新作映画『ヒポクラテスの盲点』をレビュー&紹介。
10月10日(金)公開の映画『ヒポクラテスの盲点』は、膨大なドキュメンタリー映像、詳細な年表、視覚的にわかりやすいグラフを駆使しながら、新型コロナウイルスによるパンデミック(コロナ禍)におけるワクチンの必要性と有用性を問い直そうとする作品だ。
これを単に“反ワクチン(反ワク)ドキュメンタリー”などという安易なレッテルで片付けてしまうのはあまりにも表面的すぎる。本作は、多くの人に実際に足を運んで観てほしいと思える、誠実さに貫かれたドキュメンタリーである。
「反ワク」というレッテルの向こう側
本作の情報を最初に目にしたとき、正直なところ「反ワク系?」という言葉が頭をよぎってしまった自分を恥ずかしく思う。筆者自身がそうした安易な思考に一度は揺らいでしまったからこそ、そうした固定観念によってどれほど多くの人々が苦しみを味わっているのかと、改めて考えさせられた。
たしかに世の中、特にインターネット上には典型的で正当性が不明な「反ワクチン派(反ワク)」の人々も一定数存在する。何かを学ぶでもなく、調査するでもなく、陰謀論的に政府を糾弾することだけが目的に見える人々が確かにいる。しかし、その裏で一体どれほど多くの人が、ワクチン接種後に起きた異変によって苦しみ、その苦しみや悲しみすらも踏み躙られ続けているのだろうか。
本作は、その痛みに確実に目を向けさせてくる一作なのだ。私と同じように「こういう映画は……」と身構えてしまう人は必ず一定数いるだろう。だからこそ、本作を観た私は伝えたくなった。「そうじゃないんだ。一旦観てみることが、深い思索を呼ぶ作品なんだ」と。

©『ヒポクラテスの盲点』製作委員会
声なき声が映す、見過ごされた現実
本作が描き出すのは、ワクチン接種が原因としか思えないタイミングで自身や大切な人に不幸が訪れた人々、そしてそれを受けてワクチンの正当性を本気で問おうと奮闘してきた、今も奮闘し続けている人々の姿だ。
スポーツに打ち込み、健康そのものだった人が、3年以上も寝たきりになった。そうなる直前の心当たりは、ワクチンしかない。ワクチンを打ってから記憶力が保てなくなり、日常が一変してしまった人もいる。それだけではない。パートナーや子どもを、ワクチン接種後に実際に失った人がいる。本人たちからすれば、ワクチンが原因としか考えられないのだ。当事者からすれば、ほかに思い当たる節がないにもかかわらず、可能性論や因果関係の不明確さという言葉でかけがえのない人生の話を片付けられて、一体誰が耐えられるだろうか。

©『ヒポクラテスの盲点』製作委員会
そのような苦しみを訴えても「反ワクかよ」と距離を置かれ、煙たがられて終わる。彼らの怒りや悲しみは、一体どこへ向ければいいのか。映画の中で繰り返し挿入されるのは、浅い水たまりにもがく蟻の映像だ。周囲から見れば「何を騒いでいるんだ」程度のことでも、当事者たちは周囲には理解できない苦しみと悲しみの中に見捨てられてもがき続けている。コロナ禍を過去のものとして懐かしむ世間に、置き去りにされたまま。
証明できないものと、奪われた選択

©『ヒポクラテスの盲点』製作委員会
パラレルワールドを覗くことができない以上、ワクチンが障害や最悪の事態を引き起こしたという決定的な証拠はない。しかし、そう言ってしまえば、コロナウイルスに感染しなかった人々が感染を免れた理由がワクチンのおかげだという証拠もまた存在しない。ワクチンを打たなくても感染しなかった人がいたかもしれないし、ワクチンを打たなくても免疫不全など別の死因で亡くなっていた人もいたかもしれない。ワクチンに効果があったのかどうか、現状では誰にも断言できない。それが事実だ。
にもかかわらず、リスクを示唆する情報も出ていた中で、政府はそれを押し通した。これもまた事実である。政府はワクチンの副反応について「数日で必ず治る」と断言していた。しかし、治らなかった人がいた。
あの頃、ワクチンを打っていなければ入れない場所があった。保育園の審査に落ちた人もいた。私自身、前職で海外出張に行く際、ワクチンの接種を条件とされ、選択権を奪われた経験がある。ワクチン接種のどこが「任意」だったのだろうか。立場によってはあれは紛れもなく「半強制」的なものだった。接種が当たり前という世論が形成され、反対派は「面倒な集団」として扱われ、その声は封じられた。ワクチン接種が正しいか間違っているかではなく、このような選択権の蹂躙が健全なのかということこそが問題なのだ。
「絶対」を作らない誠実さと、声を上げる勇気

©『ヒポクラテスの盲点』製作委員会
本作の真摯なところは、「絶対」を作らない姿勢にある。可能性論はあくまで可能性論として扱い、資料やデータに基づいて「こんな疑惑がある」「こう考えられる」ということを提示し、観客自身に思索を促している。「ワクチンが悪」といった単純な二項対立の話ではないのだ。結果が良かったのか悪かったのかという結論ありきの議論ではなく、「事実確認が完全にできないままに政府が複数回の接種を推し進め、世論がそれを後押ししたという流れが、今後も繰り返されていいのか」という問いかけなのだ。
世間に迎合するのは簡単だ。逆に「反ワクかよ」などと煙たがられたり、場合によっては立場を失ったりすることもあるとわかっていながら、政府や世論の正当性に疑問を唱えることは、生半可な覚悟ではできない。世論に立ち向かうということが、いかに勇気と信念を要するか。
ワクチンに賛成することが善か悪か、反対することが善か悪かという話ではない。何かに対して賛成する人も反対する人もいる社会という状態こそが健全であり、反対意見を数と力でひねり潰すような社会であってはならないのだ。
正しいかどうかではなく、権力や世論に流されることなく違和感を口にし、自分にできる努力を続けている信念ある人々に、拍手を送りたい。少なくとも、飲み物を飲みながらもモニターの情報から目を離さない医師の真剣な眼差し、ワクチン接種後に苦しんだ自身の患者のことを思い涙を流す専門家の表情は、紛れもなく「本物」だった。
政府の主張も、世間の多数派の意見も、そして本作が提示する考えだって、すべてを鵜呑みにしてはいけない。人生に関わる選択を迫られたとき、賛成の声も反対の声も自分の目と耳で確かめ、自分自身で判断する。そうした姿勢を観客に促してくれるだけで、このドキュメンタリーがどれほど価値あるものかは計り知れない。『ヒポクラテスの盲点』は10月10日(金)公開。この真摯な映像作品を観て、ぜひ自分自身の意見へと昇華してほしい。
