【映画レビュー『セプテンバー5』】実際にあったオリンピックテロとともに描き出される、メディアの野心と信念

『セプテンバー5』© 2024 Paramount Pictures. All Rights Reserved. REVIEWS
『セプテンバー5』© 2024 Paramount Pictures. All Rights Reserved.

映画『セプテンバー5』が2月14日(金)日本公開。放送室を中心に、ミュンヘンオリンピックで起きたテロの悲劇と、人々・報道陣の混乱、そして信念を迫真のスリルで描いた傑作であり、アカデミー脚本賞にノミネートされている。

【動画】『セプテンバー5』予告編

『セプテンバー5』あらすじ

1972年9月5日ミュンヘンオリンピックでの、パレスチナ武装組織「黒い九月」による、イスラエル選手団の人質事件。事件発生から終結まで、その緊迫に溢れた一部始終は、当時技術革新がめざましい衛星中継を経て全世界に生中継された。

しかし、全世界が固唾を飲んでテレビにくぎ付けとなったその歴史的な生中継を担ったのは、なんとニュース番組とは無縁のスポーツ番組の放送クルーたちだった。

70年代の報道現場を舞台に描く野心作

1972年9月5日、ミュンヘンオリンピックで突如として勃発したテロ事件。その一部始終を全世界に伝えることになったのは、なんとスポーツ中継のスタッフたちだった。本作は、放送現場に身を置く人々の苦悩と葛藤、そして彼らが直面した重圧を、息詰まるようなリアリティで描き出した傑作である。

同時に本作は、70年代の放送局の舞台裏を丹念に描いた職業映画としての魅力も兼ね備えている。映像の随所に散りばめられた細部の演出が、作品の完成度を一段と高めている。オリンピック開催中の華やかな雰囲気を伝えるオープニングでは、テンポの良い映像編集とともに、生放送番組制作の臨場感が鮮やかに描かれる。現地とアメリカ、二つの時計を腕に携えるスタッフの姿には、国際放送を担う者たちの緊張感と使命感が如実に表れている。そして、スタジオの喧騒やスタッフたちの機敏な動きを捉えたカメラワークは、やがて訪れる悲劇の前触れとして、見る者の心に静かな不安を掻き立てていく。​​​​​​​​​​​​​​​​

『セプテンバー5』© 2024 Paramount Pictures. All Rights Reserved.

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報道という仕事が抱えるジレンマ

本作が鋭く切り込むのは、報道という仕事が内包する本質的なジレンマだ。事実という”物語”を正確かつ迅速に、そして可能な限り広く人々に届けることが報道の使命である一方で、速報と独占にこだわる商業的な欲望との間で、ジャーナリストたちは常に揺れ動く。

『セプテンバー5』© 2024 Paramount Pictures. All Rights Reserved.

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他社・他部署との協力関係は、より正確で広範な報道を可能にするが、それは同時に”独自の視点”を薄めることにも繋がっていく。どこまで自社の独自性を保ち、どこで他者との協力を選ぶのか——本作は、そんな現場の葛藤を赤裸々に描き出す。スクープを追い求める欲望と、ジャーナリズムの理想との間で揺れ動くスタッフたちの姿に、報道の持つ普遍的な課題が浮き彫りになっていく。​​​​​​​​​​​​​​​​

緊迫が生む演出の妙

事件発生後の描写は、70年代の報道現場が持つ独特の緊迫感を見事に捉えている。現地取材班、スタジオの統括チーム、情報収集に奔走するスタッフたち——各々の動きが同時進行で描かれる様は、まるでモザイク画のように精緻に組み上げられ、リアルタイムで進行する事態の切迫感を増幅させていく。

『セプテンバー5』© 2024 Paramount Pictures. All Rights Reserved.

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現代のような即時性の高い通信手段を持たない時代、トランシーバーと電話回線、手作業で運ばれるフィルムに頼らざるを得ない状況下での情報のやり取りは、むしろその制約ゆえに生々しい臨場感を放っている。編集は巧みにそれらの要素を紡ぎ合わせ、当時の報道現場が抱えた物理的な限界と、それに立ち向かう人々の懸命な努力を、説得力たっぷりに描き出している。​​​​​​​​​​​​​​​​

しかし、スピーディーな報道への執着は、時として取り返しのつかない結果を招く。本作では、放送してしまった情報の重みに押しつぶされそうになるスタッフたちの苦悩も鋭く描き出される。現場に殺到するカメラマンたちの群れは、モノクロの映像と相まって『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』を想起させる不気味さを帯びる。彼らの姿からは、スクープへの飢えが人としての感性を覆い隠していく様が浮かび上がり、「物語を追う」ことへの偏執的な執着と、功名心に駆られる姿が容赦なく映し出されていく。

『セプテンバー5』© 2024 Paramount Pictures. All Rights Reserved.

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その一方で、本作は報道に携わる者たちの良心も丁寧に描いていく。スタジオに届く銃声やヘリコプターの轟音は、取材対象との物理的・心理的な距離感を象徴的に表現する。目の前で展開される悲劇を、当事者として受け止めながらも、客観的な報道として昇華させなければならないという矛盾。その狭間で揺れ動く記者たちの姿を、本作は見事な説得力で描き出している。控えめながら効果的に用いられたサウンドトラックは、スタッフたちの内なる恐怖とプレッシャーを増幅させ、観る者の背筋を凍らせる瞬間を幾度となく生み出していく。​​​​​​​​​​​​​​​​

良心と野心の狭間で

このように本作は、ジャーナリズムの持つ二面性——スクープへの野心と報道倫理という相反する価値観の衝突を、緻密な演出で描き切った意欲作といえる。画面に何度も映し出されるABCのロゴは、アメリカを、そして世界を代表する報道機関としての重責を象徴的に示し、その存在感は見るものを圧倒する。

『セプテンバー5』© 2024 Paramount Pictures. All Rights Reserved.

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特筆すべきは作品終盤、事件報道から解放されたジェフを映し出すシークエンスだ。長めのショットと俳優の抑制の効いた演技が、一連の出来事が残した深い傷跡と疲労感を雄弁に物語る。そこには、事件という「物語」を追い続けた報道者が最後に直面する空虚感と、職業人としての使命を全うした後に残される個人としての苦悩が、重層的に描き込まれている。​​​​​​​​​​​​​​​​

ドイツ人の視点を体現した通訳マリアンヌ

本作でひときわ印象的な存在感を放つのが、通訳のマリアンヌ役を演じたレオニー・ベネシュ(『ありふれた教室』)だ。序盤彼女が口にする「前進する以外、何があります?」という言葉には、深い意味が込められている。ホロコーストの影を背負い続けるドイツにとって、このミュンヘンオリンピックは、世界との和解と平和への決意を示す貴重な機会だった。その舞台で起きたテロ事件は、新しい時代へ歩み出そうとするドイツの希望を、無残にも打ち砕いていく。

『セプテンバー5』© 2024 Paramount Pictures. All Rights Reserved.

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ベネシュは、通訳という職務や、時に軽んじられる立場ゆえに課される雑務をこなすマリアンヌを、控えめながらも強い説得力を持って演じ切る。セリフこそ多くないものの、彼女の表情や仕草の一つ一つに、祖国の悲しみと怒り、そして屈辱が滲み出ている。そこには単なる脇役以上の重みがあり、本作のテーマである「報道」と「事件」を、より普遍的な文脈へと昇華させる重要な役割を果たしている。​​​​​​​​​​​​​​​​

『セプテンバー5』© 2024 Paramount Pictures. All Rights Reserved.

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報道という視点から事件の本質に迫り、人間の良心と欲望の相克を鋭く描き出した本作。70年代の放送現場を舞台に繰り広げられる重厚なヒューマンドラマを、ぜひスクリーンでご覧いただきたい。『セプテンバー5』は2月14日(金)日本公開。

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