映画『友だちのうちはどこ?』(1987)を紹介&解説。
映画『友だちのうちはどこ?』概要
映画『友だちのうちはどこ?』は、イランの巨匠アッバス・キアロスタミ監督が、友人の宿題ノートを返そうと奔走する少年の小さな冒険を通じて、子どもの純粋な思いやりと大人社会の規律を描いたヒューマンドラマ。厳しい教師から退学を言い渡されかけた友人を救うため、8歳の少年アハマッドが隣村にある友人の家を探し歩く。キアロスタミ監督の代表作であり、『そして人生はつづく』『オリーブの林をぬけて』へと続く「ジグザグ道3部作」の第1作。主演はババク・アハマッドプール、共演にアハマッド・アハマッドプール、ホダバフシュ・デファイ、イラン・オタリら。
作品情報
| 日本版タイトル | 『友だちのうちはどこ?』 |
|---|---|
| 原題 | Khane-ye Doust Kodjast? |
| 英題 | Where Is the Friend’s House? |
| 製作年 | 1987年 |
| 本国公開日 | 1987年2月1日(ファジル映画祭にて) |
| 日本公開日 | 1993年10月23日 |
| ジャンル | ドラマ |
| 製作国 | イラン |
| 原作 | 無 |
| 上映時間 | 83分 |
| 監督・脚本・編集 | アッバス・キアロスタミ |
|---|---|
| 製作 | アリ・レザ・ザリン |
| 撮影 | ファルハッド・サバ |
| 作曲 | アミノラ・ホセイン |
| 出演 | ババク・アハマッドプール/アハマッド・アハマッドプール/ホダバフシュ・デファイ/イラン・オタリ |
| 製作 | 児童青少年知育協会(KANOON) |
| 配給 | ユーロスペース(日本) |
あらすじ
イラン北部のコケール村。小学校に通う少年アハマッドは、同級生のモハマッド=レザが宿題を指定されたノートに書いてこなかったことで教師から厳しく叱られ、次に同じことをすれば退学だと警告される場面を目撃する。
その日の放課後、アハマッドは誤ってモハマッド=レザのノートを自宅に持ち帰ってしまったことに気づく。ノートがなければ友人が退学になってしまうと心配したアハマッドは、事情を理解してくれない母親に黙って家を飛び出し、遠く離れた隣村へと向かう。
しかし、友人の家がどこにあるのかはわからない。道中で出会う大人たちに尋ねながら、アハマッドは入り組んだ路地や丘を行き来し、友人の家を懸命に探し続ける。
主な登場人物(キャスト)
アハマッド(ババク・アハマッドプール):コケール村の小学校に通う8歳の少年。同級生のノートを間違えて持ち帰ったことに気づき、友人が退学になるのを防ぐため、母親の言いつけに背いて隣村へと向かう。友人を思う優しさと強い責任感を持つ。
モハマッド=レザ・ネマツァデ(アハマッド・アハマッドプール):アハマッドの同級生で、教室では隣の席に座る少年。宿題を指定されたノートに書いてこなかったことで教師から厳しく叱られ、次に同じことをすれば退学だと警告される。アハマッドが誤ってノートを持ち帰ってしまった相手。
教師(ホダバフシュ・デファイ):アハマッドたちが通う小学校の教師。規律と宿題の提出方法を重視し、指示を守らない生徒には厳しい態度で接する。モハマッド=レザに退学の可能性を告げる。
アハマッドの母親(イラン・オタリ):アハマッドの母親。家事や家庭の用事に追われながら息子を育てている。友人のノートを返そうとするアハマッドの訴えに耳を貸さず、まずは宿題や家の手伝いをするよう命じる。
作品の魅力解説・レビュー
友だちのために走り続ける、小学生の小さなロードムービー
『友だちのうちはどこ?』の最大の魅力は、友人にノートを返すというささやかな目的を、ひとりの少年にとっての壮大な冒険として描いていることだ。
アハマッドの行動は、ただ友人の家を訪ねるだけのもの。しかし、知らない土地を歩き、大人たちに道を尋ね、何度も行き来する少年の姿には、観客が思わず成功を祈りたくなるような切実さが宿っている。
その感覚は、日本のテレビ番組『はじめてのおつかい』にも通じるものがある。大人にとっては何でもない道のりも、子どもの視点から眺めれば不安と発見に満ちた大冒険。観客はアハマッドと同じ目線で世界を見つめながら、彼の旅を見守ることになる。
融通の利かない大人社会と、子どもの純粋な思いやり
本作では、規律を優先する大人たちと、友人を助けようとする少年の純粋な心が鮮やかな対比を生み出している。
学校では宿題の提出方法を守らなければ退学を警告され、家庭でも子どもの言い分より大人の指示が優先される。さらに、体罰を教育の手段として肯定するような発言も登場し、当時の村社会における厳格な教育観や世代間の価値観の違いが浮かび上がってくる。
もちろん、大人たちの厳しさにも、子どもを立派に育てたいという意図は存在するのだろう。しかし、形式や規則を守らせることに固執するあまり、目の前の子どもが何を訴えているのか、その心に耳を傾けることができなくなっている。
そんな環境で育ちながらも、アハマッドは友人の苦しみを理解し、自ら行動を起こす。大人に教えられた規律よりも、子ども自身の心に芽生えた思いやりの方が、時に人間として大切なものを示しているという構図が印象的だ。
何気ない会話から浮かび上がる、人と人との心の交流
アハマッドの旅では、道中で出会うさまざまな大人たちとの会話が重要な役割を担っている。少年の事情を理解しない人もいれば、それぞれの価値観に従って助言を与える人もいる。
そうしたやり取りは、物語を効率よく進めるための説明的な台詞ではなく、実際の村で交わされている会話をそのまま見つめているかのような自然さを持つ。
キアロスタミ監督は職業俳優ではない人々を起用し、実際の村や学校を舞台に撮影することで、フィクションでありながらドキュメンタリーのような生活感を生み出している。
人々の何気ない言葉や反応の積み重ねによって、村社会の空気や人間同士の距離感が少しずつ伝わってくる。必ずしも親切な人ばかりではない世界だからこそ、そこに生まれる小さな心の交流が温かく感じられる。
壮大な事件も派手な演出も必要とせず、子どもの一途な優しさと日常の会話だけで人間の本質に迫っていく。そんな素朴さと奥深さを兼ね備えた、人間味あふれる1作となっている。
ライター/エディター/映画インスタグラマー。2019年に早稲田大学法学部を卒業。東京都職員として国際業務等を経験後、ライター業に転身。各種SNS(Instagram・X)やYouTubeチャンネル「cula 見て聞く映画マガジン(旧:アルテミシネマ)」においても映画や海外ドラマ、音楽といったカルチャーに関する情報レビューを発信している。
