映画『悪い子バビー』(1993)を紹介&解説。
映画『悪い子バビー』概要
映画『悪い子バビー』は、ロルフ・デ・ヒーア監督・脚本によるオーストラリア/イタリア合作のドラマ/コメディ。母親によって35年間も外界から隔絶されて育った男バビーが、初めて部屋の外へ飛び出し、人々との出会いや音楽を通じて世界を知っていく姿を描く。主演はニコラス・ホープ、共演にクレア・ベニート、ラルフ・コッテリル、カーメル・ジョンソンら。1993年の第50回ヴェネチア国際映画祭で審査員特別賞を受賞した。日本ではかつて『アブノーマル』のタイトルでVHS化され、2023年に『悪い子バビー』として劇場初公開された。
作品情報
| 日本版タイトル | 『悪い子バビー』 |
|---|---|
| 原題 | Bad Boy Bubby |
| 製作年 | 1993年 |
| 本国公開日 | 1994年7月28日 |
| 日本公開日 | 2023年10月20日 |
| ジャンル | ドラマ/コメディ |
| 製作国 | オーストラリア/イタリア |
| 原作 | 無 |
| 上映時間 | 114分 |
| 監督・脚本 | ロルフ・デ・ヒーア |
|---|---|
| 製作 | ドメニコ・プロカッチ/ジョルジオ・ドラスコヴィック/ロルフ・デ・ヒーア |
| 撮影監修 | イアン・ジョーンズ |
| 編集 | スレーシュ・エイアー |
| 作曲 | グレアム・ターディフ |
| 出演 | ニコラス・ホープ/クレア・ベニート/ラルフ・コッテリル/カーメル・ジョンソン/シド・ブリスベイン |
| 製作 | Bubby Pty Ltd/Fandango SRL |
| 配給 | Roadshow Films(オーストラリア)/コピアポア・フィルム(日本) |
あらすじ
35歳になるまで、母親によって暗く閉ざされた部屋の中だけで育てられてきたバビー。母親から「外の空気は汚染されており、外へ出れば死ぬ」と教え込まれ、外界を知らないまま彼女の言葉に従って生きてきた。ところがある日、長く姿を消していた父親が突然帰ってくる。閉ざされていた生活が大きく揺らぎ、やがてバビーは生まれて初めて外の世界へ。言葉も社会常識もほとんど知らない彼は、見るもの、聞くもの、出会う人々のすべてを吸収しながら、自分自身の生き方を見つけていく。
主な登場人物(キャスト)
バビー(ニコラス・ホープ):母親によって35年間も部屋に閉じ込められて育った男性。外界についてほとんど何も知らず、周囲の人間の言葉や行動を模倣しながら世界を学んでいく。純粋無垢さと常識では理解しがたい奇行が同居する主人公。
マム(クレア・ベニート):バビーの母親。外の空気は有毒だと息子に信じ込ませ、長年にわたって外界から隔離して支配している。バビーの人格形成に決定的な影響を与えた存在。
ポップ(ラルフ・コッテリル):長い不在の末、突然バビーたちの前に戻ってくる父親。彼の帰還によって、それまで閉ざされたままだったバビーの生活が大きく変化していく。
エンジェル(カーメル・ジョンソン):外の世界へ出たバビーが出会う女性。障害のある人々を支えながら暮らしており、社会常識を知らないバビーに対しても偏見なく接する。
作品の魅力解説・レビュー
「悪い子」はどう作られたのか? バビーを単純な怪物にしない物語
人は、自らが生まれ育つ場所を選ぶことができない。その動かしがたい事実を、本作の主人公バビーほど強烈に突きつけてくる存在はなかなかいない。まともな教育を受けることも、社会との接点を持つことも許されないまま35歳を迎えた彼は、外側から見れば常識の埒外にいる“怪物”そのものである。序盤には動物虐待を含む極めて不快でショッキングな描写も差し挟まれ、観る側は容赦なく振り回されることになる。
しかし、善悪の区別や社会規範をそもそも教えられてこなかったバビーの行動を、彼ひとりの責任として片づけることは難しい。本作は彼の奇行を単なる見世物として消費するのではなく、その異様な生育環境を通して、「人間は環境によってどこまで形作られるのか」という根源的な問いを浮かび上がらせていく。
ニコラス・ホープとクレア・ベニートが作り出す強烈な親子
バビーを演じるニコラス・ホープの存在感は圧倒的だ。成熟した大人の肉体を備えながら、社会経験という点では生まれたばかりの赤子にも等しい。純粋無垢さと恐ろしさ、そして滑稽さが同居するこの難しい人物像を、ホープは表情や話し方はもちろん、身体の細かな動きに至るまでを駆使して説得力あるものに仕上げている。
対する母親役のクレア・ベニートもまた強烈だ。閉ざされた部屋そのものと一体化したかのような異様な存在感を放ち、バビーがいかに歪んだ環境のなかで形成されてきたのかを、観客に一目で納得させてしまう。人物造形と俳優の演技が見事に噛み合った、忘れがたい親子像と言えるだろう。
部屋を出ることで、映像も音も世界も一気に広がっていく
バビーが初めて外の世界へ踏み出していく過程を、物語の展開としてだけでなく、映画そのものの感覚によって体験できる点も興味深い。閉塞感に満ちた暗い部屋から解き放たれた瞬間、画面には色彩と奥行きが生まれ、観客もまたバビーとともに世界を発見していくような感覚へと導かれていく。
本作では、ロケーションごとに異なる撮影監督を起用するという異例の手法が採られ、実に32人もの撮影監督が参加している。さらに、バビーが耳にしている音をそのまま追体験させるかのようなバイノーラル録音も導入された。世界を初めて知る主人公の感覚を、映像と音響の両面から観客へと同期させる、きわめて大胆な映画体験に仕上がっている。
胸糞映画のように始まりながら、最後に残るのは人間への希望
序盤だけを切り取れば、ひたすら陰鬱で救いのない作品に映るかもしれない。しかし外の世界へ踏み出したバビーは、さまざまな人々と接するなかで言葉を覚え、音楽と出会い、やがて他者との関係を少しずつ築いていく。
過酷な環境によって35年という歳月を奪われたとしても、誰かが寛大さや思いやりをもって手を差し伸べさえすれば、人生はそこから始め直すことができる。本作が意外な“温かな手触り”を残すのは、その可能性を最後まで手放していないからだろう。強烈な不快感とブラックユーモアの奥から、人と人との出会いや博愛、そして人間の成長を丁寧にすくい上げていく。タイトルや序盤の印象から想像する以上に、確かな救いと希望を宿した一本である。
ライター/エディター/映画インスタグラマー。2019年に早稲田大学法学部を卒業。東京都職員として国際業務等を経験後、ライター業に転身。各種SNS(Instagram・X)やYouTubeチャンネル「cula 見て聞く映画マガジン(旧:アルテミシネマ)」においても映画や海外ドラマ、音楽といったカルチャーに関する情報レビューを発信している。
