マーティン・スコセッシ、10代で神学校を追放-「悪さをした」巨匠が語る信仰と青春の原点

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マーティン・スコセッシが10代で聖職者を志した過去を語り、「悪さをして」神学校を追放された理由を明かした。


マーティン・スコセッシが、自身の宗教的な原点を語った。ニューヨーク映画祭でプレミア上映されたApple TV+のドキュメンタリーシリーズ『Mr. スコセッシ』の中で、10代のころ聖職者を志したものの、「悪さをして」神学校から追放されたという過去を明かした。信仰と芸術の間で揺れた若き日の体験が、映画作家としての出発点にあったことがうかがえる内容となっている。

少年時代の信仰体験と神学校での生活

スコセッシは7歳の頃、ニューヨークのセント・パトリック大聖堂で初めてカトリックのミサに参加し、深い感銘を受けたという。その体験がきっかけとなり、思春期には聖職者を目指して神学校に入学した。
『People』誌のインタビューでは当時をこう振り返っている。

「予備神学校というのがあって、85丁目のどこかにあったんだ。最初の数ヶ月は大丈夫だったんだけど、あることが起きたんだよ」
世界が変わりつつあるってことに気づき始めたんだ。初期のロックンロールの時代で、古い世界が消えつつあった。周りの人生に気づくようになったんだよ。恋に落ちたり、女の子に惹かれたりね。実際に行動に移すわけじゃないんだけど、そういう感情があって、突然、これはもっとずっと複雑なんだって気づいたんだ。自分を閉ざすことなんてできないってね

少年時代の純粋な信仰心は、やがて社会の変化や人間的な感情との間で揺らぎ始めた。スコセッシの言葉からは、後の作品群にも通じる「人間の内面の葛藤」という主題の萌芽が見て取れる。

追放の理由と「自分はそこに属していない」との気づき

スコセッシは神学校での生活を通じて、自らの内に芽生えた疑問と向き合うようになったという。
彼は次のように語っている。

聖職者になるという考え、他者に身を捧げるということ、本当にそれが全てなんだよ。でも自分はそこに属していないって気づいたんだ。それでも留まろうとしたんだけど、彼らは私の父を呼んで、『彼をここから連れ出してください』って言ったんだよ。悪さをしたからね

「悪さ」の具体的な内容については明かされていないものの、当時を知る幼なじみは「彼は10代のころ、女性に目がなかった」と証言している。
信仰への憧れと現実の衝動。そのはざまで揺れる若者の姿は、のちに『タクシードライバー』や『沈黙-サイレンス-』といった作品にも通じる、スコセッシの内面の源流を思わせる。

宗教という枠の中では抑えきれなかった“人間の複雑さ”こそが、後に映画という表現へと昇華されていったのだろう。

映画界を再定義した巨匠の現在

Apple TV+で10月17日より配信が始まる『Mr. スコセッシ』は、レベッカ・ミラー監督による全5部構成のドキュメンタリーシリーズである。作品は、スコセッシの人生と創作をめぐる“映画的肖像”として構成され、彼の信仰観や芸術観、家族との関係を多角的に描き出す。

レオナルド・ディカプリオ、ロバート・デ・ニーロ、ダニエル・デイ=ルイス、スティーヴン・スピルバーグ、ジョディ・フォスターら、長年にわたりスコセッシと映画を共にしてきた俳優や監督たちが登場。さらに、妻や子どもたち、幼なじみといった親しい人々の証言も加わり、ひとりの芸術家の“信仰と創作の軌跡”が浮かび上がる構成となっている。

10代の頃に神学校を去った少年は、その後「人間の罪」と「赦し」を映画で描くことを選んだ。『Mr. スコセッシ』は、その半世紀にわたる歩みを通して、信仰を失ってもなお“人間を信じ続ける”スコセッシという存在を見つめ直す作品になりそうだ。

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