映画『ワン・バトル・アフター・アナザー』をレビュー。
ポール・トーマス・アンダーソン監督最新映画『ワン・バトル・アフター・アナザー』は、闘いの果てを描くのではなく、次世代へと継承される希望と勇気を見据えた物語だ。10月3日(金)に日本公開を迎えた本作は、社会に潜む分断や過激主義への風刺を鋭く描き出しながらも、人間の矛盾や愛情に深く迫る。
左右両極の過激主義が生む問い-社会風刺と人間ドラマの融合
「One Battle After Another(戦いは続いてゆく)」というタイトルが示すとおり、本作が描くのは闘いの終結ではなく、次の世代へと託される希望と勇気のリレーである。物語は白人至上主義者への風刺や、抑圧に対抗する過激な抵抗の姿を鮮烈に映し出しながら、「左右両極の過激主義は何を生み出すのか」という問いを、命を賭した対立や追走劇を通じて投げかける。

『ワン・バトル・アフター・アナザー』より © 2025 WARNER BROS. ENT. ALL RIGHTS RESERVED.
だが同時に、この映画は特定の党派を断罪する説教的な作品にはならず、個々の人間に宿る矛盾や感情へと光を当てる。政治的サスペンスとしての緊張感を保ちながらも、人間ドラマとしての厚みを確立している点が際立っており、観客が物語に感情移入しやすい大きな要因となっている。
本作は、アイデンティティを偽ったり、社会や誰かへの怒りをぶつけたりすることでしか自分を保てない人々の不器用で愚直な生き方を描き出している。その姿はもどかしさを帯びつつも、偽りの仮面の奥にこそ不器用ながら確かな愛が宿っていることを示す。そして物語の根底には、愛や対話、共感を通じて築かれる人間同士の信頼関係という普遍的なテーマが一貫して流れており、観る者の胸に静かに迫ってくる。
レオナルド・ディカプリオが体現する不器用な愛と哀愁
レオナルド・ディカプリオの演技は本作の最大の魅力のひとつだ。かつては革命運動に身を投じていた男が、いまや娘に半ば拒絶される情けない父親として必死にもがく。その落差が、哀愁と愛嬌を同時に漂わせ、物語の感情的な核を形づくっている。

『ワン・バトル・アフター・アナザー』より © 2025 WARNER BROS. ENT. ALL RIGHTS RESERVED.
走り方や転び方といった細部にまでこだわった“計算された間抜けさ”は笑いを誘いながらも、娘への不器用な愛を浮かび上がらせる。こうして描かれるボブの姿は、洗練されたスパイ映画の冷徹さよりもむしろ人間的な共感を呼び起こし、観客を物語へと深く引き込んでいく。
ショーン・ペンや女性キャラクターがもたらす厚み

『ワン・バトル・アフター・アナザー』より © 2025 WARNER BROS. ENT. ALL RIGHTS RESERVED.
ショーン・ペン演じるロックジョー警部は、『ノートルダムの鐘』のフロローを思わせる自己矛盾と不安定さを体現している。彼の姿を通して浮かび上がるのは、レイシズムやマッチョイズム、セクシズムといった属性にしがみつき、それらのアイコンによってしか自らを正当化できない人間の脆さだ。その不安定な存在感は、単なる悪役の造形を超えて、観客に社会的な問いを突きつける力を持っている。

『ワン・バトル・アフター・アナザー』より © 2025 WARNER BROS. ENT. ALL RIGHTS RESERVED.
物語を大きく支えているのは、ふたりの女性キャラクターの存在だ。前半を牽引するペルフィディア(テヤナ・テイラー)は、複雑さと情熱をあわせ持つファム・ファタールとして物語に緊張感を与える。一方、後半に登場する娘ウィラ(チェイス・インフィニティ)は、揺らぐアイデンティティや複雑な生い立ちからくる怒りと不安、そして若さゆえの純粋さを体現する。彼女たちが加わることで、時にコメディリリーフのようにも見えるボブとロックジョーの過剰なやり取りに、シリアスで力強い厚みがもたらされている。

『ワン・バトル・アフター・アナザー』より © 2025 WARNER BROS. ENT. ALL RIGHTS RESERVED.
そして、“センセイ”を演じたベニチオ・デル・トロの存在も見逃せない。彼は決して過度なインパクトを狙うことなく、落ち着きと気品をまといながら、移民コミュニティを守る地下ネットワークの案内人として独自の存在感を放つ。その佇まいは派手さとは無縁でありながら、本作全体の空気を引き締め、物語の余韻を完成させる重要な要素となっている。

『ワン・バトル・アフター・アナザー』より © 2025 WARNER BROS. ENT. ALL RIGHTS RESERVED.
カーチェイスシーンが象徴する次世代への継承
終盤のカーチェイスは、本作のクライマックスにふさわしい圧倒的な見せ場となっている。物語の主導権が次世代へと移る中で、ウィラが賢さと勇敢さを発揮し、自らの物語を取り戻そうとする重要な局面がこの場面に重なる。映像表現においても、単に派手なアクションで興奮を煽るのではなく、起伏のある地形や視界の断続といった環境を巧みに活かした設計が際立ち、観客に鮮烈な印象を刻みつける。

『ワン・バトル・アフター・アナザー』 © 2025 WARNER BROS. ENT. ALL RIGHTS RESERVED.
特にロケ地であるカリフォルニアの一本道は、現実的でありながらどこか幻覚的な効果をもたらし、作品全体を象徴するような余韻を生み出していた。
『ワン・バトル・アフター・アナザー』が示すのは、終わりなき闘いの連続ではなく、世代を越えて受け継がれる希望と対話の可能性である。社会の矛盾や暴力を映し出しながらも、普遍的な“人間の絆”の力を強く刻み込む本作は、観客に深い余韻を残すだろう。10月3日(金)より日本公開となっている本作を、ぜひスクリーンでその熱量を体感してほしい。
