【映画レビュー『ここではないどこかで』】40年を経て、今なお鮮烈に響く女性の叫び - “自立した黒人女性”を描いた1982年の革新作

『ここではないどこかで』©1982 Kathleen Collins, Courtesy of Milestone Films and the Kathleen Collins Estate REVIEWS
『ここではないどこかで』©1982 Kathleen Collins, Courtesy of Milestone Films and the Kathleen Collins Estate

見過ごされてきた黒人監督による黒人映画の秀作たちをピックアップした上映企画「アメリカ黒人映画傑作選」(4月18日(金)〜5月8日(木))にて日本公開となる『ここではないどこかで』は、40年以上の時を経てようやく日本の観客の前に姿を現す。1982年に制作されながらも長らく一般公開の機会に恵まれなかった本作は、近年の黒人女性映画監督の再評価の波に乗り、再発見された傑作だ。果たして日本の観客は、この先駆的な作品をどう受け止めるのだろうか。

『ここではないどこかで』あらすじ・概要

大学で哲学を教えるサラは、画家の夫ヴィクターとニューヨークに住んでいる。夏の間、リゾート地で創作活動に専念したいと言い出すヴィクターに対し、論文執筆のため街に残りたいサラだったが渋々付き合うことに。しかしヴィクターは現地の女性にちょっかいを出し、サラは腹いせに教え子から頼まれていた自主映画への出演を決めてしまう。

アフリカ系女性監督による最初期の長編映画。正式公開には至らず、製作から6年後に監督のキャスリーン・コリンズは逝去。2015年に修復され上映を果たし、映画評論家のリチャード・ブロディが「ニューヨーカー」誌で「この映画が当時広く公開されていたら、映画史に名を刻んでいただろう」と評するなど絶賛された。エリック・ロメールを思わせるような軽妙かつ洗練された語り口で、男女の機微を活き活きと描く。

『ここではないどこかで』©1982 Kathleen Collins, Courtesy of Milestone Films and the Kathleen Collins Estate

『ここではないどこかで』©1982 Kathleen Collins, Courtesy of Milestone Films and the Kathleen Collins Estate

時代に先駆けた黒人女性の自画像

黒人女性であるキャスリーン・コリンズ監督が1982年に世に送り出した『ここではないどこかで』(原題:Losing Ground)は、公開から40年以上経った今なお鮮烈な衝撃を与える傑作だ。当時としては極めて稀有な、自立した黒人女性の内面世界を掘り下げた本作は、今日の目線で見ても驚くほど先鋭的である。

主人公をセレット・スコットが繊細かつ力強く演じ切っている。彼女が体現するのは、哲学の講師として確固たる知性と精神的自立を持ちながらも、社会の窮屈な枠組みと日々向き合う一人の女性だ。学術的業績や教育者としての能力があり生徒たちにも慕われているにもかかわらず、そんな生徒たちも含めた周囲は彼女を「画家である夫の妻」という付属物的な存在として認識してしまう。

『ここではないどこかで』©1982 Kathleen Collins, Courtesy of Milestone Films and the Kathleen Collins Estate

『ここではないどこかで』©1982 Kathleen Collins, Courtesy of Milestone Films and the Kathleen Collins Estate

この視線の重層性が本作の核心に迫る。彼女に向けられる社会の眼差しには、「黒人女性」としての日常的な抑圧と、「妻」という役割への窮屈な期待が幾重にも絡み合っている。コリンズ監督はこの複雑な交差点に立つ主人公の姿を、安易な解決策を提示することなく、誠実かつ鋭利に描き出すのだ。

権力と抵抗の日常劇

本作で最も胸に刺さるのは、夫婦間の微妙な力関係を描き出す緊張感に満ちたシーンの数々だ。画家として名声を得つつある夫(ビル・ガン)と哲学者である妻の間に横たわる見えない亀裂が、日常の何気ない瞬間から徐々に表面化していく様は見事としか言いようがない。

『ここではないどこかで』©1982 Kathleen Collins, Courtesy of Milestone Films and the Kathleen Collins Estate

『ここではないどこかで』©1982 Kathleen Collins, Courtesy of Milestone Films and the Kathleen Collins Estate

夫は自己中心的な芸術家の典型として、妻の知性や自己決定権を尊重するどころか、自らの創作の自由とエゴを最優先する。彼女が自分の意向に従わないとき、その反応は単なる苛立ちを超えて、まるで所有権を侵害されたかのような怒りへと発展する。コリンズ監督はこの支配と抵抗のダイナミクスを、大げさな演出に頼ることなく日常の機微の中に見事に織り込んでいる。

夫の態度の根底には、妻の知的独立性や精神的豊かさへの無理解だけでなく、それらを自分への脅威として捉える恐れが潜んでいる。彼女の学問的探求と自我の成長が、彼の芸術的自我の拡大と衝突する様子は、男女間の権力構造を赤裸々に映し出している。

音と沈黙が語る内面世界

本作における音楽演出の妙も特筆に値する。コリンズ監督は音楽と沈黙を巧みに操り、キャラクターの内面世界を視覚的表現を超えて伝えている。夫がニューヨークの街を颯爽と歩くシーンでは、解放感あふれるラテン音楽が鮮やかに彼の自由と創造性を強調する。対照的に、主人公が一人で思索にふける場面では意図的な無音が支配する。この沈黙は単なる音の欠如ではなく、彼女の内面に渦巻く葛藤と孤独を雄弁に物語っている。

『ここではないどこかで』©1982 Kathleen Collins, Courtesy of Milestone Films and the Kathleen Collins Estate

『ここではないどこかで』©1982 Kathleen Collins, Courtesy of Milestone Films and the Kathleen Collins Estate

この音と無音の対比は、二人の人生における根本的な不均衡を浮き彫りにする。夫は自由を享受し、妻は常に見えない壁と格闘している。コリンズ監督はこの対比を通じて、主人公の世界の閉塞感と、それでも立ち向かおうとする彼女の強さを観る者の心に深く刻み込む。

『ここではないどこかで』は、表面的な夫婦間の軋轢を超えた重層的な物語だ。これは黒人女性が自らのアイデンティティを模索し、社会的抑圧からの解放を目指す内的旅路の記録であり、揺るぎない信念を持って描かれた作品である。1982年という時代にコリンズがこの物語を映像化したという事実そのものが、既存の映画産業への挑戦状であり、現代・未来への希望の灯火といえる。今日の観客にとっても、この作品が持つ力強いメッセージは少しも色褪せていない。

映画史の中で不当に見過ごされてきた『ここではないどこかで』だが、今回の日本公開(4月18日(金))を機に、より多くの観客がこの作品の先見性と芸術性に触れる機会を得るだろう。コリンズ監督が残した唯一の長編映画であるという事実が、本作の価値をさらに高めている。彼女が投げかけた問いは、40年の時を超えて現代の私たちに届き、今もなお新鮮な衝撃と共感を呼び起こす。この機会に、映画史における重要な一章を体験してほしい。

作品情報

タイトル:ここではないどこかで
原題:Losing Ground
監督・脚本:キャスリーン・コリンズ
出演:セレット・スコット、ビル・ガン、デュアン・ジョーンズ
1982年|カラー|アメリカ|86分
©1982 Kathleen Collins, Courtesy of Milestone Films and the Kathleen Collins Estate

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