で空間を包み込む。船のタラップが下りると、かつて消息を絶った第二次世界大戦中のパイロットたちが姿を現し、さらにバリーも無事に戻ってきて母ジリアンのもとへ駆け寄る。物語冒頭で提示された“失踪者”の謎が、ここで一気に回収される形である。未知の存在は単に人を奪うのではなく、長い時間を経て返してきたことが示される。

ラスト――ロイは未知の世界へ踏み出す

現場では、宇宙船に乗り込む人類側の代表について話し合いが行われ、ロイが候補として浮上する。ラコームは彼をうらやましいとさえ口にする。クライマックスでロイはついに宇宙船へ向かい、日常生活を失うほどに追い求めてきた“答え”の側へ自ら歩み出す。ジリアンは息子を取り戻し、ロイは地球の外へ向かう――本作はこの対照的な着地によって、喪失と回復、そして未知への憧れを同時に結ぶラストを形作っている。

作品解説|魅力&テーマ

スピルバーグが“未知との遭遇”を、特別な誰かではなく普通の人の物語として描いたこと

『未知との遭遇』の大きな魅力のひとつは、スティーヴン・スピルバーグが“宇宙との接触”という壮大な題材を、英雄や専門家ではなく、ごく普通の生活を送る人々の視点から描いていることにある。 主人公ロイ・ニアリーは、世界を救う使命を背負った人物でも、最初から未知を解明しようとする科学者でもない。彼は家庭を持ち、仕事をこなす日常の中で偶然に説明不能な光景と出会い、その体験によって少しずつ日常の輪郭を崩されていく。

この“普通の人が未知に触れてしまう”構図は、スピルバーグ作品らしい親しみやすさと強く結びついている。宇宙船や異星人を描きながらも、本作がまず見つめるのは、理解できないものに出会ったとき、人は何を失い、何に引き寄せられるのかという揺らぎである。だからこそ観客は、ただ壮大なSFを見るのではなく、ロイの混乱や執着を自分の日常の延長として受け止めることができる。

そしてこの身近さがあるからこそ、後半に向かうにつれて物語のスケールが一気に広がっても、映画は観客を置き去りにしない。『未知との遭遇』は、宇宙的な神秘を描いた作品であると同時に、ひとりの平凡な男の生活と心が、未知によって静かに書き換えられていく過程を見つめた映画でもある。その“個人の揺らぎ”から壮大なドラマへ接続していく運びに、スピルバーグの語りの巧みさがよく表れている。

恐怖ではなく、驚異と人間性で“未知”を描いたこと

『未知との遭遇』が今なお特別なSF映画として語られるのは、未知の存在を“脅威”として消費するのではなく、人間がそれにどう心を揺さぶられるかを描いた作品だからである。 英語圏でもこの点は一貫して高く評価されており、宇宙的な神秘や音楽、そして人間の執着や感情を結びつけた作品として捉えられている。つまり本作の中心にあるのは、宇宙人が攻めてくる恐怖ではなく、理解できないものを前にしたときの戸惑い、畏怖、憧れなのである。

実際、物語の中でロイやジリアンが経験するのは、単純なパニックではない。彼らは確かに生活を乱され、恐怖にもさらされるが、それ以上に、理屈では説明できない強い引力のようなものに導かれていく。だから本作では、“未知”は恐ろしい存在であると同時に、どこか人を呼び寄せる神秘として描かれる。この感覚こそが、侵略や戦争のメタファーとして宇宙人を扱いがちだった従来のSFと、本作を分ける大きな特徴である。

この“恐怖ではなく驚異へ向かう視線”は、作品全体の余韻にもつながっている。『未知との遭遇』は、宇宙との接触を描いた映画でありながら、根底では“人は自分の理解を超えたものに出会ったとき、なおそれを見つめようとするのか”を問う作品なのである。その人間的なまなざしがあるからこそ、本作は単なるUFO映画ではなく、希望や畏敬を帯びたクラシックとして記憶されている。

映像と音によって、“遭遇する感覚”そのものを観客に体験させること

『未知との遭遇』の忘れがたい魅力は、物語を説明するだけでなく、映像と音そのもので“未知に出会う感覚”を観客へ直接手渡してくることにある。 視覚表現のインパクトはすばらしく、しかしそれが単なる見せ場に終わらず、俳優たちの存在感を損なっていない。

本作では、強烈な光、夜の静けさを破る飛行物体の出現、暗闇に浮かぶ巨大なシルエットといった視覚的演出が、未知の存在を“説明される対象”ではなく、“まず身体で受け取るもの”として立ち上げていく。だから観客は、ロイたちと同じように、何を見ているのか完全には理解しきれないまま、その圧倒的な感覚にのみ込まれていくのである。派手な特殊効果を見せる映画でありながら、その驚きが空疎に終わらないのは、スピルバーグが視覚のスペクタクルを人物の感情と結びつけているからだといえる。

そして本作を唯一無二のものにしているのが、音が単なる伴奏ではなく、物語の核心そのものになっている点である。終盤の五音モチーフは、ジョン・ウィリアムズの印象的な旋律であると同時に、人間と未知の存在が交信するための“ことば”として機能する。本作は音と映像が一体となって初めて完成する映画だといってよい。『未知との遭遇』は、筋書きだけを追う作品ではなく、映画館で光と音を浴びながら“遭遇そのもの”を体験する作品として、今なお特別な位置を保っているのである。

作品トリビア

題名はUFO研究者J・アレン・ハイネックの分類から来ている

『未知との遭遇』という題名は、天文学者でUFO研究者のJ・アレン・ハイネックが作った“遭遇分類”に由来する。AFI Catalogによれば、タイトルはハイネックの著作に基づくもので、のちにコロンビアが彼の著書『The UFO Experience』の権利を取得し、ハイネック本人も技術顧問として参加した。ロジャー・イーバートが公開直前に行ったスピルバーグ取材でも、監督自身がハイネックの本からこの題名を取ったと語っている。

ハイネック本人は、終盤に“こっそり出演”している

ハイネックは終盤の群衆の中に科学者としてノンクレジット出演している。

フランソワ・トリュフォーにとって、これは“他人の監督作に出た初めての映画”だった

クロード・ラコーム役のフランソワ・トリュフォーは、当時すでにフランス映画界の巨匠だったが、トリュフォーが他の監督の作品に俳優として出演するのは本作が初めてだった。Library of Congressの解説でも、スピルバーグが敬愛するトリュフォーを起用したことで、この大作SFに“アートハウス的な格”が加わったと整理されている。

巨大シンセの演奏者は、実は楽器を設置しに来た技術者だった

終盤の交信シーンで強い印象を残すARP 2500の演奏者“ジャン=クロード”は、俳優ではなく、もともと機材を設置するため現場に来ていただけだった。AFI Catalogによれば、スピルバーグが彼にそのまま役を与え、機材担当がそのまま画面の中の“演奏者”になった。

映画の最後に流れるはずだったのは、『ピノキオ』の「星に願いを」だった

AFI Catalogによると、スピルバーグは本作の着想源として『ピノキオ』の「星に願いを」を挙げており、公開直前の時点では実際にその曲をエンドで使っていた。しかしダラスでのプレビュー後、観客の反応を受けてコロンビアが差し替えを求め、最終的にはジョン・ウィリアムズのオーケストラ版へ変更された。つまり本作の原点には、UFO映画でありながらディズニー楽曲の感触が深く流れていたことになる。

特別編では“母船の内部”が追加されたが、これは最初からあった場面ではない

AFI Catalogによれば、1980年版『スペシャル・エディション』では新規・再編集素材が加えられ、母船内部の場面だけで25万ドルかかったとされる。この特別編は132分で、オリジナル版よりむしろ3分短かった。

撮影用セットはとにかく巨大で、メインセットだけで“建てるのに4か月、壊すのに4週間”かかった

AFI Catalogには、制作陣がモービルの複数の格納庫を100万ドルかけて巨大スタジオ化し、山や峡谷、母船、住宅内部まで再現したとある。さらにスピルバーグ自身の証言として、メインセットは設計1週間、建設4か月、解体4週間を要したと記録されている。特殊効果の比重が大きすぎて予算超過が続いた、という本作らしいスケールの逸話である。

デビルズ・タワーは、本作の公開後に観光客が大きく増えた

クライマックスの舞台となるデビルズ・タワー国立記念物について、米国立公園局は、本作の1977年公開後に来訪者と登攀者が大きく増加したと説明している。映画の象徴的ロケ地が、実際の観光地としての知名度まで押し上げた好例といえる。

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