映画『戦艦ポチョムキン』(1925)を紹介&解説。
映画『戦艦ポチョムキン』概要
映画『戦艦ポチョムキン』は、セルゲイ・M・エイゼンシュテイン監督が、1905年に実際に起きた戦艦ポチョムキン号の反乱を題材に描いたソビエト連邦のサイレント映画。腐敗した食事をきっかけに圧政へ立ち向かう水兵たちと、彼らに呼応するオデッサ市民の姿を、革新的なモンタージュ技法によって映し出す。特に「オデッサの階段」と呼ばれる虐殺場面は映画史上屈指の名シーンとして知られ、後世の映像表現に多大な影響を与えた。
作品情報
| 日本版タイトル | 『戦艦ポチョムキン』 |
|---|---|
| 原題 | Броненосец «Потёмкин» |
| 英題 | Battleship Potemkin |
| 製作年 | 1925年 |
| 本国公開日 | 1925年12月24日(資料により12月21日とする記録あり) |
| 日本公開日 | 1967年10月4日(1959年2月21日に自主上映) |
| ジャンル | 歴史/ドラマ/サイレント |
| 製作国 | ソビエト連邦 |
| 原案 | ニーナ・アガジャーノワ=シュトコによる脚本『1905年』/1905年のポチョムキン号反乱 |
| 上映時間 | 72分(版により異なる) |
| 監督・脚本・編集 | セルゲイ・M・エイゼンシュテイン |
|---|---|
| 共同監督 | グリゴーリ・アレクサンドロフ |
| 製作主任 | ヤコフ・ブリオフ |
| 撮影 | エドゥアルド・ティッセ |
| 美術 | ワシリー・ラハリス |
| 字幕 | ニコライ・アセーエフ/セルゲイ・トレチャコフ |
| 作曲 | エドムント・マイゼル(1926年版)/ニコライ・クリューコフ(1950年版)/ドミートリイ・ショスタコーヴィチ(1976年版) |
| 出演 | アレクサンドル・アントーノフ/ウラジーミル・バルスキー/グリゴーリ・アレクサンドロフ/ミハイル・ゴモロフ/マクシム・シュトラウフ |
| 製作 | ゴスキノ第一工場 |
| 配給 | ゴスキノ/ATG(日本) |
あらすじ
1905年、帝政ロシアの黒海艦隊に所属する戦艦ポチョムキン。水兵たちは、ウジ虫の湧いた肉を使った食事を拒否したことで、上官から処刑されそうになる。仲間への発砲命令に兵士たちが背いたことをきっかけに反乱が起こり、水兵たちは艦を掌握。犠牲となったワクリンチュクの遺体がオデッサへ運ばれると、市民たちの間にも抵抗の機運が広がっていく。
主な登場人物(キャスト)
グリゴーリ・ワクリンチュク(アレクサンドル・アントーノフ):戦艦ポチョムキンの水兵。腐った肉を食べさせようとする上官に抗議し、仲間たちへ決起を呼びかける。反乱の象徴となる中心人物。
アファナシー・マチュシェンコ(ミハイル・ゴモロフ):ワクリンチュクとともに反乱を先導する水兵。圧政に屈しない意志を示し、反乱後の水兵たちをまとめていく。
ゴリコフ艦長(ウラジーミル・バルスキー):戦艦ポチョムキンの艦長。水兵たちの訴えを退け、食事を拒否した者の処刑を命じることで反乱を招く。
ギリャロフスキー大尉(グリゴーリ・アレクサンドロフ):水兵たちを力で服従させようとする上級士官。甲板上で繰り広げられる反乱において、ワクリンチュクと直接対峙する。
スミルノフ船医(マクシム・シュトラウフ):ウジ虫の湧いた肉を検査し、食べても問題ないと主張する船医。その態度が、劣悪な待遇に苦しむ水兵たちの怒りをさらに増幅させる。
作品の魅力解説
映画史を変えたモンタージュ技法
本作は、モンタージュ技法——登場人物の動作を時系列に沿って追うだけでなく、異なるショットを衝突させることで、画面に直接映されていない価値観や感情までも観る者の内に喚起する表現——を確立した作品のひとつである。
兵士の揃った足並み、恐怖に強張った市民の表情、銃撃、崩れ落ちる身体。こうした断片的な映像をリズミカルに連ねることで、一つひとつのショットが単独では持ち得ない緊張感と意味を、その積み重ねのなかから立ち上げてみせる。
物語を語るための編集にとどまらず、編集という行為そのものを思想と感情の伝達手段にまで押し上げた点にこそ、本作が映画史に刻まれる所以がある。
映画史に刻まれた「オデッサの階段」
帝政ロシアの兵士たちが、階段を一段ずつ下りながら市民へ銃口を向ける「オデッサの階段」は、本作を象徴する場面である。一糸乱れぬ軍靴の歩みと、恐慌に陥って逃げ惑う群衆——この非情なまでの対比が、権力の行使する暴力の恐怖を観る者の網膜に焼きつける。
母親の手を離れた乳母車が階段を跳ねながら転落していく映像をはじめ、この場面は後世の数多の作品によって引用され、再解釈され続けてきた。映画史に屹立する名シーンのひとつである。
個人ではなく“集団”を主人公にした革命劇
特定の英雄を据えるのではなく、戦艦の水兵たち、そしてオデッサの市民という〈集団〉そのものを物語の主人公に据えた点も見逃せない。出演者の選定には、役柄に見合った容貌や佇まいを重んじる「ティパージュ」と呼ばれる手法が用いられ、その多くを非職業俳優が占めた。
結果として本作は、ドキュメンタリーを思わせる生々しい実在感と、寓話としての力強さとを兼ね備えた革命劇へと結実している。
プロパガンダを超えて残る映像の力
本作は1905年革命の20周年を記念して製作された、紛れもない政治的プロパガンダ映画である。だがその一方で、圧政への抵抗、民衆の連帯、そして犠牲という、時代や体制を超えて響く普遍的な主題をも刻み込んでいる。
明確な政治的立場を打ち出しながらも、緻密な構図と編集、うねるように動く群衆の描写によって、本作は映像芸術としての揺るぎない強度を勝ち得た。
製作から一世紀を経てなお、映画表現を学ぶ者にとって避けて通れない一作として君臨し続けている。
ライター/エディター/映画インスタグラマー。2019年に早稲田大学法学部を卒業。東京都職員として国際業務等を経験後、ライター業に転身。各種SNS(Instagram・X)やYouTubeチャンネル「cula 見て聞く映画マガジン(旧:アルテミシネマ)」においても映画や海外ドラマ、音楽といったカルチャーに関する情報レビューを発信している。
