映画『メイク・マイン・ミュージック』(1946)を紹介&解説。
- 映画『メイク・マイン・ミュージック』概要
- 作品情報
- あらすじ
- 作品の魅力解説
- 総評/オープニング
- 1. 『谷間のあらそい』(The Martins and the Coys)(歌:キングスメン)
- 2. 『青いさざなみ』(Blue Bayou)(歌:ケン・ダービー合唱団)
- 3. 『みんなでジャズを!/みんなジャズがお好き』(All the Cats Join In)(演奏:ベニー・グッドマン楽団)
- 4. 『あなたなしでは』(Without You)(歌:アンディ・ラッセル)
- 5. 『猛打者ケイシー』(Casey at the Bat)(歌・ジェリー・コロナ他)
- 6. 『ふたつのシルエット』(Two Silhouettes)(歌:ダイナ・ショア/ダンサー:タニア・リアブシンスカ、デビッド・リシネ)
- 7. 『ピーターとおおかみ』(Peter and the Wolf)(作曲:セルゲイ・プロコフィエフ)
- 8. 『君去りし後』(After You’ve Gone)(演奏:ベニー・グッドマン楽団)
- 9. 『帽子のジョニーとアリスの恋』(Johnnie Fedora and Alice Bluebonnet)(歌:アンドリュース・シスターズ)
- 10. 『くじらのウィリー』(The Whale Who Wanted to Sing at the Met)(歌:ネルソン・エディ)
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映画『メイク・マイン・ミュージック』概要
映画『メイク・マイン・ミュージック』は、カントリー、ジャズ、バラード、クラシック、オペラなど、多彩な音楽とアニメーションを組み合わせた全10編のオムニバス映画。ウォルト・ディズニー・アニメーション・スタジオの長編第8作であり、第二次世界大戦後に同スタジオが発表した最初の“パッケージ映画”に当たる。ベニー・グッドマン、ダイナ・ショア、ネルソン・エディ、アンドリュース・シスターズら、当時を代表する音楽家や歌手が参加した。
作品情報
| 日本版タイトル | 『メイク・マイン・ミュージック』 |
|---|---|
| 原題 | Make Mine Music |
| 製作年 | 1946年 |
| 本国公開日 | 1946年4月20日(ニューヨーク初公開)/同年8月15日(全米一般公開) |
| 日本公開日 | 劇場未公開(1985年10月21日に日本向けVHD発売) |
| ジャンル | アニメーション/音楽/ミュージカル/ファンタジー/オムニバス |
| 製作国 | アメリカ |
| 原作 | 無(各編に原曲・原案あり) |
| 上映時間 | 75分 |
| 監督 | ジャック・キニー/クライド・ジェロニミ/ハミルトン・ラスク/ボブ・コーマック/ジョシュア・メダー |
|---|---|
| 原案・脚本 | ホーマー・ブライトマン/ディック・ヒューマー/ディック・キニー/ジョン・ウォルブリッジ/トム・オレブ/ディック・ショウ/エリック・ガーニー/シルヴィア・ホランド/T・ヒー/アードマン・ペナー/ディック・ケルシー/ジェームズ・ボドレロ/ロイ・ウィリアムズ/キャップ・パーマー/ジェシー・マーシュ/アーウィン・グラハム |
| 製作 | ウォルト・ディズニー |
| 製作監修 | ジョー・グラント |
| 音楽監督 | チャールズ・ウォルコット |
| 音楽 | ケン・ダービー/オリバー・ウォレス/エドワード・H・プラムほか |
| 美術監修 | メアリー・ブレア/エルマー・プラマー/ジョン・ヘンチ |
| 出演 | ネルソン・エディ/ダイナ・ショア/ベニー・グッドマン/アンドリュース・シスターズ/ジェリー・コロンナ/アンディ・ラッセル/スターリング・ホロウェイ/タニア・リアブシンスカ/デビッド・リシネ/キングスメン/ケン・ダービー合唱団 |
| 製作 | ウォルト・ディズニー・プロダクション |
| 配給 | RKOラジオ・ピクチャーズ |
あらすじ
劇場の幕が上がり、“10部構成の音楽ファンタジー”が開幕する。対立する一族を描く『谷間のあらそい』、月夜の湿地を舞台にした『青いさざなみ』、若者たちがスウィング・ジャズに合わせて踊る『みんなでジャズを!』、失恋を歌う『あなたなしでは』、野球選手の勝負を描く『猛打者ケイシー』、バレエとアニメーションを融合した『ふたつのシルエット』、少年と動物たちが狼に挑む『ピーターとおおかみ』、楽器が命を得て踊り出す『君去りし後』、ふたつの帽子の恋を描く『帽子のジョニーとアリスの恋』、オペラ歌手を夢見る鯨の物語『くじらのウィリー』。異なる音楽と映像表現を用いた10編が、ひとつのショープログラムとして披露される。
作品の魅力解説
総評/オープニング
本作の面白さは、ひとつの長編の中で、さまざまな音楽とアニメーション表現を次々に味わえる点にある。カントリー風の物語歌からスウィング・ジャズ、失恋のバラード、クラシック、バレエ、オペラまで、その振れ幅は大きい。物語を持つ短編がある一方、色彩や線、楽器の動きによって音そのものを視覚化する実験的な作品も収められている。
一方、10編に共通する物語や登場人物はなく、作品同士の作風や完成度にもばらつきがある。『ファンタジア』のような芸術的統一感や壮大さを期待すると、雑多な短編集という印象が勝るかもしれない。長編映画としてのまとまりより、1940年代の音楽とディズニーの多様な映像実験を楽しむ作品と捉えるのが適切だろう。
そんな雑多なショーをひとつにまとめているのが、ブロードウェイの劇場を思わせるオープニングである。夜の街に建つアール・デコ調の劇場が映し出され、電飾とともに出演者たちの名前が次々に浮かび上がる。カメラはそのまま劇場内へと進み、観客席の前で幕が開くと、“10部構成の音楽ファンタジー”と記されたプログラムが現れる。
これからひと晩かけて、歌やジャズ、バレエ、コメディ、オペラといった異なるショーを観るような高揚感があり、音楽のすばらしさを伝えようとするディズニーらしさが全開になった導入である。各編のつながりが希薄な作品だからこそ、この劇場形式のオープニングが「ひとつの物語」ではなく「さまざまな演目を楽しむショー」であることを明快に示し、観客をワクワクさせながら最初の演目へと招き入れている。
1. 『谷間のあらそい』(The Martins and the Coys)(歌:キングスメン)
カントリー風の楽曲に乗せて、谷間を隔てて対立するマーティン家とコイ家の争いを描く短編。両家は銃を手に激しい決闘を繰り広げ、最後にはマーティン家の娘グレースとコイ家の息子ヘンリーだけが生き残る。ところが、敵対する家に生まれたふたりは出会った途端に恋へ落ち、物語は『ロミオとジュリエット』を思わせる展開を迎える。
しかし、結婚によって両家の争いが終わったかと思いきや、今度は夫婦となったふたりが大喧嘩を始めてしまう。「血は争えない」とでもいうような結末であり、戦いから恋愛、夫婦喧嘩による大乱闘へと転がっていく展開には、皮肉と笑いが詰まっている。
銃撃戦を軽快なギャグへ変えるテンポのよさに加え、ウエスタン調の酒場を思わせる空間で繰り広げられる陽気なダンスも楽しい。カントリー音楽に合わせてキャラクターが生き生きと動き回る、ディズニーアニメーションらしい躍動感が全開になった一編である。
(※ただし、コミカルとはいえ一族同士が銃で殺し合う内容のため、後年のアメリカ向け映像ソフトでは本編から丸ごと削除された。)
2. 『青いさざなみ』(Blue Bayou)(歌:ケン・ダービー合唱団)
月明かりに照らされた湿地を舞台に、2羽のサギが水辺を舞う姿を描いた、映像と歌によるポエムのような一編。明確な物語を設けず、静かな歌声と自然の情景だけによって、夜の水辺に流れる穏やかな時間を表現している。
水面に揺れる月の光、深い青色に包まれた空と水、羽ばたくサギの優雅な動きなど、1枚の絵画がそのまま動き出したかのような美しさがある。写実的でありながら現実を忠実に再現するだけではなく、色彩や光を大胆に操ることで、実景以上に詩的な空間を作り上げている点が印象的だ。
この映像は、もともと『ファンタジア』用にクロード・ドビュッシーの「月の光」と合わせて制作されたものの、本編から外されたアニメーションを基にしている。本作への収録に当たり、ケン・ダービー合唱団が歌う「Blue Bayou」へ音楽が差し替えられ、新たな作品として完成した。
水に映る光や鳥の柔らかな動きには、技術的な滑らかさだけでは語れない手描きアニメーション特有の温度が宿る。CG技術がどれほど進化しても単純には置き換えられない、絵を一枚ずつ重ねることで生まれる揺らぎと幻想性が凝縮された一編である。
3. 『みんなでジャズを!/みんなジャズがお好き』(All the Cats Join In)(演奏:ベニー・グッドマン楽団)
ベニー・グッドマン楽団による軽快なスウィング・ジャズに乗せて、アメリカの若者たちがダンスパーティへ繰り出す様子を描いた一編。画面に現れた鉛筆が人物や衣服、家具、車、ダンスホールを次々と描き出し、その線から生まれた若者たちが音楽に合わせて動き始める。
鉛筆が描く行為とキャラクターの動作が滑らかにつながっており、音楽がその場で映像を生み出しているかのような感覚が楽しい。カラフルな色彩と躍動する線がスウィング・ジャズのリズムに重なり、複雑な物語がなくても自然と身体で乗れる映像作品になっている。
パーティへ出かける年上の若者たちとは対照的に、家で留守番をさせられる幼い少女の姿も可愛らしい。自分も仲間に入りたそうに音楽へ反応する様子が、都会的な映像の中へ子どもらしいユーモアを添えている。
登場人物のファッションや仕草、男女の描き方には1940年代という時代が色濃く反映されており、現在の感覚ではその時代性を含んだ画風も作品の味になっている。当時のアメリカの若者文化と、スウィング・ジャズが持っていた熱気をアニメーションの中へ封じ込めた、軽快で洒落た一編だ。
4. 『あなたなしでは』(Without You)(歌:アンディ・ラッセル)
雨が降る窓辺を舞台に、アンディ・ラッセルが失われた恋への思いを歌う一編。窓ガラスを流れる雨粒の向こうに、絵具を水へ溶かしたような夕焼けや星空、木々のシルエットなどが浮かび上がり、ラブレターを思わせる歌詞とともに景色が移り変わっていく。
窓を伝う水や、雨によって色彩がにじんでいく表現は美しく、憂鬱な心情を風景へ置き換えた映像詩としての狙いは理解できる。人物を登場させず、光や天候だけで失恋の寂しさを表現しようとする点にも、アニメーションならではの試みが見られる。
しかし、映像の大半は静かな風景の変化に終始しており、音楽とアニメーションが互いを刺激するような面白さには乏しい。同じく詩的な自然を描いた『青いさざなみ』と比べても、画面内の動きや視覚的な発見が少なく、楽曲へ背景映像を添えた以上の必然性を見いだしにくい。全10編の中でも特に展開が平板で、観客によっては退屈に感じられる一編であろう。
5. 『猛打者ケイシー』(Casey at the Bat)(歌・ジェリー・コロナ他)
アメリカで広く知られる同名の詩を基に、野球の試合をミュージカル風の実況中継として描いた一編。試合は9回裏を迎え、地元マッドヴィルのチームは一打逆転の機会をつかむ。打席に立つのは、観客から絶大な信頼を寄せられるスター選手ケイシー。球場全体が、彼の一振りに期待を膨らませていく。
熱狂する観客や選手たちの動きは大きく誇張され、野球とドタバタ喜劇を組み合わせたシュールなアニメーションが笑いを誘う。ジェリー・コロナの勢いに満ちた語りも、試合中継とミュージカルの中間にある独特のリズムを作り出している。
ところが、自信満々のケイシーは2球を悠然と見送り、最後の一球で空振り三振。英雄の劇的な逆転を期待させながら、あっけない敗北で終わらせる反英雄的なオチである。
もっとも、動きの面白さに対して物語そのものの笑いはそれほど強くない。観客と一緒にケイシーの活躍を期待した末に、爽快感も感動も大きな笑いもない失敗を見せられるため、どのような感情で受け止めればよいのか戸惑う部分もある。
過剰な自信やスター崇拝に対する皮肉が込められた風変わりな作品だが、その皮肉が心地よい笑いへ結びつくかどうかは、観客によって評価が分かれるだろう。
6. 『ふたつのシルエット』(Two Silhouettes)(歌:ダイナ・ショア/ダンサー:タニア・リアブシンスカ、デビッド・リシネ)
可愛らしい天使たちに見守られながら、男女のダンサーが幻想的な世界を舞うバレエ短編。ダイナ・ショアの柔らかな歌声に乗せて、ふたつのシルエットが出会い、離れ、再び互いを求める姿が描かれる。
画面に映るのは、タニア・リアブシンスカとデビッド・リシネによる実写のダンスをシルエット化し、アニメーションの背景と融合させた映像である。現在見ても自然に成立しているため意識しにくいが、1940年代の技術と手作業によって作られたことを考えると、その工夫と完成度には驚かされる。
ダンサーの腕の周囲に光がきらめき、跳躍に合わせて空間全体が変化するなど、実写の動きにアニメーションが新たな意味を加えていく点が面白い。本来の影だけであれば「美しく踊る人物」にとどまる場面も、幻想的な背景や光の演出が重なることで、ダンサーが空から舞い降り、現実とは異なる世界を漂っているような瞬間へ変わる。
明確な物語はほとんどないものの、実写とアニメーションが互いの表現を拡張しており、画面には細かな映像的発見が多い。技術を単なる見せ物にせず、バレエの優雅さと幻想性を引き出すために活用した、短くも豊かな映像体験となっている。
7. 『ピーターとおおかみ』(Peter and the Wolf)(作曲:セルゲイ・プロコフィエフ)
セルゲイ・プロコフィエフの音楽物語をディズニー流に映像化した一編。祖父の反対を押し切った勇敢な少年ピーターが、小鳥のサーシャ、あひるのソーニャ、猫のアイヴァンとともに森へ入り、恐ろしい狼を捕まえようとする。
ピーターと動物たちが巻き起こすドタバタ騒動には、子ども向けの冒険映画らしい楽しさがある。巨大な狼に追われる場面には適度な恐ろしさとスリルがあり、それぞれ性格の異なる動物たちのコミカルな動きも、緊張感を和らげている。
一方、物語としては、「危険な森へ無断で出かけたピーターが、結果的に狼を捕らえて英雄となるだけ」とも受け取れる。彼の無謀な行動や祖父の忠告を無視したことが深く問われるわけではなく、教訓や感情的な余韻は薄い。冒険が成功したことを素直に喜ぶ以上の感情を持ち帰りにくく、「そうか、よかったね」と淡泊に終わってしまう部分はある。
雪景色や衣装、人物と動物の造形には、1940年代のアメリカ作品が想像する“ロシアらしさ”が強く表れている。親しみやすいおとぎ話へ置き換えるためのデザインではあるものの、現在の視点から見ると、ロシアに対するステレオタイプが誇張されている印象も否めない。
本編の大きな魅力は、登場人物ごとに異なる楽器と主題を割り当て、音楽そのものに物語を語らせる構成にある。物語が始まる前には、それぞれを表す楽器と旋律がひとつずつ紹介されるため、観客は音を聴くだけで、誰が近づき、何をしようとしているのかを理解できる。
台詞や説明だけに頼らず、旋律、音色、テンポの変化によって人物の性格や行動を伝える手法は、音楽とアニメーションを組み合わせる本作の趣旨にもよく合っている。物語の内容自体は単純だが、「音楽にはこのような物語の語り方もある」と実感させる点では、十分に楽しめる一編である。
8. 『君去りし後』(After You’ve Gone)(演奏:ベニー・グッドマン楽団)
ベニー・グッドマンらによる軽快なジャズに乗せて、クラリネット、ピアノ、ドラムス、ウッドベースといった楽器たちが動き回る抽象アニメーション。カラフルな音楽空間を舞台に、擬人化された楽器が追いかけ合い、跳びはね、互いに音をぶつけ合っていく。
本編の面白さは、ジャズにおけるソロ回しや即興演奏、奏者同士が競い合うようなセッションを、そのまま視覚化した点にある。ある楽器が前面へ出ると、それに呼応するように別の楽器が動き始め、演奏の主導権が次々と受け渡される。音の役割が色や形、キャラクターの動作として表現されるため、楽器に詳しくなくても、ジャズが複数の演奏者による会話から生まれる音楽であることが直感的に伝わってくる。
明確な物語はないが、音楽と映像の動きが緊密に連動しており、アドリブ演奏そのものがドタバタ喜劇として成立している。難しく考えず、リズムと色彩、楽器たちの愉快な競演を素直に楽しめる一編である。
9. 『帽子のジョニーとアリスの恋』(Johnnie Fedora and Alice Bluebonnet)(歌:アンドリュース・シスターズ)
帽子店のショーウインドウに並べられた男性用の帽子ジョニー・フェドラと、女性用の帽子アリス・ブルーボネットの恋を描くミュージカル短編。隣り合って飾られたふたりは互いに一目ぼれするが、アリスだけが客に買われてしまう。やがてジョニーも店を出ると、いなくなったアリスを捜し続けることになる。
帽子を人間の男女に見立てた発想が愛らしく、アンドリュース・シスターズによる三声のハーモニーも、往年のミュージカルナンバーらしい洒落た雰囲気を作り出している。ジョニーとアリスには手足も表情豊かな顔もないが、帽子の形や傾き、動きだけで、恋心や寂しさ、驚きが伝わってくる。
短い上映時間の中に、運命的な出会いとロマンス、突然の別離、街をさまよう悲劇、スリリングな探索、そして再会の感動までが詰め込まれている。可愛らしい設定に反して物語の起伏は大きく、ジョニーの旅路を通してふたりの帽子に自然と感情移入させる構成が秀逸だ。
擬人化された日用品が大都会の中で出会い、離れ離れになりながらも互いを求めるという発想には、ピクサーの短編『ブルー・アンブレラ』に通じるものも感じられる。両作の直接的な関係を示すものではないが、人間が普段意識しない物に命と感情を与え、ささやかな恋物語を成立させるディズニーらしい想像力が凝縮された一編である。
10. 『くじらのウィリー』(The Whale Who Wanted to Sing at the Met)(歌:ネルソン・エディ)
奇跡の歌声を持ち、いつかニューヨークのメトロポリタン歌劇場で歌うことを夢見るくじら、ウィリーの物語。歌うくじらの存在が新聞の一面を飾る一方、オペラ界の権威タッティ・タッティは、ウィリー自身が歌っているとは信じず、「腹の中にオペラ歌手をのみ込んでいる」と思い込む。存在しない歌手を救出するため、彼は銛を携えてウィリーを追跡する。
ネルソン・エディはウィリーの歌声だけでなく、ナレーションを含む複数の声を担当。ウィリーはロッシーニの『セビリアの理髪師』、ドニゼッティの『ランメルモールのルチア』、ワーグナーの『トリスタンとイゾルデ』など、さまざまなオペラの楽曲を豊かな声域で歌い上げる。ウィリーがメトロポリタン歌劇場の舞台に立ち、観客を熱狂させる想像上の場面は、壮大なオペラとディズニーアニメーションを融合した華やかな見せ場となっている。
しかし、その夢はあまりにも残酷な形で打ち砕かれる。船員たちはウィリーが本当に歌っていると理解し、その声へ聴き入るが、思い込みに取りつかれたタッティ・タッティだけは現実を受け入れない。彼が放った銛によってウィリーは命を落とし、その後、天国でより美しい歌声を響かせていることが示される。
天国で夢をかなえたという救いは用意されているものの、悲劇そのものが取り消されるわけではない。ウィリーは人間を信じ、自分の才能を理解してもらおうと近づいたからこそ殺されてしまう。その結末からは、人が未知のものを恐れ、目の前の事実を理解しようとせず、自分の常識へ無理に当てはめることの危うさも読み取れる。
ディズニーアニメーションの一編としては驚くほど容赦のない悲劇であり、しかも本作全体の最後に配置されているため、楽しい音楽短編集を観ていたはずの観客へ強烈な悲しみを残す。これを最後にするのは厳しいとも思えるが、ウィリーの圧倒的な歌声、華麗な舞台の幻想、忘れ難い結末を考えれば、その後を担える作品がほかにあるとも考えにくい。ディズニーが思い切って悲劇をフィナーレに据えたことで、本作で最も大きな感情を呼び起こす一編となっている。
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ライター/エディター/映画インスタグラマー。2019年に早稲田大学法学部を卒業。東京都職員として国際業務等を経験後、ライター業に転身。各種SNS(Instagram・X)やYouTubeチャンネル「cula 見て聞く映画マガジン(旧:アルテミシネマ)」においても映画や海外ドラマ、音楽といったカルチャーに関する情報レビューを発信している。
