『その瞳に映るのは』とはどんな映画?あらすじ・キャスト・実話・魅力まとめ

映画『その瞳に映るのは』(2021)を紹介&解説。


映画『その瞳に映るのは』概要

映画『その瞳に映るのは』は、第二次世界大戦末期の1945年3月21日、ナチス占領下のデンマークで実行されたイギリス空軍の「カルタゴ作戦」と、それに伴うフランス学校への誤爆を描く戦争ドラマ。ゲシュタポ本部を破壊するための空爆が、複数の不運と判断ミスによって子どもたちのいる学校へ向かってしまうまでを、少年ヘンリーや従姉妹のリーモア、信仰に迷う修道女テレサらの視点から描く。監督・脚本はオーレ・ボールネダル(『ポゼッション』)。

作品情報

日本版タイトル 『その瞳に映るのは』
原題 Skyggen i mit øje
英題 The Shadow in My Eye/The Bombardment
製作年 2021年
本国公開日 2021年10月28日
日本公開日 2022年3月9日(Netflix配信)
ジャンル 戦争/歴史/ドラマ
製作国 デンマーク
原作 無(実際のカルタゴ作戦を基にしたオリジナル脚本)
上映時間 107分
監督・脚本 オーレ・ボールネダル
製作 ヨナス・アレン/ピーター・ボーズ
製作総指揮 ヨナス・アレン/ピーター・ボーズ/クロエ・ガルベイ/バスティアン・シロド
撮影 ラッセ・フランク・ヨハネッセン
編集 アナス・ヴィラドセン
作曲 マルコ・ベルトラミ/バック・サンダース/キーリー・トージュセン
出演 バートラム・ビスゴ・エネヴォルドセン/エスター・バーチ/エラ・ヨセフィーネ・ルンド・ニルソン/マレーナ・ルシア・ロダール/ファニー・リアンダー・ボールネダル/アレックス・ホイ/アルバン・レンドルフ/ダニカ・クルチッチ
製作 ミソ・フィルム/4フィクション/ユーメディア
配給 SFスタジオ(デンマーク)/Netflix(日本・海外配信)

あらすじ

第二次世界大戦末期、ナチス・ドイツ占領下のデンマーク。少年ヘンリーは、イギリス軍機が民間人の乗った車を攻撃する光景を目撃し、その衝撃から言葉を発せなくなってしまう。両親のもとを離れてコペンハーゲンで暮らすことになったヘンリーは、従姉妹のリーモアや友人のエヴァと交流しながら、少しずつ日常を取り戻していく。

一方、イギリス空軍は、コペンハーゲンに置かれたゲシュタポ本部「シェルハウス」を破壊するカルタゴ作戦を準備していた。しかし、低空飛行中の1機が学校付近へ墜落したことで、後続機の一部が立ち上る煙を本来の標的と誤認する。子どもたちがいつもと変わらない一日を送っていた学校へ、爆弾が投下されようとしていた。

主な登場人物(キャスト)

ヘンリー(バートラム・ビスゴ・エネヴォルドセン):民間人が乗った車への攻撃を目撃し、その衝撃から声を失った少年。空が見える場所を恐れるようになり、療養のためコペンハーゲンに暮らす親戚のもとへ預けられる。

リーモア(エスター・バーチ):ヘンリーの従姉妹。コペンハーゲンにあるカトリック系のフランス学校へ通っている。純粋で思いやりがあり、エヴァとともにヘンリーが恐怖を乗り越えられるよう支える。

エヴァ(エラ・ヨセフィーネ・ルンド・ニルソン):リーモアの友人で、同じフランス学校へ通う少女。家族との何気ない衝突や仲直りを繰り返しながら、戦時下の日常を生きている。

グレタ(マレーナ・ルシア・ロダール):フランス学校に通う少女のひとり。リーモアやエヴァとともに授業や劇の練習に取り組む。

テレサ(ファニー・リアンダー・ボールネダル):フランス学校に赴任した若い見習い修道女。戦争と迫害が続く世界を前に神の存在を信じられなくなり、生徒たちに教えを説きながらも深い葛藤を抱えている。

フレデリック(アレックス・ホイ):ドイツ占領当局に協力するデンマーク人組織HIPOの隊員。同胞から憎悪を向けられる立場にあり、自らが選んだ道への迷いを抱えながらテレサと接近していく。

リーモアの母(ダニカ・クルチッチ):ヘンリーを自宅へ迎え入れるリーモアの母親。空爆発生後、学校へ向かった娘の安否が分からないまま、ほかの保護者たちとともに知らせを待ち続ける。

作品の魅力解説

誤爆によって「壊されたもの」を丁寧に描く

本作が描くのは、1945年3月21日にイギリス空軍が実行したカルタゴ作戦である。本来の攻撃目標は、デンマークのレジスタンスを拘束し、関係資料を保管していたゲシュタポ本部「シェルハウス」だった。しかし、先行する爆撃機が学校付近へ墜落し、後続の操縦士たちが立ち上る煙を標的の目印と誤認。フランス学校が爆撃され、86人の子どもと18人の大人が命を落とした。

オーレ・ボールネダル監督は、この悲劇を単なる“作戦失敗の記録”としては処理しない。映画の前半を使い、親子や兄弟、友人同士の会話、学校での授業や劇の練習、食事をめぐる小さな喧嘩など、戦時下にも確かに存在した日常を積み重ねていく。

一見すると長く感じられかねないほど時間をかけて日常を描くことが、空爆の衝撃を決定的なものにしている。観客が失われる前の暮らしを知っているからこそ、瓦礫へ変わった学校は単なる破壊された建物ではなく、直前まで誰かの人生が営まれていた場所として迫ってくる。

神の存在を語りながら、神を信じられないテレサ

若い修道女テレサの物語は、戦争によって揺らぐ信仰という、本作のもうひとつの重要な主題を担っている。罪のない人々が迫害され、命を奪われていく世界で、神は本当に存在するのか。テレサ自身はその答えを見失いながらも、教師として子どもたちに神の存在を語らなければならない。

それでも彼女は、自分の疑念を理由に子どもたちを突き放すことはしない。信仰を確信できない状況でも、目の前にいる子どもたちのために言葉を探し続ける姿からは、宗教的な答えとは異なる人間的な責任が浮かび上がる。

ヘンリーやリーモアら子どもたちもまた、世界で何が起きているのかを完全には理解できないまま、恐怖に向き合い、友人を支え、少しでも前向きに生きようとしている。大人も子どもも明確な答えを持たないという事実が、彼らのささやかな行動を切実なものにしている。

灰や瓦礫のディテールが観客を悲劇の現場へ連れていく

空爆後の場面では、灰をかぶって顔が白くなった子どもたち、崩落した壁、光の届かない地下室、救助のために流し込まれた水など、現場の状況が生々しいディテールによって再現される。大規模な爆発だけを見せるのではなく、粉塵や水、狭い空間といった触覚的な表現を積み重ねることで、観客を1945年の現場へ引き込んでいく。

撮影を担当したラッセ・フランク・ヨハネッセンの映像と視覚効果は、戦争を華々しいスペクタクルとして演出するのではなく、逃げ場のない人々の視点から捉えている。瓦礫の下にいる子どもたちと、その外側で懸命に救助を続ける大人たちの距離が、近いようであまりにも遠いものとして映し出される。

悲劇の時間を観客にも体験させる演出

本作は空爆が始まった後も、急激に物語を進めたり、感情的な見せ場を立て続けに配置したりしない。前半と同様に時間をかけ、救助する側、瓦礫の下で待つ側、我が子の無事を確認できない保護者たちを並行して描いていく。

誰が生きているのか分からない。名前を呼んでも返事がない。情報が錯綜し、ただ待つことしかできない。そうした一分一秒の重さを省略しないため、観客も登場人物とともに悲劇の時間を過ごすことになる。

子どもも大人も、混乱の中で自分にできることを探し続ける。しかし、懸命に行動すれば必ず報われるわけではない。戦争が奪った日常と、残された人々の無力感をじっくり沁み込ませる演出によって、本作は誤爆の事実を知識として伝えるだけでなく、その場にいた人々の恐怖、悲しみ、やるせなさを追体験させる作品となっている。

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