『フェイブルマンズ』とはどんな映画?あらすじ・キャスト・魅力・ネタバレ解説まとめ

映画『フェイブルマンズ』(2022)を紹介&解説。


映画『フェイブルマンズ』概要

映画『フェイブルマンズ』は、スティーヴン・スピルバーグ監督が自身の少年時代と家族の記憶に着想を得て描いた、半自伝的な青春ドラマ。映画作りに魅了された少年サミーが、カメラを通して家族の秘密や人間の複雑さを知り、映像作家としての道を見いだしていく。スピルバーグがトニー・クシュナーと共同で脚本を執筆し、ガブリエル・ラベル、ミシェル・ウィリアムズ、ポール・ダノ、セス・ローゲン、ジャド・ハーシュらが出演する。

作品情報

日本版タイトル 『フェイブルマンズ』
原題 The Fabelmans
製作年 2022年
本国公開日 2022年11月11日(限定公開)
日本公開日 2023年3月3日
ジャンル ドラマ/青春
製作国 アメリカ
原作 無(スティーヴン・スピルバーグの少年時代に着想)
上映時間 151分
監督 スティーヴン・スピルバーグ
脚本 スティーヴン・スピルバーグ/トニー・クシュナー
製作 クリスティ・マコスコ・クリーガー/スティーヴン・スピルバーグ/トニー・クシュナー
製作総指揮 カーラ・ライジ/ジョシュ・マクラグレン
撮影 ヤヌス・カミンスキー
編集 マイケル・カーン/サラ・ブロシャー
作曲 ジョン・ウィリアムズ
出演 ガブリエル・ラベル/ミシェル・ウィリアムズ/ポール・ダノ/セス・ローゲン/ジャド・ハーシュ/ジーニー・バーリン/ジュリア・バターズ/デヴィッド・リンチ
製作 アンブリン・エンターテインメント/リライアンス・エンターテインメント
配給 ユニバーサル・ピクチャーズ/東宝東和(日本)

あらすじ

1950年代のアメリカ。少年サミー・フェイブルマンは、両親に連れられて初めて映画館を訪れ、スクリーンに映し出された列車事故の場面に強い衝撃を受ける。やがて8ミリカメラを手にしたサミーは、家族や友人を出演させながら、自分の映画を撮り始める。

父バートの仕事に伴い、一家はニュージャージーからアリゾナ、さらにカリフォルニアへと移り住む。映画作りへの情熱を深めていくサミーだったが、家族を撮影したフィルムを編集する中で、これまで気づかなかった秘密を発見する。カメラが映し出した真実と向き合いながら、サミーは家族への思いと映画監督になる夢の間で揺れ動いていく。

主な登場人物(キャスト)

サミー・フェイブルマン(ガブリエル・ラベル):映画作りに魅了されたフェイブルマン家の長男。家族や友人を出演させた作品を撮影しながら、映像によって現実を切り取り、人の感情を動かす方法を学んでいく。スティーヴン・スピルバーグ自身をモデルとする主人公。

ミッツィ・フェイブルマン(ミシェル・ウィリアムズ):サミーの母親。音楽と芸術を愛する感受性豊かなピアニストで、息子の映画作りへの情熱を理解し、夢を追うよう励ます。一方で、妻や母親としての役割と自分自身の感情との間で葛藤している。

バート・フェイブルマン(ポール・ダノ):サミーの父親。コンピューター技術の分野で働く、穏やかで理知的なエンジニア。サミーの才能を認めながらも、映画作りを将来の仕事ではなく趣味として捉えている。

ベニー・ローウィ(セス・ローゲン):バートの親友であり、職場の同僚。フェイブルマン家と家族同然の付き合いを続けており、陽気で親しみやすい性格によって一家を支えている。

ボリス大伯父(ジャド・ハーシュ):ミッツィの叔父にあたる、芸能の世界で生きてきた人物。フェイブルマン家を突然訪れ、芸術に人生を捧げることの喜びと苦しさをサミーに説く。

作品の魅力解説

『フェイブルマンズ』の大きな魅力は、スティーヴン・スピルバーグが自身の原点を、美しい成功物語としてだけではなく、家族の崩壊や孤独を含んだ複雑な記憶として描いている点にある。主人公や家族の名前を変え、記憶をフィクションとして再構成することで、ひとりの少年が映画監督になるまでの過程と、家族を理解し直していく物語を重ね合わせている。

劇中で映画は、夢や喜びを与えるものとして描かれる一方、肉眼では見落としていた真実を暴き出す道具にもなる。サミーは撮影した映像を編集することで家族の秘密を知り、学校で自分を苦しめた人物さえ、撮り方や編集によって英雄のように見せられることを学ぶ。カメラが現実を記録するだけでなく、現実の意味を作り変える力を持つことが示されている。

ガブリエル・ラベルの繊細な主人公像を中心に、ミシェル・ウィリアムズとポール・ダノが、芸術的な母親と論理的な父親を対照的に表現。ヤヌス・カミンスキーの撮影、ジョン・ウィリアムズの音楽、マイケル・カーンとサラ・ブロシャーの編集など、スピルバーグ作品を支えてきたスタッフも参加している。さらに、映画監督ジョン・フォードをデヴィッド・リンチが演じる場面は、映画作りの本質を簡潔かつユーモラスに伝える名場面となっている。

本作は第95回アカデミー賞で、作品賞、監督賞、主演女優賞、助演男優賞、脚本賞、美術賞、作曲賞の7部門にノミネートされた。スピルバーグという映画作家の原点をたどりながら、芸術と家族のどちらを選ぶのか、そして人生の痛みをどのように作品へ変えていくのかを描いた、映画そのものへの愛に満ちた作品である。

ストーリー解説(ネタバレ)

初めての映画館で目撃した列車事故

1952年1月、ニュージャージー州。6歳のサミー・フェイブルマンは、両親のバートとミッツィに連れられ、初めて映画館を訪れる。暗い場所や、スクリーンに巨大な人間が映ることを怖がるサミーに対し、エンジニアのバートは、静止画が高速で連続することで動いて見える映画の仕組みを論理的に説明する。一方、芸術家肌のミッツィは、映画を「忘れられない夢」のようなものとして語り、息子を安心させる。

上映された作品は、セシル・B・デミル監督の『地上最大のショウ』だった。サミーは次第にスクリーンへ引き込まれていくが、列車が線路上の自動車に衝突し、さらに別の列車へ突っ込む大事故の場面に強烈な衝撃を受ける。観客にとっては迫力ある見せ場にすぎないが、幼いサミーには現実の惨事のように感じられ、その光景が頭から離れなくなる。

恐怖を再現するために列車を衝突させる

サミーはハヌカの贈り物として、ライオネル社の鉄道模型を欲しがる。両親や祖母たちから線路、客車、貨車、機関車などを一つずつ贈られ、立派な列車セットが完成する。

しかし、サミーが本当に望んでいたのは、列車を走らせて遊ぶことではなかった。夜中にひとりで起き出した彼は、線路上にミニカーやノアの箱舟の模型を置き、映画で見た衝突事故を再現する。列車と自動車を正面衝突させ、脱線した車両が箱舟へ突っ込む様子を、線路と同じ高さから凝視する。

大きな物音に気づいたバートは、精密に作られた玩具を乱暴に扱ってはいけないと息子を叱る。ところがサミーは、列車を壊したいのではなく、どうしても衝突する瞬間を見なければならないのだと訴える。

ミッツィが教えた「映画で恐怖を支配する方法」

ミッツィは、サミーが列車事故を再現することで、映画館で味わった恐怖を自分の支配下に置こうとしているのだと理解する。そこで彼女は、バートの8ミリカメラをひそかに持ち出し、衝突を一度だけ撮影しようと提案する。

フィルムに収めてしまえば、実物の列車を何度も壊さなくても、映像の中で事故を繰り返し見ることができる。ミッツィは、この撮影を父親には内緒の「秘密の映画」にしようとサミーへ持ちかける。

サミーはカメラの位置を変えながら列車事故を撮影し、現像されたフィルムを自室のクローゼットで上映する。小さな壁に映った列車は、編集や撮影位置によって実物以上に巨大で恐ろしく見えた。だがサミーは、それを何度も見返すうちに、恐怖を受け取るだけではなく、自分の手で恐怖を作り、制御できることを知る。

サミーが上映にミッツィを招くと、彼女は息子の作品を静かに見守る。ここからカメラは、サミーと母親だけが共有する特別なものとなっていく。

妹たちを俳優にして映画作りを始める

サミーは急速に映画作りへ夢中になり、妹のレジーとナタリーを出演させて、歯科治療、ミイラ、骸骨などを題材にした短い映画を次々と撮影する。ケチャップを血に見立てたり、シーツやトイレットペーパーで衣装を作ったりと、家庭にある物を工夫して特殊効果を生み出していく。

妹たちを驚かせる場面では、カメラを回しながら反応を引き出し、現実の遊びそのものを映画の一場面に変える。サミーにとって映画作りは、単に出来事を記録するものではなく、人を演出し、観客の感情を動かす行為へ変わり始めていた。

バートの転職とアリゾナへの引っ越し

翌年、バートは、自身が開発に携わったコンピューター技術を評価され、ゼネラル・エレクトリックから仕事を提示される。一家はニュージャージーを離れ、アリゾナ州フェニックスへ移ることになる。

バートの親友で同僚のベニー・ローウィは、フェイブルマン家に頻繁に出入りしており、子どもたちからも「ベニーおじさん」と呼ばれていた。陽気でいたずら好きなベニーは、理屈を優先しがちなバートとは対照的に、ミッツィや子どもたちを笑わせる存在だった。

ミッツィは、バートが自分の出世だけを考え、親友のベニーをニュージャージーに残そうとしていることに強く反発する。彼女の働きかけもあり、ベニーも同じ職場で働くことになり、一家とともにアリゾナへ移る。

引っ越しを控えたある日、家の近くに竜巻が発生する。ミッツィは恐れる子どもたちを車に乗せ、竜巻を間近で見ようと追いかけ始める。しかし、強風と豪雨の中を進むうちに、自分が子どもたちを危険にさらしていることに気づく。車を止めた彼女は、「すべての出来事には理由がある」と自分自身に言い聞かせるように繰り返す。

青年になったサミーと西部劇の撮影

アリゾナへ移って数年が過ぎ、10代になったサミーは、ボーイスカウトの仲間たちと本格的な映画を撮るようになっていた。撮影用のフィルムを買うため、仲間とサソリを捕まえて研究所へ売り、その代金を制作費に充てるほどの情熱を見せる。

映画館でジョン・フォード監督の『リバティ・バランスを射った男』を観たサミーは、その場で西部劇を作ることを思いつく。妹のレジーやスカウト仲間を出演させ、馬車強盗や銃撃戦を撮影。車を揺らすことで走行中の馬車を表現し、砂煙や撮影角度を工夫して、限られた道具から広大な西部の世界を作り上げる。

銃が発砲されたように見せるため、サミーはフィルムの一コマ一コマに針で小さな穴を開ける。上映すると、その穴から強い光が漏れ、銃口が一瞬輝いているように見えた。

完成した西部劇は仲間や家族の前で上映され、大きな喝采を受ける。サミーは写真技能章を獲得し、バートも息子の工夫に感心する。しかしバートは、映画作りを将来の仕事ではなく、あくまで趣味として考えていた。サミーが映画を作りたいと訴えても、バートは、数学や科学を使って現実に存在する物を作る仕事とは違うという態度を崩さない。

ミッツィ、バート、ベニーの危うい均衡

ミッツィは優れたピアニストで、地元のテレビ番組への出演を控えていた。家族の前でベートーヴェンを演奏する彼女を、バートは誇らしげに見つめる。ところがベニーは、演奏の音に長い爪が当たっていることを指摘する。

バートとベニーは冗談を言いながらミッツィを押さえ、爪を切ろうとする。3人は激しくふざけ合い、家族もその様子を笑って見ている。一見すると親しい家族と友人の光景だが、ミッツィとベニーの距離の近さが、少しずつ目立つようになっていく。

バートはミッツィの芸術的才能を尊敬しているものの、その感情を論理的な言葉でしか表せない。ベニーは、ミッツィと一緒に冗談を言い、彼女の衝動的で自由な一面を引き出す。サミーはまだ、その関係を明確には理解していなかった。

キャンプ旅行でカメラが捉えたもの

フェイブルマン一家は、ベニーも同行して国有林へキャンプに出かける。サミーは旅行中もカメラを回し、家族が食事をしたり、山道を歩いたり、橋の上でふざけたりする姿を撮影する。

バートが子どもたちに科学や歴史を説明している間、ベニーは木の幹をしならせ、ミッツィをその上に乗せて遊ばせる。子どもたちもバートの話を離れ、楽しそうなミッツィとベニーのもとへ集まっていく。バートだけが火をおこすことに集中しており、ふたりの親密さに気づかない。

最後の夜、家族は焚き火を囲んで歌い、陽気なベニーが即興の歌詞で全員を笑わせる。その後、ミッツィは車のヘッドライトに照らされながら、薄いドレス姿で踊り始める。子どもたちは服が透けていると慌てるが、ベニーはサミーに撮影を続けるよう促す。

ミッツィは光の中で踊り、焚き火から拾った枝を振り回す。その姿は美しく幻想的である一方、夫や母親という役割から一瞬だけ抜け出し、自由を求めているようにも映っていた。

祖母の死とバートから託された家族映画

旅行後、ミッツィの母ティナが亡くなる。家族に見守られる中で最期を迎えた母を前に、ミッツィは深い悲しみに沈む。ピアノを弾いて気持ちを紛らわせようとするものの、以前のような明るさを失っていた。

バートは新しい編集機をサミーに与え、キャンプ旅行の映像を一本の映画にまとめてほしいと頼む。家族が楽しんでいる姿を見れば、ミッツィを元気づけられると考えたのだ。

だがサミーは、スカウト仲間を集めた戦争映画『Escape to Nowhere』の撮影準備を進めていた。大人数の出演者を手配し、撮影日も決まっていたため、すぐに家族映画を編集することには抵抗する。

バートが映画作りを「趣味」と呼んだことで、サミーの不満は爆発する。バートも、妻の異変を感じながら、どう助ければいいのか分からないと本音を漏らす。父親から助けを求められたサミーは、結局、キャンプ映像を編集することを引き受ける。

ボリス大伯父が語る芸術と家族の対立

ある夜、ミッツィは亡くなった母から電話がかかってきて、何者かが訪ねてくると警告される夢を見る。翌日、一家の前に現れたのは、ティナの兄であるボリス大伯父だった。

ボリスはかつてサーカスで働き、ライオン使いや映画関係の仕事にも携わってきた、荒々しく風変わりな老人だった。彼はミッツィのピアノを聴いただけで、その内側に本物の芸術家がいることを見抜く。

サミーが準備している戦争映画の絵コンテを見たボリスは、彼にも同じ芸術家の資質があると気づく。そして、芸術と家族はサミーを両側から引っ張り、やがて心を二つに引き裂くと警告する。

家族を愛していても、芸術をより強く愛してしまう瞬間が訪れる。芸術は名声や喜びを与える一方で、大切な人を傷つけ、本人を孤独にする危険なものでもある。ボリスの言葉にサミーは反発するが、その警告は直後に現実となる。

編集機の中から発見した母親の秘密

深夜、サミーは自室でキャンプ旅行の映像を編集する。居間ではミッツィがバッハを演奏し、バートが仕事をしながらその音楽に耳を傾けていた。

最初は、食事中にふざける母親や、家族が山道を歩く姿など、楽しい場面を選んでいく。しかし映像を早送りしていたサミーは、画面の背景にいるミッツィとベニーの不自然な動きに気づく。

フィルムを巻き戻してゆっくり確認すると、ベニーがミッツィの腰に手を添え、ミッツィが周囲を確認してから彼の耳に口づける姿が映っていた。別の場面では、橋の上でベニーに支えられたミッツィが、愛情のこもった目で彼を見つめている。

3人でふざけている映像でも、ミッツィは倒れるふりをしながら、夫のバートではなくベニーの腕に収まる方向を選んでいた。ほんの一瞬だけ映る彼女の表情は、冗談や演技では説明できないほど真剣なものだった。

サミーは動揺して編集機から離れるが、再びフィルムを確認する。肉眼で見ていたときには気づかなかった事実が、カメラによって切り取られ、編集機の中で動かぬ証拠となっていた。

秘密を隠した家族映画と戦争映画への感情の投影

サミーは、ミッツィとベニーの親密な場面を表向きの家族映画から外す。完成版には、母親が食事中におどける姿、木に乗って遊ぶ姿、ヘッドライトの中で踊る姿など、美しい思い出だけを残した。

家族で上映会を開くと、ミッツィは、自分の本当の姿を見てくれているようだとサミーを抱き締める。バートとベニーも作品を称賛するが、秘密を知ったサミーは喜ぶことができない。母親の抱擁から離れ、ふたりの顔をまともに見られなくなる。

その後、サミーは予定していた戦争映画『Escape to Nowhere』を撮影する。物語は、指揮官の判断によって部下たちが全滅し、生き残った指揮官が自責の念に苦しむというものだった。

サミーは主演のアンジェロに対し、自分を信じ、愛してくれた仲間たちを死なせ、もう救うことができない男の絶望を演じるよう求める。その説明をしながら、サミー自身も涙を浮かべる。家族を守れず、取り返しのつかない事実を目撃した自分の感情が、無意識のうちに映画へ流れ込んでいた。

完成した戦争映画は、スカウトの仲間や家族の前で上映され、大成功を収める。観客はその迫力と悲劇性に感動し、ミッツィやベニーも興奮して称賛する。しかし、ふたりが親しげに喜びを分かち合う姿を見たサミーの表情は険しくなる。

上映後、ミッツィはベニーの車で帰ることを選ぶ。バートもその様子を目にするが、明確に疑っているのかどうかは分からない。サミーは父親の反応をうかがいながら、誰にも真実を話せない苦しさを深めていく。

母への怒りが爆発し、秘密のフィルムを見せる

秘密を知ってから数週間、サミーはミッツィに冷たい態度を取り続ける。母親の冗談や明るい振る舞いに苛立ち、家族の前でも露骨に反発するようになる。

ある朝、救命技能章の試験を控えたサミーは、妹たちと救助方法を確認していた。ミッツィが冗談を言うと、サミーは、彼女は何でも笑いに変え、常に注目の中心にいなければ気が済まないと責める。

口論は激しくなり、サミーは、ミッツィが自分の母親でなければよかったと叫ぶ。怒りを抑えられなくなったミッツィは、立ち去ろうとしたサミーの背中を強く平手打ちする。ふたりは、自分たちの行為に同時に衝撃を受ける。

ミッツィはサミーの部屋を訪れ、なぜ自分を憎むようになったのか、何が起きているのかを話してほしいと懇願する。サミーは言葉では説明せず、机から小さなフィルムを取り出す。

それは、家族に見せたキャンプ映画から切り取った、ミッツィとベニーの場面だけをつないだ秘密のフィルムだった。

サミーは母親を、自分が幼い頃に初めて列車映画を見せたクローゼットへ招き入れる。映写機を準備すると、自分は外へ出て、ミッツィひとりに映像を見せる。

最初、ミッツィは懐かしい旅行映像だと思って微笑む。しかし、ベニーが自分に帽子をかぶせる姿や、ふたりだけで親密に寄り添う場面が続くにつれ、笑顔は消えていく。カメラが、自分でも直視してこなかった感情を捉えていたことを理解したのだ。

上映を終えたミッツィは、クローゼットから這い出すと、その場に崩れ落ちて泣き始める。サミーは、真実を暴いたことへの恐怖と罪悪感に襲われながら母親の隣に座り、父親にも誰にも言わないと約束する。

ミッツィはサミーを抱き寄せる。こうしてサミーは、家族の秘密を知るだけでなく、その秘密を母親と共有し、隠し続ける役割まで背負うことになる。

ベニーから贈られた新しいカメラ

ミッツィに秘密のフィルムを見せた後、サミーは映画作りをやめようと決意する。使い込んできたボレックスのカメラを売るためにカメラ店を訪れると、そこには偶然、ベニーも来ていた。

ベニーは、バートがIBMから仕事を得たことに伴い、フェイブルマン一家がカリフォルニアへ引っ越すと話す。店員からサミーがカメラを手放したと聞いたベニーは驚くが、自分もサミーへの餞別を用意していた。箱の中に入っていたのは、新品のボレックスH-8リフレックスだった。

サミーは、母親と親密な関係にあるベニーから贈り物を受け取ることに抵抗する。だがベニーは、サミーが映画をやめればミッツィの心を傷つけることになると訴える。サミーは贈り物として受け取ることを拒み、自分が古いカメラを売って得た35ドルをベニーに渡し、買い取った形にする。

ベニーはサミーを強く抱き締め、別れを惜しむ。サミーは、それでも映画作りはやめると言うが、ベニーは「カリフォルニアでは誰もが映画を作っている」と返して立ち去る。しかも、サミーが渡した35ドルは彼の服のポケットに戻されていた。

カリフォルニアへ向かう車内で露呈する夫婦の亀裂

フェイブルマン一家は、ベニーをアリゾナに残してカリフォルニアへ向かう。車内でバートは、前夜にベニーと口論し、彼の顔を殴る夢を見たと無邪気に語る。

その言葉を聞いたミッツィは激しく動揺し、車を止めさせると、ひとりで丘へ上っていく。サミーが後を追うと、ミッツィは、ベニーとの関係はサミーが想像しているような肉体関係にまでは至っていないと説明する。

ミッツィは、バートが自分とベニーの感情に気づいているのかをサミーに尋ねる。彼女は何度も夫へ真実を打ち明けようとしたが、バートがあまりにも善良で、自分との間に問題があることさえ想像していないように見えるため、結局は別の話をしてしまうのだという。

サミーは、自分がフィルムを見せたせいで、この問題を表面化させてしまったと謝る。しかしミッツィは、罪悪感を抱いても意味はないと言い、自分は母親として家族を守り、バートとの結婚を続けると約束する。バートは善良で思慮深く、最も忍耐強い人間であり、自分は家族を壊すほど利己的にはならないと宣言する。

北カリフォルニアで始まった息苦しい生活

一家が到着したのは、北カリフォルニアのロスガトスにある薄暗い賃貸住宅だった。バートは、新居が完成するまでの仮住まいにすぎないと家族を励ますが、ミッツィはアリゾナへ戻れない現実を前に、沈み込んでいく。

サミー、レジー、ナタリーは、サラトガにあるグランド・ビュー高校へ通い始める。学校には背が高く、金髪で、運動能力に優れた生徒が多く、サミーは自分が異質な存在として放り込まれたように感じる。

体育の授業でサミーは、陸上部のスター選手ローガン・ホールと、その仲間のチャド・トーマスに目をつけられる。ローガンは容姿にも運動能力にも恵まれ、学校の英雄として扱われていた。チャドは露骨な反ユダヤ主義を示し、サミーの名前をもじって「ベーグルマン」と呼び始める。

チャドは、ユダヤ人には割礼があることをからかったり、水飲み場を使えば病気がうつるかのような侮辱を浴びせたりする。サミーは抵抗できず、屈辱と恐怖を抱えたまま学校生活を送る。

ロッカーに仕掛けられた反ユダヤ的ないじめ

ある日、サミーがロッカーを開けると、ひもでつるされたベーグルが入っている。ベーグルには、ユダヤ人を侮辱する言葉が書き込まれていた。

チャドたちが近くにいるのではないかと警戒するサミーは、水を飲むことさえためらう。校内を移動していると、卒業学年の生徒が海岸で一日を過ごす「ディッチ・デイ」の撮影担当者を募集するポスターを見つける。

映画作りをやめたはずのサミーは、募集欄の「カメラマン」という文字に目を留める。しかし、そのときは応募せず、物陰から男女がキスをしている音が聞こえてきたため、階段を下りて様子を確認する。

そこにいたのは、ローガンと赤毛の女子生徒レネーだった。ローガンにはクローディアという恋人がいるが、彼は以前関係を持っていたレネーとの密会を続けていた。

ローガンの浮気を暴露したサミー

密会を目撃した直後、サミーは校舎の裏でチャドたちに囲まれる。チャドはロッカーのベーグルについて尋ね、さらにサミーへ、キリストを殺したことをクローディアに謝れと迫る。

クローディア自身はチャドの言動に嫌悪感を示し、恋人のローガンにも、彼をけしかけないよう求める。しかしローガンは、仲間と一緒になって笑い、サミーに謝罪を強要する。

追い詰められたサミーは、自分は2000歳ではなく、古代ローマへ行ったこともないため、キリストの死について謝るつもりはないと反論する。そしてクローディアに、謝罪すべきなのは、少し前まで階段で赤毛の女子生徒とキスをしていたローガンではないかと告げる。

クローディアは、ローガンがレネーとの関係を終わらせたと言っていたことを明かし、彼の上着を脱ぎ捨てて走り去る。激怒したローガンはサミーの顔を殴り、地面へ倒す。

ローガンは、翌朝クローディアのもとへ行き、浮気の目撃談は嘘だったと説明するよう命令する。従わなければ、さらにひどい目に遭わせると脅されたサミーは、恐怖からうなずくしかなかった。

家庭内で爆発したサミーの怒り

顔を腫らして帰宅したサミーを見て、ミッツィは激怒する。誰に殴られたのかを話すよう迫り、バートに相手の家まで行って報復してもらうと息巻く。

バートはまず事情を冷静に確認しようとするが、サミーは、父親が何かをしてくれるとは思えないと反発する。そして、自分たちをカリフォルニアへ連れてきたのはバートであり、学校で苦しんでいることにも、家族全員が不幸になっていることにも気づいていないと責める。

サミーは、バートが仕事と機械に囲まれていれば、どこに住んでも満足できる一方、家族は彼の決断に振り回されていると訴える。さらに、バートは本当は仕事のためではなく、何かから逃げるためにアリゾナを離れたのではないかと示唆する。

バートは、サミーが自分に対して本当は別の何かを言おうとしていることを察し、言いたいことがあるなら正面から話せと迫る。サミーの胸中には、ミッツィとベニーの秘密があるが、父親へ告げることはできない。

張り詰めた空気の中で、ミッツィは突然、自分が心理療法を受け始めたと発表する。サミーは話を打ち切って自室へ逃げ込み、ベッドの下にしまっていたベニーからの新品のカメラを初めて取り出す。モーターの駆動音に耳を澄ませることで、激しい怒りと不安を落ち着かせようとする。

脅迫に従い、クローディアへ嘘をつく

翌日、顔にあざを作ったサミーは、ローガンに命じられたとおりクローディアを訪ねる。クローディアの友人モニカも同席する中、サミーは前日の浮気の話は嘘だったと謝罪する。

だが、クローディアは、サミーがなぜ相手の髪の色まで知っていたのかと疑問を抱く。レネーが赤毛であることを知っていたため、サミーが実際に何かを目撃したことは明らかだった。

サミーは事情を完全には説明できないものの、ローガンがチャドの反ユダヤ的な侮辱を笑っていたことを訴える。クローディアとモニカは、サミーが受けた暴力や差別に関心を示し、特にモニカは、ユダヤ人である彼に強い興味を持つ。

モニカとの奇妙な祈りと初めての恋愛

モニカは熱心なキリスト教徒で、サミーに、一緒に祈ってイエス・キリストを心へ迎え入れてみないかと誘う。サミーは彼女に惹かれていたため、宗教的な意味を深く理解しないまま誘いを受ける。

モニカの部屋には、イエス・キリストの肖像や十字架とともに、映画俳優や歌手の写真が大量に飾られていた。モニカは、イエスも若く美しい男性だったはずだと語り、同じユダヤ人であるサミーに似ていたかもしれないと言う。

彼女はサミーをひざまずかせ、聖霊が彼の中へ入るよう祈り始める。モニカが聖霊を息としてサミーへ吹き込もうとしたことで、ふたりの顔が近づき、そのままキスを交わす。

宗教的な儀式は急速に恋愛的な行為へ変わり、サミーとモニカはベッドの上でキスを重ねる。しかしモニカの母親が軽食を持ってきたことで中断される。モニカは、翌日も学校の観客席の裏で「祈り」の続きをしようと誘い、ふたりは交際を始める。

ミッツィが飼い始めた猿のベニー

その頃、ミッツィは心理療法を受けるだけでなく、突然、小さな猿を飼い始めていた。彼女は猿にも「ベニー」と名づける。

ミッツィは、子どもの頃、悲しい気持ちになると動物園へ行き、猿を眺めていたとモニカに説明する。猿は人間に檻へ入れられ、見世物にされていることを理解しながら、人間には明かさない自分だけの世界を持っているように見えたという。

バートは、それを「自分自身に属していること」と表現する。ミッツィは一瞬、夫と深く理解し合うが、自分自身も家族の妻や母親という立場だけではなく、自分の人生を持ちたいと考えていることに気づき、バートから目をそらす。

猿のベニーは、彼女が失った本物のベニーの代わりであると同時に、家族の役割から逃れ、自分自身を取り戻したいという願望の表れでもあった。

ディッチ・デイ撮影でよみがえる映画への情熱

フェイブルマン家の夕食に招かれたモニカは、サミーがカリフォルニアへ来てから一度もカメラを使っていないと知る。そこで、卒業学年のディッチ・デイを撮影するよう勧める。

モニカの父親は高価な16ミリのアリフレックスを所有しており、学校側にフィルム代や編集機材の費用を負担させることもできるという。高性能のカメラに興奮したサミーは、いじめへの恐怖を抱えながらも撮影を引き受ける。

ディッチ・デイ当日、生徒たちはサンタクルーズの海岸で泳ぎ、日光浴をし、バレーボール、早食い競争、リンボーダンス、陸上競走などを楽しむ。サミーはモニカを助手にして、その様子を次々とカメラへ収める。

撮影を始めると、サミーは再び周囲の世界へ集中できるようになる。いじめられている生徒ではなく、誰をどのように映すかを決める撮影者として、学校の人間関係を支配できる立場に移る。

サミーはローガンの優れた運動能力に注目し、バレーボールで跳躍する姿や、陸上競走で先頭を走る姿を何度も撮る。一方、チャドについては、他人のビールを盗んだり、女子生徒から避けられたり、酔ってひとりで歩いたりする姿を記録する。

新居完成と同時に告げられた両親の離婚

バートが建設を進めていた新居がようやく完成する。一家はカメラを回しながら家を見学し、バートはミッツィを抱き上げて玄関を越える。

しかし、その映像の中のミッツィは、喜びに満ちた夫とは対照的に、悲しく、どこか遠くを見ていた。バートが家族のために作った立派な家も、彼女の心をカリフォルニアにつなぎ留めることはできなかった。

やがてバートとミッツィは子どもたちを集め、別居と離婚について説明する。バートは、ミッツィがフェニックスを恋しがっているためだと穏やかに説明しようとするが、ミッツィは子どもたちへ真実を話すよう求める。

ミッツィは、フェニックスだけではなく、ベニーが恋しくて耐えられないのだと告白する。それは友人を懐かしむのとは違う感情だった。

ナタリーは、母親がベニーを愛しているのかと問い詰める。末娘のリサは、ミッツィが父親を愛していないのかと泣き、レジーは、両親に別れないでほしいと懇願する。

ナタリーはミッツィを激しく責め、いつもバートに冷たく接していたために家族が壊れたのだと叫ぶ。バートは子どもたちが母親を責めないよう、自分が離婚を決めたのだとかばうが、ナタリーは、ベニーが原因だと母親が認めた以上、嘘をつくのはやめてほしいと反発する。

サミーはこの修羅場を、感情を失ったような状態で眺める。部屋の鏡に映った家族を見た彼の想像の中には、カメラを構え、この場面を映画として撮影しているもうひとりの自分が現れる。耐え難い現実に直面すると、サミーはその出来事を映像へ変換し、観察する側へ逃げ込んでしまう。

母親と自分が似ていると指摘されるサミー

離婚の発表直後にもかかわらず、サミーは自室へ戻り、ディッチ・デイの編集を続ける。レジーは、家族が崩壊しようとしているときに、なぜ海辺の映画を編集できるのかと問いかける。

サミーは、自分とレジーは違うのだと答え、ミッツィのことを、家族より自分を優先する世界で最も利己的な人間だと非難する。

しかしレジーは、ミッツィに最も似ているのはサミーだと指摘する。ミッツィが家族よりベニーを選ぼうとしているように、サミーも周囲の苦しみより映画を優先している。ふたりとも恐怖や罪悪感を抱えながら、それでも自分が愛するものを手放すことができない。

サミーは反論できない。レジーが部屋を出ようとすると、サミーは彼女を呼び止め、学校全体に見せる前に、完成したディッチ・デイの映画を見てほしいと頼む。

卒業プロムでモニカに将来を託そうとする

卒業プロムの夜、サミーはモニカを車に乗せて学校へ向かう。彼は花飾りと一緒に、金の十字架のネックレスを贈る。

モニカは、サミーがイエスを見つけたのかと尋ねるが、サミーは宝石店で見つけたと答える。モニカは冗談に笑い、彼へ抱きついてキスをする。

会場で踊りながら、サミーは卒業後、大学ではなくロサンゼルスへ行き、映画スタジオで働きたいと打ち明ける。そしてテキサスの大学へ進学する予定のモニカに、自分と一緒にハリウッドへ来てくれないかと頼む。

モニカが理由を尋ねると、サミーは彼女を愛しているからだと告白する。しかし交際を始めて間もないモニカは、突然人生を変えることなどできないと困惑する。

動揺したサミーは、両親が離婚することになったと口走る。モニカは、卒業プロムの最中にそのような重大な話を突然持ち出し、自分との関係によって家族崩壊の苦しみを埋めようとしているサミーに戸惑う。

彼女は、サミーの両親に問題があるからといって、自分が人生を捨ててハリウッドへ行くことはできないと断る。十字架を彼の手へ返し、いずれ別れることになると告げる。

それでもモニカは、サミーはキスをするには楽しい相手だったと語り、彼のために祈ると約束する。そして、どうしても直せない出来事があり、そのとき人間にできるのは苦しみに耐えることだけなのだと話す。

スクリーンの中で英雄に変えられたローガン

モニカと別れた直後、サミーが撮影・編集したディッチ・デイの映画が、プロム会場で上映される。

映画は、生徒たちが海で遊び、競技やいたずらを楽しむ、明るく躍動的な青春映画としてまとめられていた。会場の生徒たちは自分や友人が映るたびに歓声を上げる。

やがてローガンがバレーボールで跳躍する場面が映し出される。サミーは映像をスローモーションにし、逆光の太陽と風になびく金髪を利用して、ローガンが空中を飛んでいるかのように見せていた。

リンボーダンスでは、低い棒の下を驚異的な身体能力でくぐり抜ける姿を、英雄的な角度から撮影している。陸上競走では、複数のアングルと劇的な音楽を組み合わせ、ローガンが砂浜を駆け抜け、「1964年卒業生」と書かれた紙を突き破ってゴールする姿をクライマックスに置く。

観客は熱狂し、ローガンを学校の英雄として称賛する。しかし本人は、スクリーンに映った完璧な自分を見て、喜ぶどころか困惑する。それは現実の自分よりも美しく、強く、神話的な人物だった。

映画の中で惨めな道化にされたチャド

対照的に、チャドは他人のビールを盗み、女子生徒の隣へ座ろうとして避けられ、酔った状態でひとり寂しく波打ち際を歩く人物として編集されていた。

映画の序盤では、チャド自身も、自分が酒を盗む場面を格好いい行為だと思って笑っている。しかし映像が進むにつれ、彼が周囲から拒絶され、孤立した人物として見えることが明らかになる。

会場の生徒たちが笑う中、チャドは自分がスクリーン上で惨めな道化に変えられたことへ気づき、怒って会場を出ていく。

サミーは暴力でチャドへ復讐したのではなく、撮影と編集によって、彼をどのような人物として観客の前へ提示するかを決めた。映画はローガンを英雄にし、チャドを笑いものにすることで、学校内の力関係を反転させる。

映画によってローガンとクローディアが復縁

上映が終わると、生徒たちは制作者のサミーではなく、映画の英雄となったローガンのもとへ殺到する。ローガンは仲間たちに持ち上げられるが、本人は落ち着かず、祝福を受け入れられない。

浮気相手だったレネーが近づき、スクリーンの中のローガンを褒める。だが、その直後にクローディアが現れ、彼を見つめてキスをする。サミーが作った英雄像に心を動かされたことで、ふたりは復縁する。

モニカは上映を喜び、映写機の近くにいるはずのサミーを捜す。しかしサミーはすでに会場を離れ、十字架を握ったまま、校舎の廊下に座り込んでいた。

サミーの映画に怯えたローガン

ローガンは廊下にいるサミーを見つけると、なぜ自分をあのように撮ったのかと詰め寄る。

サミーは、カメラが見たものを映しただけだと答える。しかしローガンは、それは嘘だと見抜いている。撮影と編集をしたのはサミーであり、彼がローガンを金色に輝く超人的な存在へ作り変えたのだ。

ローガンは、自分がサミーを侮辱し、殴ったにもかかわらず、なぜ英雄として映されたのか理解できない。さらに、映画のおかげでクローディアが自分のもとへ戻ってきたことにも混乱する。

サミーは、自分でも理由は分からないと答える。ローガンに少しでも優しくしてほしかったのかもしれず、単に映画をより良い作品にするためだったのかもしれないと話す。

だがローガンにとって、スクリーン上の英雄は自分ではなかった。彼は確かに郡内で最も速く走るために努力してきたが、サミーの映画は、現実の自分には決してなれない、完璧で神々しい人物を観客へ見せた。

その映像によって、ローガンは自分が偽物であり、理想の姿に届かない失敗者であるように感じてしまう。感情を抑えられなくなった彼は、サミーの前で泣き始める。

サミーは、映画には現実を記録するだけでなく、被写体本人が認識していない人物像を作り出し、その人間自身を傷つける力さえあることを目の当たりにする。

チャドからサミーを守ったローガン

そこへ、映画で笑いものにされたチャドが現れ、サミーを殴ろうとする。だがローガンはチャドを止め、逆に彼を殴り倒す。

チャドは、ローガンがサミーの映像にだまされたと罵り、立ち去る。ローガンは、自分が泣いたことを誰にも話さないようサミーへ念を押す。

サミーは秘密を守ると約束しながら、映画にする場合を除いて、と冗談を言う。ローガンが再び怒りかけると、すぐに映画にはしないと訂正する。

ローガンはサミーへマリファナを差し出すが、サミーは、自分の頭の中はすでに何もかも制御不能になっているため必要ないと断る。

立ち去るローガンは、現実の人生は映画のようにはいかないと言う。サミーは、そうかもしれないが、結局ローガンは恋人を取り戻したと返す。ふたりは互いに中指を立てながら別れ、敵対していた関係に奇妙な理解が生まれる。

夜明けの台所で母を許すサミー

プロムから帰宅したサミーは、夜明けの台所で朝食を作っているミッツィと顔を合わせる。

ミッツィは、アリゾナでサミーを平手打ちしたことを持ち出し、許してほしいと訴える。サミーは大したことではなかったと流そうとするが、ミッツィは、自分の手の形が残るほど強く息子を打ってしまったことを忘れられず、自分自身を許すことができないと泣く。

サミーは母親を抱き締め、何度も許すと伝える。ミッツィは、これから自分がしようとしていることが正しいのかは分からないが、自分にとっては生死に関わる選択なのだと説明する。

彼女はバートを心から愛し、彼が自分よりはるかに良い人間であることも認める。それでもベニーを必要としており、ベニーのいない生活を続ければ、自分が自分ではない、憎しみに満ちた人間へ変わってしまうと感じていた。

ミッツィは、自分の選択が極めて利己的であることを理解しながらも、心がどうしても必要だと訴えることをしなければならないと話す。そしてサミーにも、自分の心が命じることをするよう促す。

誰かに自分の人生を差し出す義務はなく、それは母親である自分に対しても同じだという言葉は、映画監督を目指すことをためらっていたサミーへの許可にもなる。

重い話を終えると、サミーはモニカに振られたことを明かす。離婚を告げたうえ、結婚を申し込むようなことまで言ったと話すと、ミッツィはモニカに同情し、ふたりは笑い合う。母と息子は、互いの利己性や弱さを認めながら、以前とは異なる形で和解する。

1年後、映画界へ入れず焦るサミー

それから1年後。18歳になったサミーは、ロサンゼルスのブレントウッドでバートと暮らしている。ミッツィと妹たちはフェニックスへ戻り、ベニーと親しく生活していることが写真からうかがえる。

サミーは大学へ通っているが、授業にも寮生活にもなじめず、映画やテレビの仕事を得るために、制作会社へ何通もの手紙を送り続けていた。しかし返事はほとんどなく、自分の人生が進まないことに焦りを募らせる。

ある日、帰宅したサミーは激しいパニック発作を起こし、心臓発作ではないかと訴える。バートは、ミッツィも同じ発作を起こしていたと説明し、かつて妻にしていたように、息子へ温かいお茶を用意する。

サミーは、父親を失望させたくないため大学を続けているが、本当は学校をやめ、映画かテレビの現場で働きたいと打ち明ける。

ミッツィとベニーの写真を見たバート

そのとき、フェニックスのミッツィから写真が届く。写真には、楽しそうな妹たちとともに、バーベキューをしているベニーと、その隣で幸せそうに彼を見つめるミッツィが写っていた。

バートは写真を見た瞬間に深い悲しみに襲われる。彼はミッツィを手放したものの、彼女への愛を失ったわけではなかった。

サミーは父親を傷つけるつもりはなかったと謝ろうとする。だがバートは、息子が大学を嫌っているなら、もう通わなくてもよいと告げる。

これまで映画を趣味と呼んできたバートは、サミーがどんな道を選んでも懸命に働く人間であり、その点では自分の息子に違いないと認める。そして、サミーと自分は、たとえ別々の人生を歩んでも、互いを知らない人間になることはないと伝える。

サミーが、バートとミッツィはもう互いを知らないではないかと返すと、バートは、それでもふたりは互いを知り続けていると答える。ふたりの物語はあまりにも遠くまで進んだため、単純に「終わり」と言うことはできないのだという。

テレビ業界から届いた初めての返事

バートは、郵便物の中にサミー宛ての手紙があることを教える。それは、CBSと関係するアルフラン・プロダクションズからの返事だった。

サミーは、プロデューサーのバーニー・ファインと面会する。ファインは、ドイツ軍の捕虜収容所を舞台にしたテレビコメディ「0012捕虜収容所」を制作していた。

ファインは、すぐに重要な仕事を与えることはできないが、制作が続けば翌シーズンに下級スタッフとして雇える可能性があると話す。

映画を作りたいサミーにとって、テレビ番組の雑用係候補は理想の出発点ではない。それでも、送り続けた手紙が初めて業界への扉を開き、彼は現実の撮影現場へ近づき始める。

偶然実現したジョン・フォードとの面会

ファインは、サミーが本当に望んでいるのは映画監督になることだと見抜く。そして、廊下を挟んだ向かいの部屋に、史上最高の映画監督がいると教える。

その人物は、『駅馬車』『怒りの葡萄』『静かなる男』『捜索者』などを手掛けたジョン・フォードだった。

サミーはフォードの事務所で長時間待たされる。壁にはフォード作品のポスターが並び、サミーは畏敬の念を抱きながら眺める。

やがて食事から戻ったフォードが現れる。眼帯を着け、葉巻をくわえたフォードの頬や額には、どこかで女性につけられた口紅の跡が残っていた。秘書はそれを拭き取り、サミーに面会時間は5分、実際には1分程度だろうと告げる。

ジョン・フォードが教えた水平線の位置

フォードはサミーに、映画を作りたいのかと尋ねた後、壁に飾られた西部画を指さす。

最初の絵では、馬に乗った人物よりも、画面下部に置かれた水平線へ注目するよう命じる。続いて別の絵を示し、今度は水平線が画面上部にあることを確認させる。

フォードは、水平線が画面の下にあれば面白く、上にあっても面白いが、中央に置かれていると退屈になると教える。

それだけを言うと、フォードは幸運を祈り、サミーを荒々しく事務所から追い出す。サミーは一度廊下へ出た後、扉から顔を戻して礼を言い、フォードも短く応じる。

水平線を動かして終わる物語

サミーは、念願だった映画スタジオの通りへ出る。具体的な監督の仕事を得たわけではないが、初めてプロの映像業界へ足を踏み入れ、ジョン・フォードから直接教えを受けたことで、晴れやかな表情を浮かべる。

彼が撮影所の道を歩いていく姿を捉えた画面では、最初、水平線が構図の中央に置かれている。しかしカメラは、たった今フォードから教わった内容を思い出したかのように急いで角度を変え、水平線を画面下部へ移動させる。

この最後の動きによって、サミーが巨匠の教えを即座に吸収したことがユーモラスに示される。同時に、家族を映すことで真実を発見し、人を英雄や道化へ変える映画の力と危険性を学んだ少年が、ついに映画監督としての人生を歩み始めたところで物語は幕を閉じる。

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