マット・デイモンとベン・アフレックが、キャンセルカルチャーの過酷さと赦しの欠如について率直な見解を語った。
マット・デイモンとベン・アフレックが、ハリウッドに根付くキャンセルカルチャーについて、自身の考えを明かした。新作映画『The Rip(原題)』のプロモーションの一環として出演したポッドキャストで、過去の過ちが永続的な社会的制裁へと変わってしまう現状や、そこから赦しが失われていく構造に強い懸念を示している。
キャンセルは「終わらない罰」だと語るマット・デイモン
ポッドキャスト内で、ホストからキャンセルカルチャーについて「ひとつの発言やひとつの行動だけで、それを最大限に誇張されて、一生社会から追放されてしまうという考え方」が提示されると、デイモンはその異常性に同意した。そのうえで彼は、業界の一部の人々が感じている極端な心理状態について言及する。
「そういう人たちの中には、18ヶ月か何かの間刑務所に入って、出てきてから『俺は償いを果たした。もういいだろ?終わりにできないか?』って言える方が良かったって思う人もいると思うんだよね」
しかし、公の場で糾弾され続ける現実は、それすら許されないものだという。「でもああやって公の場で徹底的に批判されるっていうのは、決して終わらないんだ。墓場まで付いて回るんだよ」。
デイモンは、キャンセルカルチャーが本来あるべき「償い」や「区切り」を奪い、人生全体を規定する罰へと変質している危険性を示唆した。
「赦しが消えた社会」への違和感を示すベン・アフレック
デイモンの発言に続き、ベン・アフレックもまた、キャンセルカルチャーの根底にある人間心理について言及した。彼はその構造を「小学6年生的な本能」にたとえ、誰かを指差すことで自らの安全を確認しようとする衝動が働いていると指摘する。
「人間には時に暗くて歪んだ本能もあるんだよね、人を孤立させたり、誰かが困っているのを見て喜びを得たりする」
その行動の裏側には、自己防衛的な心理があるという。
「その一部には『ほら、俺じゃないよ』って言いたい気持ちもあるんだと思う。だから誰かを指差すことができれば、みんながそっちを見て、自分たちは安全だって感じられるんだよね」
さらにアフレックは、そうした空気の中で「赦し」という概念が消えてしまっていることについて「そこから一切の赦しを取り除いてしまうっていうのは、本当にひどいことだと思うよ。だってそうすると、『ああ、たしかに俺がやった。それは間違っていた。分かってる』って実際に認めることが不可能になっちゃうから」と危機感を示した。
過ちを認めた瞬間に排除される社会では、反省や修復のプロセスそのものが成立しないと彼は語る。そして最後に、キャンセルカルチャーが人間を単純化してしまう危険性を強調した。
「そして誰も、自分という人間の全体が、自分の最悪の瞬間だけで定義されることなんて望んでないと思うんだよね」。
【動画】デイモン&アフレックが出演したポッドキャスト番組
マット・デイモン自身が直面した論争と、その後の釈明
キャンセルカルチャーについて語ったデイモン自身も、過去に公的な批判の渦中に立たされた経験を持つ。2021年、英紙「サンデー・タイムズ」のインタビューで、同性愛者に対する侮蔑的なスラングの使用をめぐる発言が波紋を広げた。
当時デイモンは、数ヶ月前にその言葉の使用をやめた理由として、娘が「その言葉がいかに危険か」について「とても長く美しい論文」を書いてくれたことを挙げていた。この発言は、「遅すぎる理解ではないか」といった批判を呼ぶことになった。
その後、デイモンは米『ザ・ハリウッド・リポーター』誌に声明を発表し、発言の意図について補足している。声明の中で彼は、「私は個人生活において誰かを『オ*マ』と呼んだことは一度もありません。娘とのこの会話は、個人的な目覚めではありませんでした」と述べ、誤解が生じたことを釈明した。
さらにデイモンは、「私はいかなる種類のスラングも使用しません。偏見の根絶には、自分を『善良な人間の一人』だと想像して受動的な安心感を得るのではなく、正義に向けた能動的な行動が必要だと学びました」と偏見と向き合う姿勢についても言及する。
加えて、自身の発言が与えた影響についても理解を示し、「LGBTQ+コミュニティに対するあからさまな敵意がいまだに珍しくないことを考えると、私の発言が多くの人に最悪の態度を想定させた理由も理解しています」と説明。そのうえで、「できる限り明確に述べますが、私はLGBTQ+コミュニティを支持している人間です」と明言した。
キャンセルカルチャーをめぐるデイモンとアフレックの発言は、過ちへの責任と赦しのあり方、そのバランスを改めて問いかけるものとなっている。
