ティモシー・シャラメの徹底的な役作りを『マーティ・シュプリーム』の卓球インストラクターが絶賛「どう動くべきかをすぐ理解した」

『マーティ・シュプリーム 世界をつかめ』 © 2025 ITTF Rights LLC. All Rights Reserved. NEWS
『マーティ・シュプリーム 世界をつかめ』 © 2025 ITTF Rights LLC. All Rights Reserved.

ティモシー・シャラメが主演作『マーティ・シュプリーム 世界をつかめ』で挑んだ、卓球という競技への徹底的な没入が語られた。


俳優が役作りのためにスポーツを学ぶことは珍しくないが、ティモシー・シャラメが『マーティ・シュプリーム 世界をつかめ』で見せた準備は、その枠を大きく超えていたようだ。卓球という競技を「演じる」のではなく、「成立させる」ために数年にわたるトレーニングを重ねていた彼の裏側が、米『ハリウッド・リポーター』誌で明かされている。

役作りは撮影前から始まっていた──数年越しの卓球トレーニング

本作で卓球コンサルタントを務めたディエゴ・シャーフによれば、シャラメの準備は映画のリハーサルよりもはるか以前から始まっていた。『フレンチ・ディスパッチ』や『ウォンカとチョコレート工場のはじまり』、『デューン 砂の惑星PART2』といった作品に取り組む一方で、彼は「何年もの間密かにトレーニングを続けていた」という。

その成果は、撮影現場に到着した時点ですでに明らかだった。シャーフは「彼は映画の他の部分と同じクオリティにすることに、一途に専念していたよ」と語り、卓球シーンだけを例外として扱う姿勢が一切なかったことを強調する。プロの競技者ではないシャラメが目指したのは、卓球が物語の中で違和感なく存在するレベルだった。

さらに彼のトレーニングには、シャーフの妻でありアメリカの元オリンピック選手であるウェイ・ワンも参加していた。ワンはシャラメと密接に協力し、時代背景やスタイルに即した動きを徹底的に刷り込んでいった。シャーフはその姿勢について、「彼は最低限のことをやるだけでは満足しなかった」と振り返る。正しくできた後でさえ、「もう一回やろう」と繰り返したというエピソードは、今回の役作りの徹底的な本気度を象徴している。

現代の技術を一度捨てる──1950年代仕様の卓球への作り替え

『マーティ・シュプリーム 世界をつかめ』の舞台は1950年代。その時代設定は、シャラメの卓球トレーニングにも大きな制約を与えた。シャーフによれば、目指すべき水準は「1950年代の世界レベル」であり、「ストロークのメカニクスを引き上げる必要があった」という。だがそれは、「現代の卓球のプレイスタイルとは明確に異なるもの」だったようだ。

通常であれば、技術は積み重ねるほど洗練されていく。しかし本作では、その逆が求められた。シャラメは一度身につけた現代的な動きを意識的に手放し、当時特有のフォームやテンポへと身体を作り替えていったという。

この難題に対し、シャーフはシャラメの身体感覚を高く評価する。「ティモシーはダンサーでもあるから、どう動く必要があるかすぐに理解していたよ」。ただし、それを単なる再現に終わらせず、「比較的速いプレイの文脈の中で機能させる必要があった」とも語る。見た目の再現性と、試合として成立するスピード感。その両立が求められていた。

ここで重要なのは、シャラメが“それらしく見せる”ことをゴールにしていなかった点だ。時代考証に即した動きが、試合としてのリアリティを損なわないレベルに達して初めて成立する。その厳しい基準が、この作品における卓球シーンの土台となっている。

スタントなしで挑んだ全ショット──「成立する卓球」を求めて

シャラメの役作りをさらに過酷なものにしたのが、スタント・ダブルを使わないという選択だった。卓球シーンのすべてを自ら演じるという方針は、演技の説得力を高める一方で、技術的なハードルを一気に引き上げることになる。

卓球コンサルタントのディエゴ・シャーフも、当初は代役の起用を検討したという。「ダブルを探すことも考えたよ」と前置きしつつ、「でも、彼の体格に合っていてプレイできる人を見つけるのは難しかった」と振り返る。最終的にスタントを使わなかった理由については、「最初から、ジョシュ(・サフディ監督)には最高のプレイヤーが必要だって伝えていた」と説明する。「なぜなら、彼らはプレッシャーの下でもパフォーマンスできるからね」。

『マーティ・シュプリーム 世界をつかめ』 © 2025 ITTF Rights LLC. All Rights Reserved.

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とはいえ、限界があることもシャーフは理解していた。多くのオリンピックレベルの卓球選手が「4歳から8歳の間にトレーニングを始める」現実を踏まえ、「どこまでいけるかには限界があるってわかっていた」と語る。それでもシャラメは、この競技を表面的に再現する段階を超えていた。「彼はショットがどれだけ難しいかを理解できるくらい、この競技をよく理解していた――そして、実際にそれを決めたらどう見えるべきかもね」。

実際の撮影では、難易度の高いトリックショットの一部は成功しなかったが、そうした部分はポストプロダクションで補完された。しかし重要なのは、シャラメが“何ができて、何ができないか”を把握した上でプレイしていた点にある。シャーフの言葉を借りれば、それは「決まったらどう見えるべきか」を理解した状態だった。

この選択によって、卓球シーンは単なる演技の見せ場ではなく、競技としてのリアリティを備えたものになった。スタントを排した判断は、リスクと引き換えに、本作の緊張感を根底から支える要素となっている。

試合は振り付けられたアクションだった──記憶とタイミングの積み重ね

映画に登場する卓球の試合は、即興的なラリーではない。そこには、細かく設計された動きと、正確な再現が求められていた。シャーフは撮影時の状況について、「レクリエーションの卓球では、ほとんど動かない」と前置きした上で、「これは非常に運動強度が高かった」と説明する。

シャラメが求められたのは、ラケットを振ることだけではなかった。「彼はすべてのポイント、すべての動き、すべてのショットを記憶した」という言葉が示すように、試合は一種の振り付けとして構築されていた。しかも、それを機械的に再現するのではなく、試合として成立させなければならなかった。

特に重要だったのがタイミングだ。「ゆっくり浮くショットもあれば、速く飛ぶショットもある」。その違いを瞬時に理解し、動きの中に落とし込む必要があったという。卓球台を挟んだ距離の短さは、判断の遅れを許さない。わずかなズレが、試合全体のリズムを崩してしまう。

その条件下でシャラメが見せた適応力について、シャーフは「彼はそれを即座に理解していた」と語る。動きと間、スピードの緩急。そのすべてを把握したうえで組み立てられた試合は、単なる競技描写を超え、物語の緊張感を支えるアクションとして機能している。

『マーティ・シュプリーム 世界をつかめ』 © 2025 ITTF Rights LLC. All Rights Reserved.

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結果としてシャーフは、「彼は信じられないほどすばらしいパフォーマンスをしたよ」と評価する。卓球という競技が、身体表現と物語装置の両方として成立した背景には、この緻密な“振り付け”の積み重ねがあった。

未経験者からのスタート──タイラー・ザ・クリエイターの別軸の挑戦

本作には、もうひとり印象的なトレーニング参加者がいる。タイラー・ザ・クリエイターだ。彼もまた、ロサンゼルスにあるシャーフとワンのクラブで卓球指導を受けたが、シャラメとは出発点が大きく異なっていた。

シャーフによれば、タイラーは「文字通り一度もボールを打ったことがない」状態だったという。卓球経験ゼロの状態から始まったが、その反応は意外なものだった。「彼はその状況を気に入ったよ」とシャーフは語り、ある時には空港から直接クラブに現れ、「『自分用の卓球台を買うよ!』って言ってた」と振り返る。

ただし、映画内で求められた役割は、シャラメとは明確に線引きされていた。ボウリング場のシーンにおけるタイラーのキャラクターは、「高レベルのプレイヤーではないはず」だったため、あえて技術を抑えた演出がなされている。それでも現実には、「たった1、2回のセッションの後には、もう10球か12球を返球していた」という。

シャーフはその成長を「簡単なことじゃない」と評価しつつ、最終的には人柄に話題を戻す。「彼は本当に素敵な人だった――ずっと笑顔でね」。卓球の技術的完成度よりも、現場に持ち込まれた空気感が、作品の一部として機能していたことがうかがえる。

シャラメが競技のリアリティを極限まで突き詰めた存在だとすれば、タイラーは卓球に初めて触れる側の視点を担っていた。ふたりの異なる立ち位置は、物語の中で意図的に配置され、本作の世界観に厚みを与えている。

ニューヨークの卓球は別物だった──アンダーグラウンドな空気感

『マーティ・シュプリーム 世界をつかめ』の舞台は、1950年代のマンハッタン・ローワー・イースト・サイド。トレーニング自体はロサンゼルスで行われたが、作品にとって重要だったのは、ニューヨーク特有の卓球文化をいかに再現するかだった。

『マーティ・シュプリーム』より © 2025 ITTF Rights LLC. All Rights Reserved.

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シャーフは、自身がニューヨークでプレイすることはないと前置きしながらも、「ニューヨークのプレイヤーにはたくさん会ったことがある」と語る。その感覚を言葉にすると、「とても正確に感じられた」。西海岸とは異なる空気が、卓球そのものにも表れているという。

彼が指摘する最大の違いは、競技を取り巻く環境だ。「より多くのギャンブル、より多くのアンダーグラウンドな雰囲気がある」。公式な大会とは異なる場所で行われる試合が多く、勝敗や金銭が直結する緊張感が、プレイスタイルにも影響を与えていた。

さらにシャーフは、「ニューヨークのプレイヤーが西海岸に来ると、エネルギーの種類が違う」とも語る。荒削りで、どこか危うさをはらんだ感覚。それは単なる地域差ではなく、街そのものが生み出す卓球の表情だった。

サフディとシャラメはいずれもニューヨーク出身であり、この街の空気を物語に落とし込むことは優先事項だった。卓球は単なる競技ではなく、当時のローワー・イースト・サイドを象徴する要素として配置されている。台を挟んで交わされる一球一球が、街の熱量そのものを映し出している。

卓球を忘れさせる緊張感──サフディ作品としての推進力

『マーティ・シュプリーム 世界をつかめ』は卓球映画でありながら、競技そのものを前面に押し出す構成にはなっていない。物語の核にあるのは、成功に飢えた主人公マーティの焦燥と野心であり、その推進力は、サフディ兄弟作品で知られる独特の緊張感と直結している。

卓球コンサルタントのシャーフも、完成した作品を観てその点に驚かされたという。「映画を観て、卓球が入っていることをほとんど忘れかけた」。競技の描写が物語の流れに溶け込み、観客の意識から一度消えるほど、ストーリーのテンポが優先されていたことを示す言葉だ。

だが、その後に訪れる試合のシーンは、強烈な印象を残す。「それで最初のトーナメントシーンが来て、『あ、そうだった――ここからだ』って思った」。忘れかけた卓球が、物語の転換点として一気に前景化する。その切り替えこそが、本作の編集と構成の妙と言える。

シャーフはこの演出について、「ジョシュ(・サフディ監督)は本当に緊張感を感じられるように素晴らしい編集をした」と評価する。卓球は見せ場でありながら、物語を止める要素にはならない。むしろ、マーティの心理と連動しながら、観る者の呼吸を詰まらせる装置として機能している。

弟のベニーを欠いた初の単独長編でありながら、サフディ作品らしいスピード感と不安定さは健在だ。卓球はその中心に据えられたテーマではなく、緊張感を加速させるための一要素として、精密に配置されている。

命懸けの役作りが生んだ波紋──映画と現実が交差した瞬間

シャラメの徹底した没入は、時にリスクを伴うものでもあった。今月初めにニューヨーク市で行われたプレミアで、監督のジョシュ・サフディは、撮影中にシャラメが「もう少しで目を失うところだった」と明かしている。詳細は語られていないが、役柄のトレードマークである眼鏡をかけるため、視力を「悪くする」目的でコンタクトレンズを装着し、その結果「ひどい」眼の感染症につながったという。

そうした全力投球の姿勢は、作品の外側にも波及した。シャラメは本作において、風刺的なA24のマーケティング会議、空に浮かぶオレンジ色の飛行船、ラスベガスのスフィアへの登場など、型破りなプロモーションを展開する。スフィアは映画のモットーである「Dream Big(大きく夢見よ)」とともに、オレンジ色の卓球ボールのように光り輝いた。

さらに、ファンが24時間並んで待つことになった限定ジャケットの販売、エンパイア・ステート・ビルディングのライトアップ、ニューヨークの卓球トーナメントへの乱入など、その行動はマーティの野心を現実世界でなぞるかのようだった。俳優のプロモーションと、登場人物の生き方が重なり合う瞬間が、ここにはあった。


『マーティ・シュプリーム 世界をつかめ』は、卓球での成功に飢えた男の物語であると同時に、この競技そのものに新たな光を当てる試みでもある。シャーフは率直にこう語る。「この映画が、この競技に長らく待ち望まれていたブレイクスルーをもたらすことを本当に願っている」。

卓球は一見シンプルに見えるが、「トップに近いと思っても、その間に30のレベルがある」。上達すればするほど、「自分がいかに何も知らないか気づく」という言葉には、この競技の底知れなさがにじむ。

シャーフは少し間を置いてから、笑いながらこう続ける。「これには特定のタイプの人間が必要なんだ――マーティのような。『これがどんなに難しくても、やり遂げるんだ』って言える人」。
俳優として限界まで踏み込み、競技のリアリティを背負ったシャラメの姿は、その言葉を現実のものとして映し出している。

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