シュルレアリスム映画の巨匠、ヤン・シュヴァンクマイエル。長編映画からドキュメンタリー、映像インスタレーションまで、その表現世界は常に“現実”と“夢”の境界を侵食し続けてきた。2025年8月9日(土)には、彼の晩年期を象徴する3つの作品が一挙公開される。
物語と現場を多層的に絡めた『蟲』、創作の舞台裏を描く『錬金炉アタノール』、そして好奇心の宇宙を可視化した『クンストカメラ』。いずれも、作家の内面と哲学が濃密に封じ込められた稀有な映像体験だ。本稿では、その3作を順に振り返りたい。
『蟲』(2018年)-演劇と夢境が交錯するメタ構造の極点
戯曲『虫の生活』を題材にしたアマチュア劇団の群像劇として始まりながら、実際には演出スタッフの制作風景や監督自身による語りが織り込まれた、多層的なメタ構造を持つ異色作である。(個人的に虫が苦手なため身構えていたし、事実直視できないシーンは複数あったのだが、幸いにも想定していたほど多くは虫の映像は多用されておらず、最後まで鑑賞できた。)
本作は”シュヴァンクマイエル流シュルレアリスム”の到達点と呼ぶべき作品だ。監督自身が語るところによれば、脚本はあくまで出発点であり、撮影現場で偶発的に生まれる”予期せぬイメージ”こそを重視し、最終的な作品は”制作過程の混沌”から自然発生的に構築されるのだという。

『蟲』© Athanor Ltd.
通常の物語展開を期待してはいけない。本作は監督自身の創作行為とその背景にある哲学的思考を映像化する実験的な試みとして構成されている。序盤で提示されるメタ的な語りが中盤の展開へと有機的に接続され、演劇と夢境、撮影現場と演出意図が複雑に絡み合いながら進行する。そしてクライマックスでは出演者たちの内面的変化と狂気への兆候が浮かび上がり、終幕では「意味そのものの無意味性」を自己参照的に突きつける、まさに詩的とも言える構造を見せる。
本作はシュヴァンクマイエルが自らの映画制作世界を総括した、実験映画としての集大成と位置づけられる。シュルレアリスムとメタ映画実験の系譜において一つの極点に達した作品であり、とりわけ制作プロセス自体を作品の核心に据える手法は、映画史を振り返っても類例の少ない野心的な挑戦である。撮影現場の実相を露わにしながら観客に「映画とは一体何なのか」という根源的な問いを投げかける構造は、シュルレアリスム運動と前衛演劇の実験精神を現代に継承する試みといえるだろう。
映画制作という行為を一種の“儀式”として提示し、その過程そのものを作品化するアプローチによって、本作はアートシネマにおける実験的作品群の重要な一角を担う存在となっている。単なる映画を超えた、映画という媒体への深い省察を促す稀有な体験を提供してくれる作品だ。
『錬金炉アタノール』(2020年)-創作の舞台裏に潜む錬金術的変容
アタノール(錬金炉)という言葉は、彼らの映画製作会社の名前でもあるが、まさにこの作品の核心を表している。シュヴァンクマイエルが“生の素材”を時間をかけて変容・昇華させていく創作現場のまさに“錬金術”的な本質が、ここには克明に記録されている。監督の内面で絶え間なく続く思考と熟成のプロセスを間近で観察できる、極めて貴重なドキュメンタリーと言えるだろう。

『錬金炉アタノール』© Athanor Ltd.
映像は多層的な構造を持っている。シュヴァンクマイエル本人の姿を軸に、亡き妻エヴァの記憶が織り込まれ、その“不在”が監督の心に呼び起こす等身大の感情が丁寧に捉えられている。さらに、長年の協力者でありプロデューサーでもあるヤロミール・カリスタとの関係性も重要な要素として描かれ、監督の創作が決して孤独な営みではなく、人との関わりの中で生まれるものであることが浮き彫りになる。
また、食事を嫌い、CGアニメーションを毛嫌いする監督の頑固で一筋縄ではいかない人柄も存分に描写されており、シュヴァンクマイエルという稀有なアーティストの人間性を深く知ることができる作品となっている。
『クンストカメラ』(2020年)-好奇心と記憶が織り成す静謐なる博物館
チェコの南西部、シュヴァンクマイエル監督が所有するホルニ・スタニコフの古城と旧穀物庫。そこに佇む「クンストカメラ(好奇心のキャビネット)」を、カメラはただひたすらに捉え続ける。
しかし、これは決して単調な収蔵品の羅列ではない。映像の一つひとつには、シュヴァンクマイエル独自の想像力が編集という形で刻み込まれている。オブジェクトの配置と解釈こそが、この作品の核心なのだろう。アフリカの民族美術の原始的な力強さ、アウトサイダー・アートの狂気じみた純粋性、アルチンボルド風に構成された奇怪な芸術品、呪術的なオブジェとシュルレアリスムの融合、そして監督自身の映画作品から生まれた人形たち——これらすべてのテーマが、まるで標本のように整然と、しかし有機的に作品世界を貫通している。

『クンストカメラ』© Athanor Ltd.
一切のセリフを排した映像が延々と続く構成は、観る者を不思議な美術館の回廊へと誘う。たまの物音だけが響く静寂の中を、我々は無言で歩き続けることになる。こうした特殊なアートや蒐集品に関心のない観客にとっては、確実に苦痛の2時間となるだろう。
だが、シュヴァンクマイエルの創造世界に魅了されてきたファンであれば話は別だ。彼らにとって本作は、監督の創造的宇宙への温かな招待状であり、想像力の源流へと大河のように流れ込んでいく仮想博物館——まさに究極の視覚詩なのである。
もし『蟲』(2018)が監督最後の長編物語映画だとするなら、本作は彼が後世に遺そうとするもの全てを静かに祀り上げる、一種の葬歌であり讃歌でもある(監督はまだ存命中だが)。スクリーンを通して、我々は確かに彼の魂の一端に触れることができる。
『蟲』『錬金炉アタノール』『クンストカメラ』――いずれもジャンルや形式を超え、映像を通して世界を“異化”するシュヴァンクマイエルの本質が刻まれている。そこには物語以上に、制作過程や物質の質感、人間の内奥に潜む原初的衝動への探究がある。彼の作品は、鑑賞者に安易な答えを与えることなく、むしろ解釈の迷宮へと誘い込む。
今回の3作は、その迷宮の異なる入り口として機能し、ひとつの作家の終盤を彩る重要なアーカイブでもある。スクリーンの中で展開される世界は、観る者の感覚を静かに、しかし確実に変容させていくだろう。
