【映画レビュー『プラダを着た悪魔2』】あの“悪魔”は今-現代を映した続編が見せる再会は美しく切なく、そして楽しいファン大満足の1本

【映画レビュー『プラダを着た悪魔2』】あの“悪魔”は今-現代を映した続編が見せる再会は美しく切なく、そして楽しいファン大満足の1本 Film Review
メリル・ストリープ(左)とアン・ハサウェイ(右)、『プラダを着た悪魔2』より © 2026 20th Century Studios. All Rights Reserved.

新作映画『プラダを着た悪魔2』 を紹介&解説するレビュー。


5月1日(金)に日本公開を迎える『プラダを着た悪魔2』は、2006年の前作から約20年の時を経て、アン・ハサウェイメリル・ストリープエミリー・ブラントスタンリー・トゥッチという4人のキャストが再集結した待望の続編だ。あの熱狂的な支持を集めたファッション誌の世界へ、彼女たちはどんな顔で帰ってくるのか。懐かしさと新しさが交差する本作は、単なる人気作の焼き直しではなく、20年という歳月を正面から受け止めた”続きの物語”として観客の前に現れる。

20年の時を経て再会する喜び-前作ファンに向けた“続編”としての満足感

『プラダを着た悪魔2』がまず楽しいのは、単なる人気作の続編商法に終わらず、前作のキャラクターたちがそれぞれ20年近い時間を生きてきたことが画面からちゃんと伝わる“再会の映画”になっている点だ。アン・ハサウェイ演じるアンディ、メリル・ストリープ演じるミランダ、スタンリー・トゥッチ演じるナイジェル、エミリー・ブラント演じるエミリー。それぞれの現在地が丁寧に描かれることで、前作で鮮やかに切り取られたファッション誌の世界や仕事への向き合い方が、時代の変化とともにどう変容したのかが自然と浮かび上がってくる。“帰ってきた”という感覚が、本作の最初の魅力になっている。

前作を観ている観客であれば、セリフや構図、人物同士の距離感に散りばめられた数々のリンクを発見する楽しさもある。懐かしさをただ並べるのではなく、「あの頃の彼女たち」が今どこに立っているのかを見せることで、ファンサービスが物語の一部として有機的に機能している。描くべき人物や出来事が多い分、展開のテンポはやや速く、もう少し各シーンの余韻を味わいたいと感じる場面があるのも正直なところだ。それでも、“お仕事映画”として人気を集めた前作の続編として、人生の変化、キャリアの移り変わり、そして再び交差する人間関係を、エンタメとして最後まで見せきる力は十分にある。

ファッション雑誌を舞台にした作品らしく、衣装やビジュアルの華やかさも健在だ。“ファッションを見る楽しさ”は前作から変わらず本作の重要な魅力として機能しており、画面を眺めているだけでも十分に楽しい。前作ファンにとって本作は、懐かしい顔ぶれとの再会でありながら、彼女たちが時代の中でどう変わったのかを見届ける作品でもある。懐かしさと新しさ、その両方をまとった続編として、エンタメ映画としての満足度はかなり高い。

“悪魔”でいられなくなったミランダ-変わりゆく時代が落とす仄暗い影

『プラダを着た悪魔2』で特に興味深いのは、前作の華やかさや軽妙なテンポを受け継ぎながら、その奥にかなり現代的な寂しさが流れている点だ。舞台となるファッション誌の世界は、もはや絶対的な憧れの中心ではない。かつては一冊の雑誌が流行を作り、ミランダ・プリーストリーの一言が業界を動かしていた。しかし本作では、雑誌というメディアそのものの価値が揺らいでいる。紙の雑誌が持っていた権威や美しさが時代の中で少しずつ縮んでいく、そのやるせなさが物語の背景に静かに横たわっている。

だからこそ、本作のミランダは前作と同じ“悪魔”ではいられない。前作の彼女は、冷酷で理不尽でありながら圧倒的な美意識と権力を持つ存在だった。その“悪魔的な迫力”こそが作品最大の魅力でもあったが、本作ではその鋭さがかなり抑えられる。多様性や働き方への意識が高まり、パワハラ的な振る舞いが明確に問題視される時代において、かつてのミランダのやり方はそのまま通用しない。彼女のカリスマキャラクターも魅力のひとつだっただけに、そこに少し寂しさを感じるのも正直なところだ。けれど、彼女が以前のように君臨できないことこそが、むしろ本作の現実味になっている。

ただ、本作はその変化を真正面から扱いつつも、暗くは描きすぎないようにもしている。雑誌の衰退、権力構造の変化、仕事における価値観の更新——これらをそのまま描けば、かなり仄暗い物語になってもおかしくない。しかし映画は、前作の明るくコミカルなタッチをできるだけ保ちながら、現代の重さをエンタメとして包み込もうとする。そこには良くも悪くも、観客が『プラダを着た悪魔』に求める軽やかさを手放すまいとする意志が感じられる。

その意味で本作は、単なる懐かしい続編ではない。「あの時代の華やかさはもう戻らない」と知りながら、それでも雑誌やファッション、仕事への誇りを美しい形で残そうとする映画だ。ミランダが以前ほど恐ろしくないのは確かに物足りないが、同時にそれは、彼女自身が時代に取り残されまいともがく姿でもある。前作の痛快さの裏に現代の苦みをにじませた——そこにこそ、この続編ならではの面白さがある。

音楽とカメオが生む祝祭感-人気作の続編らしい華やかな厚み

『プラダを着た悪魔2』は、物語やキャラクターの再会だけでなく、音楽とゲスト出演の豪華さによっても“続編らしい祝祭感”をまとっている。ファッション誌の世界を描く作品だけに、画面の美しさや衣装の楽しさはもちろん重要だが、本作ではそこに音楽のスタイリッシュさが加わり、映画全体のテンションを鮮やかに引き上げている。

とりわけ印象的なのが、レディー・ガガ、ドーチー、シザ(SZA)、デュア・リパ、マイリー・サイラス&ブリタニー・ハワード、レイヴェイ(Laufey)、レイ(RAYE)、オリヴィア・ディーンといった現代の音楽シーンを彩るアーティストたちの起用だ。新曲と既存曲が混ざり合うことで、映画は懐かしさにとどまらず、2020年代のポップカルチャーの真ん中にしっかりと立っている。前作が当時のファッションと音楽のムードをまとっていたように、本作もまた今の時代の音を取り込みながら、“新しい『プラダを着た悪魔』”として成立している。

なかでもレディー・ガガの参加は、本作の華やかさをひときわ象徴する。ドーチーとのコラボ曲「Runway」は、タイトルからして本作の世界観と直結しており、ファッション、自己表現、ステージ性を一体化させるような存在感を放つ。音楽が単なるBGMではなく、登場人物たちの生きる世界そのものを拡張する装置として機能している——そこに本作のサウンドトラックの面白さがある。

ジョン・バティステをはじめとする豪華ゲストの顔ぶれも、人気作の続編ならではの贅沢さだ。カメオ出演が多い作品はともすれば物語から意識を逸らしがちだが、本作の場合は“ファッション業界とカルチャー界の社交場”という舞台設定と相性が抜群にいい。誰がどこに現れるかを探す楽しさがあり、観客をそのままイベントの熱気の中へ引き込んでいくような高揚感がある。

本作は前作ファンへの懐かしさだけでなく、音楽、ファッション、セレブリティ、ポップカルチャーが一体となった“今の祝祭”として楽しめる作品だ。時代の変化がもたらす切なさを抱えながらも、映画全体が沈みすぎないのは、こうした華やかな要素が作品をスタイリッシュに彩り続けているからだろう。前作への愛着と、今この瞬間の高揚感——その両方を手土産に劇場を出られる続編は、そうそうない。


『プラダを着た悪魔2』は、前作を愛した人々にとって、懐かしいキャラクターたちとの感慨深い再会であり、同時に、時代の変化に抗いながらも誇りを失わない人間たちの物語でもある。華やかな衣装、現代の音楽シーンを彩るアーティストたちの楽曲、豪華なゲスト出演——それらが折り重なって生まれる祝祭感の裏に、ある種の静かな切なさが流れているのが、この続編のいちばんの深みかもしれない。5月1日(金)の日本公開を楽に前作のことを思い出しながら劇場へ向かってほしい。あの頃の熱狂は、少し形を変えて、ちゃんとそこにある。

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